2.二人だけの祭
「はい、二人とも1時間休憩! 部長命令よ。ここからは私たちが代わるから」
橘楓が、機械的なまでに効率よく動き回る結と蒼太の背中を、包容力のある掌でポンと押した。 星陽祭2日目の午後。最大のピークを越え、ようやく訪れた交代制の休憩時間だ。
「えっ、でもまだ列が……美咲先輩の言う『回転率』が落ちちゃいます」
「大丈夫。2年生の陸くんたちと、引退間近の私たちが意地を見せるから。せっかくの文化祭、あなたたち二人で開発したメニューがこんなに愛されてるんだもの。少しは外の世界を見てきなさい」
楓の温かな笑顔に押し切られ、二人はバリスタエプロンを脱いだ。
一歩テラスの外へ出ると、そこは暴力的なほどのエネルギーに満ちた別世界だった。 廊下には焼きそばのソースが焦げる匂いや、揚げたてのポテトの香りが漂い、お揃いのクラスTシャツを着た生徒たちが歓声を上げながら行き交っている。
「すごい人だね、蒼太くん。……気分、悪くなってない?」
結が心配そうに隣を歩く蒼太を見上げる。蒼太は少しだけ肩を竦め、深く息を吸った。以前ならこの「陽キャの洪水」に溺れていただろうが、今は不思議と、その熱狂を客観的に楽しむ余裕があった。
「うん。……結さんと一緒なら、不思議と大丈夫みたいだ。というか、この喧騒も『味』の一部に思えるんだ」
その言葉に、結は不意を突かれたように頬を染めた。
「もう……そういうこと、さらっと言えるようになったんだね。……じゃあ、行こ! 吹奏楽部のコンサート、もう始まっちゃう!」
結は自然な動作で、蒼太のシャツの袖をぎゅっと掴んだ。 人混みを縫って歩く間、その袖を通した感触が、蒼太の腕にじわりと熱を伝える。
体育館の重い扉を開けると、そこには音の壁があった。吹奏楽部による力強いブラスバンドの音が、建物の空気を物理的に震わせている。華やかなファンファーレ、腹に響くバスドラム。高校生活という短い季節の、二度と戻らない一瞬の輝きを音符に閉じ込めたような旋律。
二人は体育館の後方、少し薄暗い場所で、互いの肩が触れ合うほどの距離で並んで聴いた。 曲の間、結が背伸びをして蒼太の耳元に口を寄せた。
「ねえ、蒼太くん。来年も……再来年も。また一緒に、こうして回れるかな」
大音量の演奏にかき消されそうな、震えるような小さな声。 蒼太は結の横顔を見つめた。ステージの照明が逆光になり、彼女の細い髪が金色の糸のように透けて見えた。
「……回ろう。来年も、再来年も。僕たちがこのテラスを守り続けている限り、僕たちの場所はここにあるから」
蒼太の少しだけ意志の強くなった言葉に、結は嬉しそうに目を細めて微笑み、掴んでいた袖を、そっと離して、今度は自分の小指を蒼太の小指に、見えないように絡ませた。
二人は模擬店で買った1本のチョコバナナを、半分こにして食べる。
「あ、これ、ちょっとエチオピア産の豆の香りに似てない? ベリー系の甘みがある」
「……本当だ。カカオのローストが深い分、酸味が際立ってるんだね」
何を見ても、何を味わっても、結局はコーヒーの論理に繋がってしまう。 自分たちの「職業病」とも言える性質が可笑しくて、二人は祭りの喧騒の中心で、誰にも聞こえない秘密の共有を噛み締めながら笑い合った。




