3.綻びの予兆
マーケットが中盤に差し掛かり、テラスのボルテージは最高潮に達していた。美術部のライトアップが雪模様の空を幻想的な色彩で照らし出し、吹奏楽部の定期的な演奏には、立ち止まる客たちの大きな拍手と歓声が上がる。
「凛さん、すごいね。予定していた売上目標を、今の時点でもう3割も上回っているって。商工組合の人たちも、みんな驚いていたよ」
蒼太が、中庭の熱気を反映したような高揚した声で報告する。凛は、手元のタブレットに表示された完璧なグラフを確認しながら、今日初めて、心からの自信に満ちた笑みを浮かべた。
「当然ですわ。私の計算に間違いはありません。そして、ここからが本当の『ハイライト』……。いよいよ、私が今回のために用意した、バリスタ部の格を決定づける『最高の一杯』を投入します。……蒼太さん、例の特注豆のコンテナ、出してくださる?」
「あ、そうだね。目玉商品のゲイシャ種。……準備万端だよ」
蒼太は、カウンターの下の冷暗所に大切に保管していたはずの、気密性の高い専用コンテナに手を伸ばした。しかし、その冷たい金属に指が触れた瞬間、蒼太の動きが、まるで見えない壁に突き当たったかのように止まった。
「……? どうしたんですの? 早く。お客様が、あのゲイシャ種特有のジャスミンのような華やかな香りを待っていますわ」
「……凛さん。これ、重さが変なんだ。中身が……」
蒼太が困惑した表情でコンテナを開けると、そこには宝石のようなコーヒー豆ではなく、何故か「バリスタ部特製・ロゴ入り紙ナプキン」の予備が、きっしりと、隙間なく詰まっていた。
「なんですって……!? そんなはずはありません! 私が昨日、配送センターの担当者と一対一でやり取りをして、今日の日付、この時間に確実に届くように手配したはずですわ!」
凛は慌てて、エプロンのポケットからクシャクシャになった伝票の控えを引っ張り出した。指を震わせ、今にも破れそうな紙に記された数字を、穴が開くほどになぞっていく。配送先、場所、数量。
「……っ、あっ」
凛の声が、血の気が引くような絶望に染まった。伝票の「配達希望日」の欄。そこには、12月24日ではなく、凛の美しい、端正な筆跡で、はっきりと「1月24日」と記されていた。
「……一ヶ月、後……? 私が、こんな……こんな素人みたいなミスを……?」
完璧主義を自らに課し、それをアイデンティティとしてきた凛にとって、それは死刑宣告にも等しい失態だった。
彼女はこの日のために、誰よりも、何倍も準備を重ねてきた。商工組合の頑固な大人たちを説得し、部費をやり繰りして予算を勝ち取り、最高品質の豆をセレクトした。すべては、蒼太の隣に立つのに相応しい「完璧な自分」を演出するため。それが、たった一箇所の「月」の書き間違えというケアレスミスで、すべてが音を立てて崩壊しようとしている。
「どうしたの? 凛ちゃん、顔が幽霊みたいに真っ白だよ!」
ただならぬ異変を察知した結が、心配そうに駆け寄ってくる。
「……豆が、届きませんの。私が……日付を一ヶ月、書き間違えました」
凛の声は震え、冬の風にかき消されそうなほどに弱々しかった。
看板メニューが出せない。それは、楽しみにしてくれていた客への裏切りであり、期待を寄せてくれた商工組合や生徒会への不義理だ。何より、自分を信じて付いてきてくれた部員たちの努力を、自分の手が台無しにしてしまった。
「凛さん、落ち着いて……何とかする方法を考えよう」
蒼太が優しく声をかけるが、今の凛の耳には何も届かない。彼女の視界は、自分への激しい怒りと情けなさで、雪の結晶のように歪み始めていた。テラスを彩る華やかなイルミネーションが、今の彼女には皮肉なほど眩しく、そして自分の醜さを暴き出すかのように残酷に見えた。
「……私の、せいですわ。私が……私の慢心が、すべてを台無しに……」
その時、客席から「あのー、限定のゲイシャ・コーヒー、まだですか? 楽しみにしてきたんですけど」という声が上がる。マーケットの活気が、一瞬にして冷ややかな、逃げ場のない圧力となって彼女を押し潰そうとしていた。




