4.鉄板の上の火花
バリスタ部の掟として、新入部員は必ず「たい焼き」の工程も学ばなければならない。 たとえ、どれほどコーヒーの技術が高かろうと、星陽バリスタ部の魂であるたい焼きを無視することは許されないのだ。
凛の指導担当になったのは、1年生の蓮だった。
「……いいか。生地を入れるタイミング、餡を置く位置。すべては鉄板の温度との対話だ。コンマ数秒の遅れが、仕上がりのパリパリ感を殺す」
蓮はいつになく真剣な表情で、重い金型を操ってみせた。 だが、凛の視線は、鉄板ではなく、常に隣のカウンターでコーヒーを淹れる蒼太の後ろ姿に向けられていた。
「……聞いてるのか、羽純」
蓮の声が、低く温度を下げた。
「ええ。聞き及んでおりますわ。タイミングと対話、ですね」
「口じゃねえ。目を見て言ってんだ。……お前の目は、今、どっちを向いてる?」
凛はゆっくりと視線を蓮に戻した。 その群青色の瞳には、一切の悪びれもなかった。
「……日向さんの仕事ぶりに、目を奪われておりました。彼は、一瞬の油断も許さない。その姿勢を学ぶことも、部員としての務めかと存じます」
「寝ぼけたこと言ってんじゃねえぞ」
蓮が、鉄板をガシャンと大きな音を立てて閉じた。 周囲の部員たちが、その音に一斉にこちらを振り返る。
「手元を見てねえ奴に、この鉄板は任せられねえ。お前にとって、このたい焼きは、日向の気を引くための道具か?」
「……心外ですわ、潮崎さん。私は、何事も完璧にこなすことを信条としております」
「なら、やってみろ。……一発勝負だ。俺が今見せた工程、一つでも間違えたら、今日はもう帰れ」
テラスに緊張が走る。 結も、蒼太も、手を止めて二人を見守った。
凛は無言で、長い髪を後ろで一つに結び直した。 そして、重い金型を手に取る。
彼女の動作は、驚くほど滑らかだった。 弓道で鍛えられた体幹と、極限まで研ぎ澄まされた集中力。 彼女は蓮の動きを、ただ一度見ただけで、完全にコピーしていた。
生地を流し込む。餡を中央に、一粒の無駄もなく配置する。 閉じられた金型から漏れる蒸気の音に耳を澄ませ、最適なタイミングで反転させる。
やがて、香ばしい香りが立ち上り、凛が金型を開いた。
そこには、バリ一つない、黄金色に輝く完璧な形のたい焼きが並んでいた。 焼き色のムラもなく、表面は鏡のように滑らかだ。
「……これで、問題ございませんわね?」
凛が、冷ややかな視線で蓮を射抜く。 蓮は出来上がったたい焼きを凝視し、悔しそうに奥歯を噛み締めた。
「……形だけは、合格だ」
「光栄ですわ。……では、指導を続けていただけますか? 次は、餡の糖度と生地の配合の相性について、詳しく伺いたいのですが」
職人気質で泥臭い努力を重んじる蓮と、天賦の才と圧倒的な効率で全てをこなす凛。 性格もスタイルも正反対の二人の間に、目に見えるほどの火花が散る。
結は、その様子を見て、自分の中にあった「ライバル心」が、別の恐怖へと変わるのを感じていた。 凛は、ただの綺麗な女の子ではない。 彼女は、このバリスタ部の秩序を根底から揺るがす、圧倒的な「強者」だった。




