1.技術の空虚
梅雨の切れ間。星陽高校の中庭に建つ「木漏れ日テラス」は、薄曇りの空の下でも独特の柔らかい光に包まれていた。人工芝の鮮やかな緑が、この季節の重たい湿気をわずかに吹き飛ばしてくれるようだった。
バリスタ部二年の戸田哲也は、カウンターで淡々とラテアートを制作していた。
エスプレッソを抽出する音、スチーミングでミルクを泡立てる音。そのすべての工程が、機械のように正確で、寸分の狂いもない。彼がカップに注ぎ出すフリーポアのラインは、いつも完璧な左右対称を描き、緻密なチューリップやロゼッタが液面に咲き誇る。彼の技術は、もはや「職人技」ではなく、「芸術」の領域に片足を突っ込んでいると自負していた。
「はい、お待たせしました。本日のサービスラテです」
戸田は、女子生徒にカップを手渡した。彼女は目を輝かせ、「うわ、すごい! トダテツのラテ、いつ見ても芸術だね! これを飲むのがもったいないよ!」と感嘆の声を上げる。
しかし、その声は純粋な技術への「驚き」であり、魂を揺さぶられるような「感動」ではないことを、戸田自身が一番よく理解していた。
「……空虚だな」
カウンターの奥で、彼は心の中で呟いた。
彼は確かに技術を極めた。大会に出れば上位も狙える。だが、ここ数週間、彼の心は乾ききっていた。新しいデザインのインスピレーションが湧かず、過去のパターンを正確に再現するだけの毎日。彼のラテアートは、まるで高精度な印刷物のように「正確すぎる」だけで、そこに戸田自身の感情や、客への深い共感が込められていなかった。彼の完璧さは、かえって彼を孤独な檻に閉じ込めていた。
(俺は、技術の追求という自己満足に囚われ、本当に描きたいもの、誰かの心を温めたいという初心を見失ってるんじゃないのか? この完璧な美しさは、誰のためでもなく、ただ俺自身のためだけのものになっている)
その日のテラスは、三年生の橘楓部長と河合翔副部長、そして二年生の沢村陸、望月雫、一年生の日向蒼太、潮崎蓮がそれぞれの持ち場で忙しく立ち働いていた。
陸が持ち前の明るさで客の笑いを誘い、楓がその空気を優しく包み込む。雫はタブレットで在庫と抽出効率のデータを分析し、戸田のラテアートのパターンがデータ上も完全にマンネリ化していることを静かに確認していた。たい焼き担当の蓮は、いつものように真剣な表情で鉄板に向かい、最高の焼き加減を追求していた。
彼らの仕事には、客の心に届く「温かさ」が詰まっていた。だが、戸田の作品には、その温度が欠けていた。
「トダテツ、どうした? 今日のロゼッタ、線は完璧だけど、なんかこう、生命力がないっていうか、線が硬いぞ」
陸がラテアートを見て指摘した。戸田は「気のせいだ」と冷たく返す。
「そうか? お前のラテアートは、いつも上手いけど、最近はちょっと優等生すぎるな。もっと泥臭い感情をぶつけて遊べよ。コーヒーは生き物だぜ」
陸はそう言って、再び客の対応に戻った。戸田は自分の冷たさに気づきながらも、どうすることもできなかった。彼は、自分の芸術が、客の感情から切り離された、技術の檻の中で立ち尽くしているのを感じていた。




