1.銀色の開幕
12月下旬、桜川市の空は、まるで誰かが銀粉を撒いたかのように白く煙っていた。吐き出す息は白く、冬の鋭い冷気が肌を刺すが、私立星陽高等学校の校内は、それとは正反対の熱を帯びている。
期末試験という名の重苦しい嵐が過ぎ去った後、生徒たちを待っていたのは冬休みへのカウントダウンと、そしてこの週末に開催される最大のイベント――地元商工組合と合同で行われる「クリスマスマーケット」への期待だった。
「……よし。幕式天井の角度調整完了。LEDの配線、漏電チェックもパス。トダテツ、あっちのメインツリーの輝度はどう? 影の落ち方が少し強い気がするんだけど」
テラスのカウンター中央で、副部長の泉真琴がインカムを使いながら、矢継ぎ早に指示を飛ばしていた。普段は落ち着いた彼女も、今日ばかりは祭典の総指揮官としての顔を見せている。
本館中央の中庭「木漏れ日テラス」は、今や日常のカフェとしての静謐な姿を完全に脱ぎ捨て、幻想的な北欧風のクリスマスマーケット会場へと変貌を遂げていた。美術部が総出で作り上げた巨大な「コーヒーの木」を模したクリスマスツリーが中庭の主役として鎮座し、その枝葉には乾燥させたコーヒーチェリーやシナモンスティック、銀色のオーナメントが所狭しと飾られ、スパイシーで甘い香りを振りまいている。
「最高だよ、真琴。ライティングの角度、今修正した。これで夜になれば、雪の結晶みたいな光がテラス全体に降り注ぐはずさ」
ラテアート・美術担当の戸田哲也が、脚立の上から満足げに親指を立てる。中庭の至る所には、銀色のガーランドや松ぼっくりのリースが飾られ、人工芝の上には、生徒会と商工組合が用意した本場さながらの木製コテージ(ヒュッテ)が並び、手作りの雑貨や冬の味覚を並べる準備が進んでいた。
バリスタ部も、この日は特別な装いだ。全員が赤いサンタ帽や、可愛らしいトナカイのカチューシャを身に着け、普段のシックなエプロン姿に祝祭の彩りを加えている。
「いよいよですね、蒼太さん。私たちの、最高の舞台が整いましたわ」
羽純凛が、特別に仕立てられた白いファー付きのサンタ帽の端を整え、隣に立つ日向蒼太に微笑みかけた。彼女の黒髪は冬の冷たい空気の中で艶やかに輝き、その凛とした美しさは、近づきがたい気高さと、聖夜を待つ少女の可憐さを同時に漂わせている。
「あ、うん……そうだね、凛さん。でも、これだけの人が来るとなると、一杯一杯のクオリティを維持するだけでも大変そうだけど……。準備だけでも目が回りそうだよ」
蒼太はトナカイのカチューシャを少し気恥ずかしそうに触りながら、最新の注意を払って焙煎機の予熱を確認する。
「心配いりませんわ。私が構築したこの『秒単位のオペレーション』に狂いはありません。何より、私がこの日のために世界中から厳選し、特注で発注した『クリスマス限定・ゲイシャ種』の豆……これがあれば、訪れるすべての人に魔法をかけられます。……蒼太さん、今日は私と二人三脚で、このテラスを一生忘れられない伝説にしましょう」
「伝説、は大げさかもしれないけど……。凛さんの努力が無駄にならないように、僕も精一杯頑張るよ」
蒼太が力強く頷くと、反対側から「ちょっと待ったー!」と、冬の寒さを吹き飛ばすような元気な声と共に、星野結が飛び込んできた。
「蒼太くん、伝説なら私と一緒に作るんだよ! ほら、広報担当の私がSNSで一ヶ月前からカウントダウンしたおかげで、開門前からあんなに行列ができてるんだから! 凛さんの難しい説明より、私の笑顔と蒼太くんのコーヒー、この最強コンビで決まりだよね!」
結はトナカイの角を揺らし、蒼太の腕を自分のほうへぐいと引き寄せる。
「星野さん、今は運営の最終確認中ですよ。感情的なアプローチも結構ですが、論理的な導線確保こそが……」
「凛さんこそ、数字ばっかり見てないで、お客さんのワクワクをもっと感じてよ! ほら、あんなに子供たちが楽しみにしてるんだよ?」
一歩も引かない二人の少女。その中心で、蒼太は左右から引っ張られる腕の感覚と、二人の視線が交差するバチバチとした火花に、どうしていいか分からず「あわわ」と情けない声を漏らす。
「……おい。蒼太がちぎれるぞ。開店3分前だ、私情はたい焼きと一緒に焼いてこい。邪魔だ」
カウンターの隅で、職人気質の潮崎蓮が、ぶっきらぼうに鉄板をヘラで叩いた。彼だけはカチューシャを頑なに拒否し、代わりに頭に「鯛」の刺繍が入った黒いバンダナを巻き、すでに鉄板の熱を肌で感じている。
「潮崎くん、あなたはいつも情緒というものが足りませんわ」
「情緒で腹は膨れねえよ。……ほら、吹奏楽部のやつらが来るぞ。耳を塞ぐ準備でもしとけ」
蓮の言葉通り、中庭の入り口から吹奏楽部のメンバーたちが、クリスマスの飾りが施された楽器を抱えて入場してきた。彼らが位置につき、指揮者の合図で奏で始めた『ジングルベル』のアップテンポで華やかなメロディが、冬の空気を一気に塗り替え、祝祭の幕が上がる音を響かせる。
「聖夜の灯火……。俺たちのマーケットがスタートだ」
部長の沢村陸が、校門が一般開放される合図を出す。銀色の幕が上がるように、星陽高校のクリスマスマーケットが、今、華やかに幕を開けた。




