4.甘い毒薬
コーヒーカウンターでは、泉真琴がキャッシュレジスターの集計作業を行いながら、何度もチラチラとたい焼きコーナーに不自然な視線を送っていた。
「ねえ、雫。あの二人、なんだかすごい雰囲気じゃない? 師弟っていうか、まるで決闘前の剣士みたいな緊張感があるんだけど」
隣でエスプレッソマシンの気圧ゲージと温度計をチェックしていた望月雫が、タブレットからようやく顔を上げ、指先で眼鏡のブリッジをクイと押し上げた。
「……。潮崎くんの心拍数は驚くほど安定。対して、羽純さんは平常時より25%上昇。しかし、それは恋愛感情による高揚というより、極限状態の集中に伴うアドレナリンとノルアドレナリンの過剰分泌の影響が極めて強いと推測されるわね。医学的には『ゾーン』に近い状態よ」
「理屈はいいのよ、もう。でも見てよ、凛ちゃん。あんなに必死で、むき出しの顔……蒼太くんの前で見せる、あの計算された完璧なお嬢様スマイルとは全然違う。皮肉なものよね。目的は蒼太くんなはずなのに、今は蓮くんのことしか眼中にないみたいに見えるんだもん」
真琴は面白そうに、いたずらっぽく唇の端を上げた。彼女たち2年生にとって、1年生たちのこの入り組んだ、そして自覚のない感情の交錯は、冬の寒さを忘れさせてくれる最高に贅沢な青春群像劇でもあった。
「凛ちゃんは根っからの完璧主義だから。一度勝負を挑んだら、相手を上回るまで止まれない。蓮くんみたいな『理屈じゃない実力』を持つタイプとは、本質的な部分で相性がいいのかもしれないわね。……もっとも、そこに鈍感な蒼太くんと、天然の結ちゃんが絡んでくるから、この方程式は解くのが非常に困難になるけれど」
「四角関係、ね。熱いたいやきを頬張るような、甘くて、油断すると大火傷しそうな展開だわ」
雫は淡々と答えながらも、手元のタブレット内で、密かに構築している「星陽高校バリスタ部・1年生感情相関シミュレーター」という名の隠しファイルを、極めて迅速に更新していた。
その時だった。テラスの入り口付近で、弾けるような大きな笑い声が上がった。
部室の片付けを早々に終えた星野結が、自分の首に巻いていた真っ赤なチェック柄のマフラーをパッと解き、それを隣で縮こまっている蒼太の首に、強引かつ楽しげにぐるぐると巻き付けていた。
「もう、蒼太くん! そんなに寒そうにしてたら、せっかくの美味しいコーヒーが淹れられないでしょ? はい、これ私のだけど貸してあげる! 寒がりさんにはこれが必要!」
「え、あ、ちょ、ちょっと待ってよ結さん……。これじゃ、今度は結さんが寒くなっちゃうよ?」
「いいのいいの! 私は元気いっぱい動いてるから全然平気! えへへ、なんだか今の蒼太くん、赤いマフラーに埋もれて雪だるまみたいで可愛いね」
二人の周囲だけ、まるで春の陽だまりがそこだけに取り残されたかのような、抗いようのない温かな空気が漂っている。蒼太は照れくさそうに顔を赤らめ、結は冬の太陽のような眩しい笑顔で彼を見つめていた。その光景は、誰が見ても「完成された世界」だった。
灼熱の鉄板の前にいた凛は、その決定的な光景を、視界の端で無慈悲に捉えてしまった。
(……あ)
心臓が、鋭い氷の棘で貫かれたように収縮する。
自分がどんなに汗を流して努力して、どんなに理論を詰め込んで完璧なたい焼きを焼けるようになったとしても。あの二人の間に、最初から当たり前のように流れている、理屈抜きの「無防備な温もり」の中に、自分が割り込める隙間など、最初からどこにも存在しないのではないか。
「おい、羽純! 手が止まってるぞ、何を見てる!」
蓮の鋭い警告の声が飛んだが、一瞬遅かった。
凛の震えた手元で、渾身の力を込めていたたい焼きの端から、ブスブスと黒い煙が立ち上り、鼻を刺すような、苦い焦げた匂いが冬の空気に立ち込めた。




