4.奇跡の調合
「……羽純、動け。情けねえ顔して止まってる暇はないぞ。客を待たせるのが、お前の言う『完璧な接客』か?」
蓮の低く、地を這うような厳しい声が、凍りついていた凛の思考を強引に叩き起こした。凛がハッとして視線を上げると、蓮は相変わらず不愛想に、けれどこれまでにない真剣な眼差しで、顎で蒼太を指した。
「蒼太。お前、何のためにそこに立ってる。豆がねえなら、作ればいいだろうが」
「え……? あ、そうか……。そうだよね! 凛さん、大丈夫。豆なら、ここにたくさんあります!」
蒼太の瞳に、これまでにない強い光が宿った。彼はカウンターの奥の棚から、通常営業で使用している最高級のストレート豆の缶を、迷いのない素早い動作で次々と取り出してきた。
「本来出すはずだったゲイシャ種は、確かに素晴らしかったです。フルーティーで華やかな、特別な日の香り。……でも、この冷え込んだ夜、外でカップを握り締めて飲むなら、もっと『芯から温まるような力強さ』と『喉を抜けた後に長く続く甘い余韻』が必要だと思うんです。……凛さんのミスは、僕がカバーします。……いいえ、カバーじゃなくて、凛さんが作ってくれたこの素晴らしい舞台に、今の空気とこの瞬間に、一番合う味を僕が今ここで探します!」
「蒼太さん……」
蒼太はそっと目を閉じ、三種類の豆――ブラジル、グァテマラ、そしてエチオピアを掌に乗せ、その香りを深く吸い込んだ。彼はそれぞれの豆が持つ歴史と個性を脳内で超高速でシミュレーションし、この瞬間の気温、湿度、そして客たちの心地よい疲れと高揚感に合わせた、奇跡の黄金比率を導き出す。
「結さん! メニューの看板、すぐに書き換えて! 名前は……『聖夜の灯火』。ゲイシャ種じゃないけど、今日ここでしか飲めない、僕と凛さんが一緒に作る特製ブレンドだよ!」
「了解っ! 任せて、蒼太くん! 世界で一番かっこいい看板にするからね!」
結はすぐさま極太のマジックを手に取り、店頭の黒板をこれ以上なく華やかに、躍動感あふれる文字で塗り替えた。
「緊急速報! 木漏れ日テラス史上最高の味覚を誇るバリスタ・日向蒼太が贈る、一夜限りの奇跡。限定ブレンド『聖夜の灯火』――あなたの心に火を灯します」
看板メニューの変更という事態に、周囲の客たちが再び色めき立ち、期待に満ちた表情を浮かべる。
「凛さん、お願いです。僕が計量するこの豆を、凛さんのあの世界一正確なドリップ管理で、最高の一杯に仕上げてください。僕一人の力じゃ、この行列の熱量に応える完璧な味を届けるのは、不可能です」
蒼太が、たった今ブレンドを終えたばかりの豆を、凛の目の前に差し出す。凛は、その豆を震える手で受け取った。蒼太の瞳は、自分を責める色など微塵もなかった。そこにあるのは、ただ「一緒に最高の仕事をしよう」という、濁りのない純粋な信頼だけだった。
「……分かりましたわ。……蒼太さん、あなたの『感性』、私が私の意地と技術で、最高の形にしてみせますわ」
凛は、溢れそうになる涙をグッと堪え、シルバーのドリップポットを握りしめた。蒼太が豆を挽き、粉の膨らみを確認する。凛が細いお湯の糸を垂らし、香りの層を積み上げていく。結がその一杯を最高の笑顔と演出で運び、蓮がそれに完璧に調和する甘いたい焼きを焼き上げる。
本来の計画とは全く違う。けれど、今のテラスには、どのマニュアルにも、どの経営学の教科書にも書かれていない「熱い一体感」と「共鳴」が渦巻いていた。
最初の一杯を口にした客が、「……わあ、これ、すごい……。なんだか、今日のこと全部幸せに思えてくる味だ……」と感嘆の声を漏らした。その瞬間、テラス全体に、本物のクリスマスの魔法がかかったようだった。




