6.勝利の予感
結は、間接キスの事実に胸を高鳴らせながらも、必死にプロの顔に戻った。
結と蒼太は、美咲に最終レシピ「紫影のノクターン・ラテ」を提出した。ほうじ茶の香ばしさを緩衝材に使い、紫芋の甘味を活かすという論理的な説明と、蒼太のテイスティングによる絶対的な裏付け。更に、ほうじ茶ペーストを事前に大量製造することで、提供時間もクリアした。
美咲は、その味の深さと、効率的なオペレーション(ほうじ茶紫芋ペーストの事前製造)の両立に、思わず感嘆の声を上げた。彼女の厳格な表情が緩み、テラスの未来を確信する安堵の表情に変わる。
「……完璧だわ。私の論理だけでは、この『魂』には辿り着けなかった。ほうじ茶を緩衝材にするという発想、素晴らしい。結、日向くん、あなたたちの絆の味よ。これなら、テラスの未来は安泰ね」
美咲は、自分の焦りから結に厳しく当たってしまったことを、言葉にはしなかったが、深く反省した。
楓、翔、美咲の三年生トリオは、新メニューの完成と、結・蒼太コンビの成長を見て、安堵と誇りを感じた。それは、受験という次の目標へ向かう彼らにとって、最高の置き土産となった。
翔は蒼太の肩を叩いた。その手のひらには、技術者としての信頼が込められていた。
「これで、俺たちも安心して受験に集中できる。テラスの未来は、お前と結に任せる。お前たちのコンビは、俺たちが築いたテラスの土台を、さらに強固にしてくれるだろう。期待しているぞ」
いよいよ文化祭前日。全校生徒が帰宅し、静まり返った夜の校舎。
最終チェックのため、テラスに残ったのは、結と蒼太だけだった。夜のテラスは静かで、照明も落とされ、昼間の喧騒が嘘のようだ。窓から差し込む街灯の光が、エスプレッソマシンをぼんやりと照らしている。二人の間には、昼間の試作の時とは違う、甘く、静かな緊張感が流れていた。
結は、蒼太への想いが胸の中で熱くなっているのを感じながら、静かに語りかけた。
「明日、本番だね。今日まで、本当にありがとう、蒼太くん。蒼太くんの味覚が、テラスの魂を守ってくれた」
蒼太は、結のまっすぐな瞳を見つめた。あの指先の熱と、秘密のカップの記憶が、彼の胸を締め付けている。その記憶は、彼の心の中で、もう消せない特別な輝きを放っていた。
「ううん。僕の方こそ。結さんがいなかったら、僕の感覚はただのノイズで終わっていた。結さんが、僕の世界を言葉にしてくれたから、新メニューができたんだ」
蒼太は、自分でも驚くほど素直な言葉を口にした。
「結さんは……僕の特別な人だよ。テラスで、僕の全てを理解してくれた、たった一人の人だから」
結は、蒼太の告白めいた言葉に、顔が熱くなるのを感じた。心の中では、今すぐにでも彼の胸に飛び込みたい衝動に駆られる。しかし、今はプロとしてテラスを守るという使命がある。
「特別な人……うん。ありがとう……」
「……?」
結は、蒼太の言葉に、自分の恋の感情をプロ意識で押し隠す。
「ううん、何でもない……。明日から、頑張ろう。私たちの紫影のノクターン・ラテで、美咲先輩たちに、最高の卒業の花道を飾ってあげたい。そして……このテラスの未来を、私たちが絶対に守り抜く」
目の前には、文化祭の活気を待つ、静かに佇むエスプレッソマシン。
二人は、心に甘酸っぱい秘密と、テラスの未来を賭けた大勝負への熱い決意を抱き、星陽祭の夜明けを迎える。




