3.町工場のプロフェッショナル
町工場の隅、溶接の火花が届かないエリアに、エスプレッソマシンは分解された状態で鎮座していた。翔はそこを「特設バリスタ技術支援ラボ」と名付け、作業を始めた。
翔が精密部品を扱う手つきは、テラスで機材を磨いていた時とはまるで違った。一つ一つのパーツを慎重に取り外し、マイクロメーターで摩耗度を測り、原因を探っていく。彼の集中力は凄まじく、まるで機械の一部になったかのようだった。
「このボイラーの圧力調整弁だ。長年の使用と熱による金属疲労で僅かにズレが生じてる。そのズレが、水を送るポンプの制御基板に過負荷をかけて、ショートさせたんだ」
翔は精密な作業を続ける傍ら、ノートに詳細な図面と数値データを書き込んでいく。そのノートは、学校の授業と香月との対話で培われた、計算された理論と、町工場での実践的な経験が融合したものだった。彼の指先は、コーヒーの粉ではなく、金属の微細なズレを感知することに慣れていた。
昼休憩になると、父親がやってきて缶コーヒーを差し出した。
「電子回路の修理なんて、高校生には荷が重いんじゃないか? 制御基板は、専用のカスタム部品だろう。下手にいじって、制御不能になったら元も子もない」
「ああ、だから、今回は自分で何とかするしかないんだ」
翔は手を止めずに答える。
「部品を待っていたら、2週間はあっという間に過ぎる。テラスの信用を失うわけにはいかない。プロは、ピンチでも最善の品質を追求する」
「信用か。修理は、直すだけでなく、品質を保証することだからな。まあ、無理なら潔く諦めろ。機械は嘘をつかないぞ。お前が手を加えた結果は、必ずコーヒーの味に出る」
父親はそれだけ言い、必要な特殊工具を置くと、自分の持ち場に戻っていった。
翔は香月との約束を守り、徹夜など無茶な作業はしない。夜は、自宅に戻って設計図とメモを広げ、故障の原因と代替部品の製造方法を練った。高校生が扱うにはあまりに高度な作業だったが、テラスの仲間たちの顔が、彼を突き動かした。彼は、機械の修理を通じて、バリスタとしての自分の責任を果たそうとしていた。
一方、テラス側も工夫を凝らしていた。
「エスプレッソマシン点検中! 今日は、豆の個性を最大限に引き出す『シングルオリジン・ドリップ』の特別営業です! 繊細な豆の個性を感じてみませんか? いつものブレンドとは違う、新しい発見がありますよ!」
結が、SNSでポジティブな発信を続けている。彼女は、危機をチャンスに変える広報のプロだった。
「ドリップの練習は、軽井沢での特訓の成果を試すいい機会よ。今は、エスプレッソマシンがないからこそできる、ドリップの繊細さを追求しよう。いつもより抽出時間を長くして、甘味を引き出すの」
楓は、部員たちの士気を維持しようと努めていた。
そんな中、真琴がタブレットの画面を楓に見せ、指摘する。
「ドリップの技術向上で客単価は上がっています。楓先輩のリーダーシップと、蒼太くんの繊細な抽出のおかげです。でも、集客数はエスプレッソがある時の半分以下です。教職員の方々が戻ってきていないのは、彼らが『手軽に飲める濃い一杯』を求めているからです。テラスの魅力は、やはりエスプレッソが持つ『専門性』、つまり高品質なカフェイン供給源という側面が大きかった」
部員たちは、翔がいない中で、自分たちがテラスの「顔」になろうと必死だった。しかし、テラスの根幹を支える「歯車」が欠けている事実は、覆いようがない。皆が、翔の存在と、マシンの威力を改めて痛感していた。
修理3日目の午後。
翔は、最も深刻な問題に直面した。故障したポンプ制御基板は、テラスのエスプレッソマシン特有のカスタム部品で、市販の汎用部品では置き換えが効かないと判明したのだ。マシンの安定稼働に必要な、微細な圧力調整を行うための、メーカー独自のロジックが組み込まれていた。
「これでは、部品が来るのを待つしかない。期限切れだ……。俺の技術じゃ、物理的な修理はできても、このカスタム基板のロジックまでは再現できない……」
翔は顔を上げ、工場の金属の匂いと、機械の駆動音を聞いた。そして、目の前の難題に、町工場で培った技術で挑むことを決意する。
「いや、待ってる時間なんてない。代替部品の自作、あるいは、既存の回路を流用して、熱対策と圧力制御をアナログで補うしかない。期限は迫っている。やってやる」




