6.芸術の交差
神崎は、部員たちの前で、改めて戸田に頭を下げた。彼女の表情には、以前のような冷徹さではなく、一人の芸術家としての謙虚さが滲んでいた。
「戸田くん。あなたの芸術は、私たちのキャンバスに、一番大切な『温度』を教えてくれた。私は『永遠』という目標に縛られすぎて、部員たちの、そして鑑賞者の心を置き去りにしていました。私たちの理想は、あまりにも冷たかった」
神崎は、美術部の目標を部員たちに向かって、明確に修正した。
「私たちが目指す『不朽の芸術』は、ただキャンバスに残ることではない。作品を鑑賞した人の心に、戸田くんのラテアートが刻むように、永遠に消えない『温かい記憶』として残ること。その温かい記憶の作り方を、私たちは戸田くんから、そしてテラスから、継続的に学ぶべきよ」
重圧から解放された美術部員たちは、再び作品制作に熱意を取り戻した。遠野のデッサンには、戸田のラテアートのような「生きた線」が宿り、萩原の色彩は優しさと情感を増した。
戸田もまた、美術部との交流を経て、スランプを完全に脱却していた。
(自分の芸術の価値は、他人が決めることじゃない。自分が、「温かい記憶を刻むための芸術」だと定義し、追求すればいいんだ)
彼は、ラテアートを単なる技術や趣味ではなく、「人々の心に温かい瞬間を刻む、一瞬の芸術」として、生涯追求することを誓う。
その日、神崎は戸田に、美術部の活動資金で新調した高精度な注ぎ口のついたミルクピッチャーを贈呈した。それは、バリスタにとって最高の道具の一つだった。
「これは、私たちの感謝のしるしよ。あなたの技術を、さらに極めてちょうだい。そして、あなたの『一瞬の美学』を、私たちに教えて。私たちは、あなたの『温かい記憶を刻む技術』を尊敬するわ」
そして、両部活の間で、「コーヒーと芸術の交流会」を定期的に行うことが決定した。美術部がテラスでスケッチを行う日を設け、バリスタ部が美術部員に抽出技術を教えるという、異分野の才能が互いに刺激し合う、継続的な関係性が築かれた。テラスは「様々な才能が交差する場所」として、校内で新しい側面を持ち始めた。
「トダテツ先輩」
戸田に、一年生の蓮が声をかけた。彼は、いつもの真剣な職人の顔だった。
「トダテツ先輩のラテアート、あの美術部の人たちもすごいって言ってましたけど、本当にすごいと思います。俺、あの、たい焼きの餡のように、熱量が完璧なラテアートを初めて見ました。餡は熱すぎても冷たすぎてもダメで、最高の温度がある。先輩のラテアートには、その『最高の温度』があります。俺も、いつか餡と皮で、先輩のラテアートみたいな感動を生み出したいと思いました」
蓮の敬意のこもった言葉に、戸田は照れくさそうに笑った。
「蓮。お前も、たい焼きで最高の芸術を目指せ。媒体は違えど、目指すところは同じだ。テラスの芸術は、全て『温かい記憶』を刻むためにある」
テラスのカウンターで、戸田は改めてラテアートを淹れた。彼の淹れるラテアートには、以前のような技術的な完璧さだけでなく、「この一杯で、あなたを癒したい」という、人間的な温かさが加わっていた。
蒼太は、そのラテアートの匂いに、以前の「空虚な匂い」ではなく、「熱と優しさがバランスよく融合した、美しい匂い」を感じ取り、静かに笑みを浮かべた。楓は、二人の芸術家の成長を見守りながら、テラスが持つ無限の可能性を感じていた。
戸田の芸術は、数分で消える運命でありながら、客の心に確かな「不朽の記憶」を刻み続けていく。テラスの光が、その美しい一瞬をそっと照らしていた。




