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星陽高校バリスタ部  作者: やた
第2話 コーヒーが繋ぐ、初めての仲間

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5/19

1.教室の重圧

 私立星陽高等学校の桜の木は、入学式から数日が過ぎ、既に青葉の勢いを増し始めていた。新入生たちが抱く期待と不安は、葉擦れの音のように静かに、そして絶えず校舎の隅々まで響き渡っている。日向蒼太のクラス、1年B組の教室は、今、彼にとって最も耐え難い「騒音」の渦中にあった。


 休み時間のたびに、教室の空気は粘度を増し、熱を帯びる。隣の席の山崎をはじめとする生徒たちは、まるで長年の友のように、新しい情報や趣味を交換し、瞬く間にグループを形成していく。スマホゲームの話題、流行の音楽、週末に行く予定の場所。彼らの会話は淀みなく、失敗を恐れることなく、空気中に軽やかに飛び交い、互いの笑顔という反射板に当たって、さらに大きな笑い声となって教室を満たした。


  蒼太は、自分の机の上で、まるで防御壁のように教科書を立てかけていた。昨日までの「バリスタ部で頑張ろう」という高揚感は、既に彼の内ポケットに隠した付箋の角のように、鋭く、しかし小さく折りたたまれてしまった。残るのは、数十人の同年代の人間が発する「活気」の総量に圧倒された、重い疲労感だけだった。


(どうして、こんなに簡単に、みんな笑えるんだろう。こんなに自然に、自分のことを話せるんだろう)


 彼の脳内では、常にシミュレーションが働いていた。もし、あの会話に加わるなら。


「僕も、あのゲーム、ちょっとやってます」


――この一言を口にするまでに、彼は十数パターンの失敗を想像する。


「もし、『どれくらい進んでる?』と聞かれたら、どう答える?」


「もし、僕の発言で、会話の流れが途切れて、みんなが困った顔をしたら?」


 シミュレーションの最終結果は、常に「場の空気の停滞」という、彼にとって最も恐ろしい結末に行き着く。そして、彼の唇は固く閉じられる。


  隣の山崎が、またこちらを振り返る。


「よう、日向。お前、ずっと参考書とにらめっこじゃん。なんか話ねぇの?」

 

 蒼太は、弾かれたように顔を上げる。焦燥感で心臓が激しく脈打つ。


「う、うん……あ、あの……ごめん。その、あんまり、詳しくないから……」


 山崎は、彼の言葉の詰まりに一瞬だけ寂しそうな顔を見せるが、すぐに明るい表情を取り戻し、「そっか!じゃあ、後で聞かせてくれよな!」と言って、再び前列のグループに戻っていった。


(まただ。僕のせいで、山崎くんをまた傷つけた。僕は、本当にいるだけで、みんなの邪魔になる)


 自己嫌悪の波が、蒼太の心を冷たい水で満たしていく。この場所にいること自体が、彼自身の存在を否定されているように感じられた。 早く逃げたい。この明るすぎる教室の光、この賑やかすぎる笑い声から、一刻も早く逃げたい。


 彼の頭の中で、昨日の「入部します」という決意の言葉は、既に「撤回」の言葉に上書きされようとしていた。


 バリスタ部。木漏れ日テラス。 それは、彼の超繊細な嗅覚が唯一「正しく」機能した場所だ。部長の橘楓は、彼の才能を迷いなく認めてくれた。しかし、その後に続く、顧問の香月先生の冷徹な現実提示が、彼の背中を凍てつかせていた。


「接客という言葉の武器を持たないあなたに、この部活に居場所はない」


「衛生管理、経理、そして何より接客という、全てを完璧にこなす覚悟が必要よ」


(プロ意識。プロフェッショナル。僕には無理だ。一言もまともに話せない人間が、お客様からお金をいただくなんて、傲慢すぎる)


 逃避のシナリオは、既に完成していた。放課後、誰にも見つからないように昇降口へ向かい、今日は体調が悪いとでも言って、そのまま家に帰る。明日、橘部長に電話かメールで、辞退を伝える。そうすれば、誰にも迷惑をかけずに済む。


 チャイムが鳴り、中休みが始まる。生徒たちは一斉に教室から飛び出し、自動販売機や購買へ向かう。この流れに乗ってはならない。


 蒼太は、トイレに行くフリをして、人波を避け、本館の裏側、普段生徒があまり通らない、静かな裏階段を降りていった。彼の目的地は、誰もいないピロティの隅だった。そこで、ひたすらチャイムが鳴るのを待つつもりだった。

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