6.温かな残香
テラスの営業が完全に終了し、他の部員たちも帰り支度を終えた頃。
凛と蓮は、テラスの最も隅にある、古びた木製のベンチに並んで腰掛けていた。ストーブの火はすでに落とされ、周囲の空気は急速に鋭い冷たさを取り戻している。
凛は、先ほど蓮から渡されたたい焼きを、意を決したように一口、大切に口に運んだ。
パリッとした小気味良い表面の食感の直後、熱々の小豆の深い甘みが、口内いっぱいに弾ける。その圧倒的な熱量と糖分は、彼女の冷え切った内臓にまで届き、頑なだった心を内側からじわじわと解きほぐしていく。
「……甘いです。驚くほどに」
「ああ。だが、最後の一口は少し苦いだろ。それが本物の小豆の味だ。甘いだけじゃ、すぐに飽きちまうからな」
凛は、ゆっくりと咀嚼しながら、溢れそうになる涙を必死に堪えた。
甘い。けれど、蓮の言う通り、後味には確かな、逃げられない苦味があった。それは、自分の想いが決して届かないことを悟った瞬間の、あの胸の痛みに酷く似ていた。
「結局、蒼太さんには渡せませんでした。このために、あんなに勉強して、あんなに汗をかきましたのに。私は、何のために戦っていたのでしょう」
「いいんじゃねえか。渡せなかったとしても、お前が今それを食って、これだけ温まった。その事実は消えねえだろ。その経験は、次にドリップする時の、お前にしか出せないコーヒーの熱に変わるはずだ」
蓮はぶっきらぼうにそう言い切り、自分も予備のたい焼きを豪快に頬張った。彼は凛の報われない恋を冷笑することも、安っぽい言葉で慰めることもしなかった。ただ、一人の「完璧を追う職人」として、同じ熱量を共有し、そこに座っているだけだった。
「……潮崎くん。あなた、意外と……いえ、思った以上に、優しいのですね」
「……。勘違いすんな。焦げたたい焼きの後始末をするのが、ただ面倒だっただけだ。食材の無駄は、俺の流儀に反する」
蓮はぷいと顔を背けた。その耳の端が、少しだけ赤くなっているのは、冬の寒さのせいか、それとも別の熱のせいか。
凛は、最後の一口を食べ終えると、夜空に向かって深く、長く、憑き物が落ちたような息を吐いた。今度の吐息は、先ほどよりもずっと温かく、夜の冷気の中に白く、力強く広がって消えた。
「明日からは、またドリップの仕事に戻ります。私の主戦場はあちらですから。……でも、時々は、ここに来てもよろしいでしょうか?」
「……。勝手にしろ。ただし、次からはノートじゃなくて、もっとしっかり自分の手元を見ろよ。また焦がしたら、次は本当に出入り禁止だからな」
凛は、今日初めての、そしてこの数週間で最も自然な、少女らしい笑顔を浮かべた。
中庭を、鋭い冬の風が吹き抜けていく。
けれど、二人が肩を並べて座っているその場所には、まだ鉄板の余熱のような、微かな、だが消えない温もりが残っていた。
完璧主義者の少女と、頑固な職人の少年。蒼太を巡る切ない四角関係の片隅で、新しく、そして確かな重みを持って生まれた、独特の信頼関係。
星陽高校の夜は、たい焼きの甘い残香と、消えないほんの少しの苦味を連れて、静かに、優しく更けていった。




