2.永遠への挑戦
その日、テラスに一組の客が来店した。制服の上から油絵具とテレピン油の匂いを纏った、美術部のメンバーだった。
中心にいたのは、3年生で部長の神崎 雅。長い黒髪をきっちりまとめ、その姿勢は一本の筆のように真っ直ぐで、目には何事も本質を見抜くような鋭い光を宿している。彼女の横には、1年生の萩原 澪(明るい色彩と感情豊かな作風を好む)と、寡黙でストイックな2年生の遠野 聡(緻密な写実を追求する)がいた。
「いらっしゃいませ。美術部のみなさん」
楓部長が穏やかに迎える。
戸田は、神崎のために、この日の最高の技術を尽くしたラテアートを提供した。完璧なロゼッタ。流れるような線と、泡の密度が描き出す立体感。彼の自尊心と技術のすべてが詰まっていた。
神崎は、カップを受け取ると、飲む前にその作品を一瞥した。彼女の瞳には、一切の感情が映っていなかった。
そして、その鋭い瞳で戸田を見据えた。
「技術は精密ね。数々の練習と努力の跡が見える。その努力には敬意を表するわ」
戸田は内心で期待した。しかし、彼女の次の言葉は、彼の心臓を抉るものだった。
「でも、それは芸術と呼べるのかしら。どうせ、数分後には泡が崩れ、飲んだ瞬間に消えてしまう。それは私たち美術部が文化祭で目指す『永遠に残る芸術』とは、対極にある、あまりにも儚い芸ね」
神崎の言葉は、まるで氷の刃のように冷たかった。彼女にとって芸術とは、「時間という変数を拒否し、不変の美を確立すること」だった。
萩原が慌ててフォローする。
「えー、でも神崎部長、これすごく可愛いですし、綺麗ですよ! 消えちゃうからこそ、価値があるんじゃないですか?」
だが、神崎は首を横に振る。
「可愛らしさと芸術の価値は別よ、萩原。戸田くん。あなたの一瞬の美は、飲んだ瞬間に忘れ去られる。それは芸術ではなく、ただの演出。『記録として残らないものに、永続的な価値はない』。それが私の美学よ。私たちは、五年後、十年後に誰かの心を打つ作品を残すの」
戸田のプライドが激しく反発した。
「残ることに、絶対的な価値があるとは限らない! ラテアートの美学は、消える一瞬にこそ、客の心に刻まれる鮮烈な記憶にある! その瞬間の感情の爆発こそが、不朽の絵画にも勝る価値だ!」
神崎は笑わず、ただ静かに言った。
「鮮烈な記憶、ね。その記憶が薄れたとき、何が残るのかしら。私たちは、記憶そのものを具現化し、永遠に残すことを選ぶわ。あなたの『一瞬の芸術』は、結局、自己満足で消費される運命なのよ」
神崎たちはテラスを去り、戸田は激しい虚無感に襲われた。自分の芸術は、「消費されるもの」として軽視され、彼の魂を込めた技術を否定された。
「トダテツ」
楓が優しく声をかけた。
「神崎さんの言葉に、そんなに囚われることはないわ。彼女は芸術の本質に真面目なだけよ」
「でも、楓部長。彼女は正論を言いました。俺のラテアートは、明日にはもう存在しない。技術だけが残る虚しいものだ」
楓は戸田の肩に手を置いた。
「ラテアートの価値は、消えるまでの時間ではなく、消える瞬間に客の心に残るもの、その一杯から客が受け取る温かさにあるの。トダテツ。あなたは、その『温かい記憶』を刻むために、技術を使っているはずでしょう? それが、テラスの芸術よ」
楓の言葉は、戸田の胸に深く響いた。しかし、彼の心はすでに神崎の言葉に支配されていた。
(そうだ。俺の芸術が「儚い芸」ではないことを証明してやる。俺の技術は、永遠に残るキャンバスの上でも通用することを!)
戸田は、美術部の画材を借り、絵筆を持つことを決意した。それは、彼の「一瞬の美学」を否定した「不朽の芸術」への、無謀で焦燥的な挑戦だった。




