2.数字の拒絶
「みんな、ちょっといいか! 素晴らしいニュースがあるんだ!」
接客のピークが過ぎた午後のひととき、部長の陸が興奮を抑えきれない様子で部員たちを呼び集めた。その逞しい腕には、丁寧に梱包された大きな段ボール箱が大切そうに抱えられている。
「昨日、園芸部の温室修理を助けに行ったお礼に、食用花――エディブルフラワーをたくさん譲ってもらったんだ! これを浮かべた新春らしい特別メニュー『フラワーラテ』を期間限定で出さないか? 冬の寒さを忘れさせるような、最高の華やかさを提供できるはずだ!」
箱が開かれると、宝石を散りばめたような鮮やかなパンジー、ビオラ、カレンデュラが溢れ出した。冬の乾燥した空気の中に、かすかな春の息吹を思わせる花の香りが混じる。
「おっ、いいじゃん。彩りのバランスは僕に任せろ。ラテの白い表面に花びらが描く曲線を計算して、バリスタの技術と自然の美を融合させた最高のアートに仕上げてやるよ」
ラテアート担当の戸田哲也が、身を乗り出して花びらに触れた。彼の瞳には、新しいキャンバスを見つけた芸術家のような情熱が宿っている。
「わあ、可愛い! これは絶対に映えますね! すぐにスマホで最高の一枚を撮って、SNSの告知記事を書かなきゃ。フォロワーが一気に増える予感がします!」
結が目を輝かせ、隣にいた品質管理担当の日向蒼太を振り返った。
「蒼太くん、どうかな? お花に合う豆の選定、いける?」
蒼太は少し戸惑いながらも、慎重に花の香りを確かめ、指先で感触を確かめた。
「……うん。花の繊細な香りを邪魔しない、フルーティーな酸味を持つ浅煎りのエチオピアをベースにすれば……華やかで透明感のある一杯になると思う。ぜひ、やってみたい。抽出のプロファイルを見直すよ」
羽純凛も、クールな表情を崩さずに頷いた。彼女の冷静な分析眼が光る。
「抽出の温度管理が鍵になりますね。エディブルフラワーの鮮度や色彩を損なわないよう、提供時の液温を通常より数度微調整すれば……見た目も味も完璧なドリップを提供できます。検証が必要です」
盛り上がる部員たちの輪。そこへ、水を差すのではなく、すべてを凍りつかせるような真琴の冷然とした声が響いた。
「――却下よ。その提案、今は受け入れられないわ。速やかに園芸部にお返ししてきなさい」
「真琴? どうしてだよ。仕入れ値はゼロだし、利益率は最高のはずだ。お客様も喜んでくれるぜ」
陸が驚いて聞き返すが、真琴は事務デスクを四色ペンでコツコツと叩きながら、早口でまくし立てた。
「陸、経営を感情や表面上の利益だけで見ないで。花の洗浄手順の策定、適切な温度での保存管理、さらには食物アレルギー対応のガイドライン作成……。一杯あたりのオペレーションコストを考えたことがある? 蒼太くんや凛さんの抽出時間がどれだけ膨らむと思っているの? 今の私たちに、そんな贅沢なリソースはないわ」
「それは……みんなで工夫すればなんとかなるって。一歩踏み出すのが部活だろ?」
「『工夫』なんていう曖昧な言葉で逃げないで。部長のあなたの軽い思いつき一つで、バックヤードの事務処理やリスク管理がどれほど膨れ上がるか、具体的に想像しなさい。私はテラスを守るために動いているの。無責任な『遊び』は必要ないわ」
テラスの空気が、瞬時に絶対零度へと叩き落とされた。真琴の正論はあまりに隙がなく、論理的には非の打ち所がなかった。けれど、その言葉には仲間の熱量を完全に否定する冷酷さが混じっていた。
「真琴さん、そんな言い方しなくても……みんな、テラスをもっと良くしようと思って……」
結が震える声で言うが、真琴はそれを氷の刃のような視線で断ち切った。
「結ちゃんも、広報記事の修正が終わっていないでしょう? 自分の責任を完璧に果たしてから、新しい提案をしてもちょうだい。感情論で組織のルールを曖昧にしないで」
「……はい。すみませんでした」
昨年、閉鎖の危機から赤字を解消しテラスを救ったという自負が、皮肉にも真琴を頑なな檻へと追い詰めていた。彼女は二度と失敗したくない一心で、テラスから「不確定要素」としての遊びを排除しようとしていた。その「正しさ」が、今、仲間の絆を静かに引き裂こうとしていることに、彼女自身はまだ気づいていなかった。




