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星陽高校バリスタ部  作者: やた
第19話 緋色と煤色

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5.静かな茶室で

 境内の一角で賑やかにお喋りを楽しんでいると、不意に全員のスマートフォンが、まるで示し合わせたかのように同時に震えた。


 バリスタ部のグループチャット。発信者は、先ほどまで舞台の上で舞っていた羽純凛だった。


『皆様、お越しいただいているのは存じております。境内北側、大きな松の木の裏手に当家が管理する茶室がございます。そちらへお越しください。場所と、温かい飲み物を用意してあります』


 部員たちは顔を見合わせ、まるで魔法の招待状を受け取った子供たちのように、促されるままに境内の深部へと向かった。


 そこは参拝客の喧騒が嘘のように遠ざかり、丁寧に手入れされた雪吊りの松と、白砂の庭が広がる、時間の流れが止まったかのような静寂の離れだった。歴史の重みを感じさせる障子を静かに開けると、そこにはまだ、あの緋色と白の巫女装束を纏ったままの凛が、背筋を一筋の針のように伸ばして、畳の上に鎮座していた。


「ようこそ、皆様。改めて、新年のご挨拶を申し上げますわ」


 凛の声は、冬の深い泉の底のように澄み切っていた。


「凛ちゃん! さっきの舞、本当に、本当に凄かった! 別世界の人かと思ったよ!」


 結が感動のあまり駆け寄ろうとするのを、凛は「まずは落ち着いてお座りください」と、優雅で隙のない手つきで制した。


 彼女の前には、歴史を感じさせる大きな土鍋と、美しく磨かれた漆塗りの器が整然と並んでいる。


「お疲れの皆様に、羽純家特製の甘酒を用意いたしました。米麹のみを用い、発酵温度を数度単位で管理した自信作です。アルコールは含まれておりませんので、ご安心を」


 そう言って、凛は一人ひとりに温かな甘酒を、作法に則った流麗な動きで注いで回った。一口飲むと、麹の深く優しい甘みが体中に染み渡り、寒さで強張っていた筋肉がふわりと解けていく。それは、どんな高級なカフェラテよりも今の彼らには必要な「抽出物」だった。


「……信じられないくらい美味しい。凛さん、これも一つの『抽出』の極致だね。コーヒーとは違うけれど、素材のポテンシャルを引き出す哲学は同じだ」


 蒼太が感嘆の声を漏らすと、凛は少しだけ満足げに、誇らしげに目を細めた。


「当然ですわ。どんな飲み物であれ、最高の状態で提供するのが羽純家の、そしてバリスタ部の基本でしょう?」


 そこへ、「おい、羽純、ここか。……重てぇな、これ」という低い声と共に、蓮が巨大な紙袋を抱えて入ってきた。頭のタオルを外し、少し汗をかいた顔で彼は畳に座り込む。


「……焼き立ての失敗作です。捨てるのも勿体ないので、皆さんで食べてください」


 蓮はぶっきらぼうに、けれど大切そうに、ベビーカステラの袋を部員たちの中心に広げた。


「潮崎さん、お疲れ様。あなたのあの鉄板捌き、神楽殿の上からも見えておりましたわよ。なかなか見事な仕事ぶりでしたこと」


「……見てたのかよ。うるせえな、お前こそあんな高いところでくるくる回って、目ぇ回してねえのかよ」


「『舞って』と言いなさい、この無作法者が。伝統芸能をダンスと一緒にしないでいただけます?」


 火花を散らすような、けれどどこか噛み合った二人のやり取りに、三年生の楓が母親のような慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。


「なんだか……見ていて、すごく安心しちゃった」


 楓の、春風のような穏やかな言葉に、凛と蓮が同時に動きを止めた。


「こんなに頼もしく、自分の『道』を持っている一年生がいるなら、私たちはいつバトンを渡しても大丈夫ね。この『木漏れ日テラス』の魂は、私たちが想像していたよりもずっと深く、あなたたちに受け継がれているわ」


 前部長としての楓の、優しく、けれど重みのある称賛に、凛は一瞬だけ言葉を失い、絶句した。そして、巫女としての完璧な仮面をふっと脱ぎ捨て、一人の少女としての照れくさそうな、けれど幸福そうな微笑みを浮かべた。


「……そんな、大袈裟ですわ。私は、ただ、家での務めを果たしただけで……でも、そう言っていただけると、救われます」


 真琴と雫、そして香月が、そんな凛と蓮の様子を、何か面白いものでも見つけるようにニヤニヤと眺めている。


 クリスマスマーケットのあの日以来、二人の間には明らかに言葉を超えた、奇妙なほどに強固な信頼関係が芽生えている。それは甘い恋愛というよりは、互いの背中を預け合う戦友や、互いの技量を認め合う職人同士の共鳴に近い。


 結は、二人の間に流れる「二人だけの空気」を静かに見つめながら、自分の胸にある小さな、けれど確実に何かが変化したような感覚を覚えた。それは、凛のような強大なライバルから、蒼太を独占したいという一方的な執着ではなく、大切な仲間たちがそれぞれの居場所で、新しい絆を育んでいくことへの祝福。そして、自分もまた「新しい何か」を見つけなければならないという、少しだけ大人びた決意だった。


「あ、これ、凛さんの甘酒を飲みながら蓮くんのカステラを食べると……甘味と旨味の相乗効果が凄いです!」


 そんな空気の微細な変化を全く読み取らず、蒼太が純粋な感動と共に声を上げた。


「本当だ! カステラの香ばしさが、甘酒の深みを引き立ててる! これ、新メニューにできるんじゃない!?」


 結もパッと顔を輝かせて笑い、静かな茶室にバリスタ部らしい、いつもの賑やかな笑い声が満ちていった。


 凛は、お代わりの甘酒を一人ひとりの器に丁寧に注ぎながら、ふと、窓の外の雪吊りを眺めて呟いた。


「実は……皆様が鳥居をくぐった瞬間、私は神楽殿の上からすべて見ておりましたの。一人増え、二人増え……最後に皆様全員の顔が揃ったのが見えた時、不思議と、いつもの舞よりも指先に力がこもってしまいましたわ。見守られているというのは、これほどまでに心強いものなんですのね」

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