3.煤色の職人
「……言葉にならないね」
「うん。凛ちゃん、まるでお人形さんみたいに綺麗だった……」
しばらくして、ようやく結と蒼太は深い溜息と共に顔を見合わせた。神聖なものに触れた後の、心地よい疲労感が体中を駆け巡っている。
神楽殿を離れ、再び参道の賑わいの中へと戻った二人の鼻を、今度は先ほどよりも一層強い香りがくすぐった。甘く、どこか懐かしい。それでいて、普通の屋台料理とは一線を画す、洗練された香ばしさ。
「あ、見て! あそこの屋台、行列がすごすぎて向こう側が見えないよ!」
結が指差したのは、参道の出口付近に陣取ったベビーカステラの屋台だった。左右の屋台が威勢のいい声を張り上げている中、その屋台だけは異様なまでの沈黙と、真剣勝負のような熱気に包まれている。
そして、その中心で巨大な鉄板をまるで精密機械のように操っている少年を見て、二人は本日二度目の衝撃を受けることになった。
「――蓮くん!? え、どうして!?」
そこにいたのは、潮崎蓮だった。頭に黒いタオルを厳つく巻き、炭の粉や生地の煤で少し汚れたTシャツに、使い古されたエプロン姿。彼は並んでいる客の方を一切見ず、ただひたすらに、目の前の鉄板の「音」と「熱」に全神経を集中させていた。
蓮の手つきは、もはや「手伝い」や「バイト」の域を遥かに超えていた。生地を穴の一つひとつに流し込む動作には一滴の無駄もなく、焼き加減を見極める鋭い眼光は、まるで抽出中のコーヒーの泡を見つめる時のそれと同じだった。竹串一本で次々とカステラをリズミカルにひっくり返していくその速度は、見ていて清々しいほどに速い。
「はい、お待たせ。一袋五百円」
蓮がぶっきらぼうに紙袋を差し出す。その所作があまりに速く、客は慌てて代金を払うのがやっとという有様だ。だが、渡された袋からは、信じられないほど甘美な香りが立ち上っている。
「蓮くん!」
結が弾けるような声で呼びかけると、蓮は一瞬だけ面倒そうに顔を上げ、二人を確認すると「……チッ」と短く、けれど隠しきれない親愛を込めた舌打ちをした。
「……お前ら、物珍しそうにジロジロ見てんじゃねえよ、こんなところで何をしているんだよ」
「何しにって、初詣だよ! 蓮くんこそ、どうしてこんなところで職人さんみたいになってるの?」
「親戚の的屋の親父が腰をいわして、急に人が足りねえっつーから、無理やり駆り出されたんだよ。ったく、元日から忙しい時に来やがって……。ほら、食いたいなら並べ。一秒でも列を乱す奴には売らねえからな」
そう言い放ちながらも、蓮の視線はすぐに鉄板の温度へと戻る。
彼の焼き上げるベビーカステラは、外側が「パリッ」という心地よい音を立てるほどクリスピーで、中はシルクのように滑らかで軽い。その絶妙なコントラストが口コミで広がり、列は神社の階段下を越え、参道の外まで伸びていた。
「……蓮くん、これってバリスタ部でたい焼きの研究をしてた時の成果だよね」
蒼太は、蓮が焼き上げる一粒一粒が、まるで工芸品のように均一な形をしているのを見て、深い敬意を抱いた。バリスタ部での蓮は、いつも黙々と「コーヒーに合う最高の焼き菓子」を追求している。そのストイックな性格と、火を操る天性の感覚が、この屋台という全く別の戦場においても遺憾なく発揮されていた。
「なんかさ、蓮くんが焼いてると、ただの屋台の食べ物がフランス菓子みたいに見えてくるから不思議だね」
結がクスクスと笑う。蓮は無視を決め込み、猛然と鉄板を回転させていたが、タオルの下の耳たぶが、冬の寒さとは別の理由で赤くなっているのを、蒼太は見逃さなかった。




