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星陽高校バリスタ部  作者: やた
第6話 消えゆくラテと不朽のキャンバス

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3.表現の壁と熱意

 翌日から、放課後、戸田の姿は美術室にあった。テラスのカウンターから、今度は油絵具の匂いが立ち込める空間へと舞台を移した。


 美術室は、油絵具とテレピン油の匂い、そして静かな緊張感に満ちていた。戸田が借りたのは、隅のイーゼルと、白いキャンバス。彼は、ラテアートで培ったデッサン力と構成力を駆使し、コーヒーの泡の質感、流れるミルクの曲線、そして一瞬で消えゆく美しさをテーマにした抽象画を描こうと試みた。


 美術部員たちは、最初、戸田を「異物」として、冷ややかに見ていた。彼らは、戸田の突然の来訪を、バリスタの「遊び」だと決めつけていた。


「何よ、あのバリスタ。ラテアートが描ければ、絵画も描けると思ってるんでしょ。安易だわ」と、萩原は筆を動かしながら、戸田の挑戦を軽蔑の目で見た。


「技術的なデッサンは上手いが、描くものに魂がないな。彼は『静止』という表現のルールを理解していない」と、遠野は静かに観察した。


 戸田の筆は、驚くほど正確だった。しかし、彼の描く泡は、キャンバス上では「ただの白い絵の具の塊」にしかならなかった。熱を持たず、動かず、香りもなく、飲む人の感情を伴わない。


(なぜだ? この流れるような曲線は、液体の中では命を持っていたのに。ミルクの質感、エスプレッソの深み、そして湯気という『時間』の要素が、キャンバスの上では、ただの静止画にしかならない……!)


 ラテアートの主題である「流動性」「温度」「一瞬の躍動感」は、キャンバスという「静止した空間」では、跡形もなく消え去ってしまう。戸田は、ラテアートで表現していた「生きた要素」を、筆で表現できないことに絶望した。筆を持つ手が止まり、戸田は描きたいものがキャンバスの外、カップの中にしかないことを痛感した。


 戸田は、連日、夜遅くまで美術室に残った。彼は、キャンバスの白い空白と格闘し、時に苛立ち、時に絶望した。彼の絵は進まなかったが、彼の周りには、抽出の熱、エスプレッソの香り、そして何よりも「最高の作品を生み出したい」という、凄まじいまでの熱意が立ち込めていた。


 その戸田の熱意に、美術部員たちの視線が変わる。彼らは、戸田の技術よりも、彼の「本気の苦悩」に惹きつけられた。


「……あの人、本気だ。私たちは『不朽』という目標の重さで描けないのに、あの人は『儚い』と言われた自分の芸術を証明するために、ここまで必死になっている」


 萩原は、戸田がキャンバスの前で技術の限界に苦悩し、手が絵の具まみれになっても諦めない姿を見て、呟いた。


 萩原は、自分のキャンバスを見る。彼女の描く絵は、いつも感情の爆発を表現していたが、最近は描くことに疲れ、色がくすみ、筆が止まりがちになっていた。彼女は戸田を見て、自問する。


(私も、あんな風に、消えてしまうものに全力を注ぐ熱意を持っていたのかしら? 私たちの作品は、永遠に残るという保証があるのに、なぜ描くことにあんなに苦悩しないの? もしかして、私たちが描いているのは、誰にも届かない、冷たい永遠なのかもしれない)


 遠野もまた、戸田の姿から目を離せなかった。彼は、戸田の描く曲線がキャンバス上では死んでいるのに、戸田の瞳には「生きた線」への渇望があることを感じ取っていた。


(俺たちの目指す『不朽の芸術』は、本当に人の心を動かしているのか? 戸田の芸術は、数分で消えるのに、あんなにも熱い……。俺たちのデッサンは、あまりにも正確すぎて、魂が宿っていないのではないか)


 戸田の「技術を究める熱意」は、美術部員たちが「永遠に残る」という目標の重圧で見失っていた「創作の純粋な熱」を、彼らの心に逆輸入し、彼らの内なる葛藤を深めていった。

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