5.偽りの敗北
2日目の夕方。部員たちの間には、疲労と、指導への反発が限界に達していた。特に、自分の技術とプライドを否定され続けた蓮は、完全に集中力を失い、特訓の意味を見失っていた。
夕食後、蓮、結、陸の三人は、香月や楓に断ることなく、セミナーハウスの裏手の森へ向かう小道を、まるで逃げ出すように歩いていた。涼しい夕暮れの軽井沢の風景、遠くで鳴く鳥の声が、かえって彼らの重い気分を強調していた。
「もうやってらんないっす! こんな厳しい指導、何の意味があるんだ! 完璧じゃないと、テラスを続けてはいけないっていうんですか!」
蓮が怒鳴った。彼の怒りは、技術の壁を超えられない自分自身への苛立ちでもあった。
「そうよ。この合宿に来たのは、コーヒーをもっと好きになるためだったのに。先生は、私たちから『好き』という感情を奪おうとしているみたい。あんなに冷たいコーヒーを淹れても、誰も幸せになれないよ」
結は、感情を無視した指導に、拒絶反応を示していた。
「蓮の気持ちはわかる。技術向上の必要性は理解しているが、このままじゃ部がバラバラになる。俺たちはテラス存続のために、楽しく、地域に愛される場所を目指していたはずだ。この指導は、そのテラスのコンセプトからかけ離れている」
陸は、部の方針と、香月の指導のズレに苦しんでいた。
蓮は、先日の炎上騒動を乗り越えた成功体験にしがみついていた。
「俺たちが目指すのは、楽しくて、地域に愛されるテラスです! 完璧なプロの競技会じゃない! 誰からも認められたテラスの成功を、なんで先生は否定するんですか!」
彼は、現状の「そこそこの成功」の心地よさに浸ることで、指導の厳しさから目を背けようとしていた。
楓と美咲が彼らをなだめようと追いついてきたとき、彼らは議論を放棄し、感情を爆発させていた。
「落ち着いて、蓮。先生もテラスのことを思って、私たちを一流にしてくれようとしているんだと…」
楓が声をかけるが、蓮の激情は収まらない。
「テラスのことを思っているなら、俺たちの気持ちも考えてほしいですね! 俺はもう疲れた! 明日もあんな指導が続くなら、俺はもうやめます!」
蓮の激しい拒絶の言葉は、テラスの調和を打ち砕くものだった。彼らのサボり行為と、指導者への不信感は、このままでは部が内部分裂を起こすという、精神的な「偽りの敗北」を経験させるのに十分だった。彼らは、目の前の技術的な壁ではなく、心の壁に敗れ去ったのだ。
遠く、セミナーハウスの窓から、香月は静かに見つめていた。その表情は、冷徹さを装いながらも、どこか深い悲しみを帯びており、感情を読み取ることはできなかった。彼女は、彼らの反発を、まるで予測していたかのように、ただ静かに受け止めていた。




