2.街の雑音
週末。桜川市の中心街。
結は流行りのモスグリーンのワンピースを着こなし、街の雰囲気に完全に溶け込んでいた。彼女の笑顔は太陽のように明るく、人々の視線を集めていた。一方の蒼太は、黒のシンプルなTシャツにチノパンという地味な服装で、普段の制服姿より数段、緊張していた。彼はまるで、風景の一部になろうとしているかのように、結の半歩後ろを歩いていた。
「今日は美咲先輩の言う『トレンド』をチェックするよ! まずは、ここ『ネオン・ジェニック・カフェ』に行ってみよう!」
結に連れられて蒼太が入ったのは、若者でごった返す、SNSで話題の店だった。店名の通り、店内は青とピンクのネオンサインで飾られ、大音量のポップミュージックが流れ、客たちは笑い声と写真撮影のフラッシュを上げている。それは、蒼太が最も苦手とする「陽キャ」の文化を凝縮したような空間だった。
蒼太は、その喧騒と空気感に一歩足を踏み入れた瞬間から、全身の毛穴が開ききったような感覚になり、すべてが過剰に感じられ、硬直した。
(無理だ……! みんな、楽しそうに笑って、完璧にコミュニケーションを取っている。僕にはこの周波数が合わない。この場にいるだけで、僕の存在が場のノイズになってしまう気がする……!)
彼は、大きな声で話すことも、自然に笑うこともできない自分を責めながら、壁際を選んで身を縮こまらせた。
結が注文したのは、五種類の色鮮やかなシロップとフルーツを使った「レインボー・エナジードリンク」だった。見た目の派手さは美咲の要求を満たしていた。結は「写真映え最高!」と盛り付けに夢中だ。
蒼太は恐る恐る一口飲んだ。彼の繊細な味覚が、情報過多でフリーズする。
(五つのシロップの「派手な蛍光色」が、すべて口の中で爆発している! ライムの「刺々しい葉の音」が、周囲の客の甲高い笑い声と混ざり合い、頭の中で無秩序なパーティが開かれている! 味が、全然調和していない……! ただの雑音だ!)
彼はドリンクを置いた。彼の感覚器官が拒否反応を起こし、軽い吐き気に襲われた。
結は、すぐに蒼太の異変に気づいた。彼の顔から血の気が失せ、指先が微かに震えている。彼の繊細な感性が、味の不協和音と周囲の騒音の両方から激しく攻撃されているのが、傍目にも明らかだった。
「ごめん、蒼太くん。すぐにここを出よう」
結はすぐに会計を済ませ、蒼太の手首を掴んで人混みから脱出した。
人混みを抜け、二人は静かな公園のベンチに腰を下ろした。9月の強い日差しが、木々の葉を揺らしている。蝉の声が微かに聞こえるだけの、穏やかな空間だった。
「大丈夫? 蒼太くん。無理させちゃってごめんね」
結は心から心配していた。
蒼太は俯き、自分の無力さに打ちひしがれていた。
「結さん、ごめん。僕、こんなところでまた情けないところを見せちゃって……」
「情けないなんてことないよ。大丈夫。蒼太くんの感覚が合わなかっただけ」
「いや、情けないよ。僕、小中学生の頃からずっと超内気で、人の視線が怖くて、何を話していいかわからなくて、いつも一人だった。友達も本当に少なかったんだ」
蒼太は、自分の過去の孤独を、結に正直に打ち明けた。普段なら絶対に口にしない、深い内面の傷だ。
「バリスタ部に入って、楓部長や先輩たち、そして結さんや蓮とも少しずつ話せるようになったのに……またああいう場所に連れて来られた途端、周りの完璧な陽キャたちに圧倒されて、パニックになっちゃった。コーヒーの味を通してなら、なんとか人と繋がれる気がしたんだ。でも、ああいう人混みだと、また孤立してしまうんじゃないかって……急に不安になって。助けてもらうような形になって、本当にごめん」
結は、彼の話を最後まで真剣に聞き、何も言わずに蒼太の震える手の上に、そっと自分の手を置いた。
「ありがとう、話してくれて。でもね、蒼太くんのそういうところが、私にとってすごく大切なの」
結は優しく言った。
「蒼太くんは、普通の人が感じられない繊細なものを見ている。だから、あのカフェのドリンクが『騒音』に聞こえるんだよ。それは、すごく特別な才能だよ。それを、情けないなんて思わないで」
結の言葉に、蒼太の心は温かくなった。誰にも理解されない孤独な感覚を、結だけはまっすぐ受け止めてくれる。彼女の掌の温もりが、彼の不安な心を優しく包み込んだ。彼女への信頼が、また一つ深まった瞬間だった。




