6.おみくじと絵馬の願い
茶室での温かく、けれど少し背筋の伸びるような贅沢な時間を終えた一行は、すっかり橙色の陽が傾いた境内へと戻った。
夕闇が忍び寄る中、境内の石灯籠には次々と柔らかい火が灯り始め、朱色の巨大な鳥居が、雪の予感を含んだ群青色の空に対して幻想的に浮かび上がっている。
「最後におみくじ、みんなで引きましょうよ! 一年の運勢、バリスタ部らしく占ってみましょう!」
結の提案で、十人の部員と顧問がそれぞれのおみくじを引き、一喜一憂の声が境内に響く。
「よっしゃあ! 大吉だ! 『失せ物出る、待人来る』だって! 最高のスタートだぜ!」
陸が拳を突き出す。一方で雫は「小吉……『勉学に励め、怠慢を戒めよ』。神様は私の性格をよくご存知のようね」と、苦笑いを浮かべていた。
そして、真琴と凛が社務所から「特別に許可をもらったんだよ!」と調達してきた、通常の数倍はある特大の絵馬。
「ここに、みんなでバリスタ部の今年の目標を書こう! 一つだけの大きな願い!」
三年生から一年生まで、そして顧問の香月。誰が筆を執るべきかという一瞬の沈黙の中、部長の陸が静かに一歩前に出た。彼は冷たい空気の中で大きく一つ、肺の奥まで酸素を吸い込み、筆にたっぷりと墨を含ませた。そして、絵馬の真っさらな木の肌に、迷いのない力強い筆致で文字を刻んでいった。
『最高の一杯を、明日も誰かの元へ』
それは、コーヒーやたい焼き、甘酒といった具体的な品物の名前を超えた、彼らの存在意義そのものの言語化だった。
自分たちが一杯の飲み物に込める情熱や、秒単位の抽出への拘りが、これを受け取る誰かの明日を、ほんの少しだけ明るく、温かなものにするように。そのささやかな、けれど尊い願いが、桜川の神様に届くことを祈って、陸は絵馬を奉納所の最も高い場所へと、しっかりと結びつけた。
「さあ、お開きにするか。明日からはまた、春のテラスの準備が始まるぞ。みんな、準備はいいか?」
陸の号令に、全員が力強く、一点の曇りもない返事をした。
空からは、いつの間にか予報になかった、真綿のような細かな雪が静かに舞い降りていた。
灯籠の明かりに照らされた雪の粒は、まるでダイヤモンドの粉のようにキラキラと輝き、神社の風景を、すべてをリセットするかのように優しく白く染め上げていく。
「凛ちゃん、蓮くん、また学校でね! お互い、風邪引かないようにしよう!」
結と蒼太が大きく手を振り、参道の石畳を賑やかに下っていく。三年生も、二年生も、それぞれの家路へと向かい、一人、また一人と離れていく。その小さくなっていく背中を、巫女装束の凛と、職人姿の蓮は、並んでいつまでも静かに見送っていた。
「……新学期からも、また忙しくなりそうですわね。バリスタ部は、立ち止まっている暇などありませんもの」
凛が、首元に巻いたマフラーに顔を埋め、白い吐息を吐き出した。
「……ああ。あのベビーカステラ食った奴らの中に、星陽の生徒もいたからな。またカステラ食わせろと言われそうだが、あそこではたい焼きで勝負するところだからな。……負けてらんねえよ」
蓮が鼻先を鳴らし、再び自分の「職場」へと戻るために背を向けた。二人の視線は、一瞬だけ、雪の舞う空の上で重なった。
そこには、愛や恋といった言葉では定義しきれない、同じ熱量を共有する者同士の、絶対的な決意があった。
新しい一年が、今ここから始まる。
それぞれの専門性と矜持を胸に、また「最高の一杯」を、一人ひとりの客に届けるための戦いの日々が始まるのだ。静かに、けれど確実に降り積もる雪の中に、彼らの足跡が、明日へと続く確かな道となって深く刻まれていた。




