8.部活という名の「居場所」と「舞台」
蒼太は、蓮の不器用だが率直な励ましに、彼なりの優しさを感じた。そして、自分の孤独感が急速に薄れていくのを感じる。目の前の二人は、自分と同じ「一年生」であり、同じように「このテラスで何かを見つけたい」という熱を共有している。
「大丈夫だよ、結さん」
蒼太は、昨日までの自分からは想像できないほど、はっきりと、そして少し震える声で言った。
「僕も、何もできなかった。陸先輩の接客を見たら、逃げたくなる気持ちでいっぱいだった。でも、橘部長が言ったみたいに、僕たちには、交換できる価値があるから、ここにいるんだと思う。僕の鼻と、潮崎くんのたい焼きと、結さんの笑顔と。欠点だらけだけど、このテラスで、それぞれの才能を、少しずつ磨けばいいんだ」
結は、蒼太の言葉に、嬉しそうに微笑んだ。
「そっか、そうだよね!蒼太くんの言葉に、なんか勇気もらったよ。私、蒼太くんと蓮くんがいるから、頑張れる気がする!」
片付けが全て終わり、控室に再び部員たちが集まる。部室の空気は、営業中の緊張から解き放たれ、柔らかな温かさに満たされていた。
楓は、温かい目線で新入生三人を見つめた。
「三人とも、本当にご苦労様。初日で、あのスピードとプロ意識を見て、自信をなくしたかもしれない。でも、大丈夫。私たちも、一年生のときはみんなそうだったわ。特に、蒼太くん。あなたは、今日のテラスの『現実』を、逃げずに最後まで見てくれた。その勇気を、私は誇りに思う」
楓は、蒼太のまっすぐな目を見つめた。
「蒼太くん。あなたを信じているわ。あなたの正直な感覚が、このテラスを、そして私たちを、次のレベルに引き上げてくれる。言葉の壁は、あなたの才能の前では、必ず乗り越えられる壁よ」
接客統括の陸も、豪快に笑いながら蒼太の肩を叩いた。
「ゆっくりでいい。焦るな。だが、止まるな。俺たち二年が、お前らを支えるからな!明日の朝、俺がお前を特訓してやる。接客の基本の『き』からな!」
河合は、静かに言った。
「機材のメンテナンスは、コーヒーの品質を維持する上での最低限のルールだ。明日、蒼太くんには、マシンの匂いで、どこに不備があるかをチェックしてもらう。頼んだぞ」
上級生たちの温かい励ましは、蒼太の心を優しく包み込んだ。それは、今まで彼が経験したことのない、「仲間」という名の温もりだった。彼の居場所は、この閉鎖的な教室ではなく、この濃密なコーヒーの香りと、プロ意識に満ちたテラスの中にある。
蒼太は、蓮と結を見つめた。この二人がいる。自分と同じように、言葉にできない孤独や、未熟さと戦っている仲間が。
(僕は、もう一人じゃない。このテラスは、僕の『居場所』であり、僕の『舞台』だ。そして、蓮くんと結さんは、僕の『初めての仲間』だ)
部室を出る時、蒼太は、蓮と結に、初めて自分から、はっきりと、そして強い意思を込めて声をかけた。
「また、明日」
蓮は、小さく頷き、結は満面の笑顔で「また明日ね、蒼太くん!負けないように頑張ろう!」と返した。
蒼太は、昇降口を出て、夕暮れの空を見上げた。彼の胸には、温かい期待と、明日から始まる厳しい訓練への静かな決意が宿っていた。言葉の壁は高い。しかし、それを乗り越えた先に、彼の特別な感覚が活きる「舞台」がある。その確信だけが、彼の足取りを、力強く前に進ませていた。




