4.決意
日曜日、午後4時。 星陽祭の終了を告げるアナウンスが、ノイズ混じりのスピーカーから全校に響き渡った。
狂騒が去った後の校内には、耳に痛いほどの静寂と、不思議な寂寥感が忍び込んでくる。 どの教室からも、机を元に戻すガガガという音や、溜まった資材の残骸を運ぶ台車の音が聞こえてくる。 西陽が校舎の影を長く伸ばし、全てをドラマチックなオレンジ色に染め上げていた。
「みんな、お疲れ様。残った資材の分別は、指示した通りに。マシンの清掃は私たちがやるわ」
楓の声は、いつもの明るさを保とうとしていたが、どこか切なげな響きを帯びていた。 折りたたみテーブルを畳み、人工芝を丁寧に清掃し、高価なマシンを徹底的に磨き上げる。一つ一つの所作が、自分たちの居場所への別れの挨拶のようでもあった。 作業が一段落した頃、楓は一人、テラスの奥の備品庫で在庫の最終確認をしていた。
そこに、足音もなく顧問の香月がやってきた。
「橘、いい文化祭だったわね。過去最高の売上、そして何より、事故もなく全員が笑っていた」
「香月先生。……はい、最高でした。これ以上ないくらい、やりきりました」
楓はペンを置き、窓から差し込む赤い夕焼けを見上げた。
「先生、私……決めました。自分の進路」
楓の瞳から、昼間の迷いは消え去っていた。
「私、大学の経営学部を目指します。……親や先生に勧められたからじゃなくて、自分の意志で、あの大学のあの学部に行きたいんです」
香月は何も言わず、教え子の言葉を静かに受け止める体勢を取った。
「この3年間、テラスの運営を通じて学んだんです。美味しいコーヒーを淹れる技術はもちろん大切だけど、その『場所』を守り、人を動かし、利益を出して継続させていくことの難しさと、その先にある達成感を。ただコーヒーを淹れるだけじゃ、このテラスは守れなかった」
楓は、自嘲気味に、しかし晴れやかな笑顔を浮かべた。
「いつか、私だけの『木漏れ日テラス』を街の中に作りたいんです。卒業したみんなが、いつでも安心して帰ってこられるような、世界で一番温かいカフェを。そのためには、感性だけじゃなくて、経営という強固な『論理』が必要だって気づいたんです。だから、私は学びに行きます。いつか、先生を驚かせるような店を作るために」
香月は、滅多に見せることのない柔らかな微笑を浮かべ、楓の肩を一度だけ強く叩いた。
「いい進路だと思うわ、橘。あなたには『場所を慈しみ、人を繋ぐ』という希有な才能がある。経営の論理は、その才能を世界に羽歩かせるための、強固な翼になるはずよ。期待しているわ」
楓の背中が、夕日に照らされて黄金色に輝いて見えた。 「引退」は、バリスタ部員としての終わりではない。自分だけのバリスタ道を切り拓くための、新しいスタートラインなのだ。
廊下の向こうから、結たちの賑やかな声が近づいてくる。
「部長ー! 打ち上げの場所、陸先輩と揉めてるんですけど、どうしますかー!」
楓は大きく息を吸い込み、いつもの頼れる部長の声で応えた。
「今行くわ! 喧嘩しないの! 私たちの合格祈願も兼ねて、最高に豪華な打ち上げにするんだから!」




