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星陽高校バリスタ部  作者: やた
第1話 ようこそ、木漏れ日テラスへ

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1.内気な少年と、閉ざされた心

 私立星陽(せいよう)高等学校の体育館は、新入生と保護者の熱気に満ちていた。天井まで届く大きな窓から差し込む春の光は、真新しい校舎の床や、生徒たちの少し大きめの制服に反射し、眩しいほどに輝いている。それは、これから始まる「青春」という名の物語を象徴する、開放的で希望に満ちた光景だった。


 しかし、日向蒼太(ひなた そうた)にとって、その輝きはまるで自分を拒絶しているかのようだった。


 席に着いた瞬間から、蒼太は背筋を丸め、なるべく視線を上げないように努めていた。体育館特有のざわめき、数百人の呼吸が混ざり合う空気、そして何よりも、隣や前後の席で交わされる「声」。


「ねえ、制服ブレザーなんだね、カッコいい!」

「この高校、設備がすごくてさ、中庭のカフェが有名らしいよ」


 その一つ一つの声が、蒼太の神経を鋭く刺激した。皆、初対面にも関わらず、なぜそんなに自然に会話ができるのだろう。蒼太は彼らの流れるような会話のテンポについていける自信がなく、それが彼の内向的な性格をさらに強固にしていた。


 蒼太はコミュニケーションが苦手だ。言葉を頭の中で組み立てるのに時間がかかり、いざ口に出そうとすると、喉の奥に張り付いて出てこない。結果、彼はたいてい無言で俯くか、「あ、ええと…」と気の抜けた返事をするのが精一杯だ。それは、彼が最も恐れる「場の空気の停滞」を招き、相手に「会話を拒否された」という印象を与える。この悪循環を避けるため、彼は意識的に「会話しない」という自己防衛手段を選んでいた。


 蒼太は星陽高校のモダンな校舎、特にロの字型に設計された本館の建築美に惹かれてこの学校を選んだ。広々としたピロティ、随所に配置された採光のための大きなガラス窓、そして、カタログで見た中央中庭の開放的な空間。


 彼は、こんな明るい場所でなら、もしかしたら自分も変われるかもしれないと、淡い期待を抱いたのだ。


 だが、現実は違った。建物は美しく、光は満ちている。だが、そこに満ちている「人間」の熱量と活気は、蒼太の閉鎖的な心をさらに硬く閉ざさせていた。


(ああ、今日は早く帰ろう。誰とも目を合わせずに、静かに今日を終えるんだ)


 入学式が終わり、生徒たちがぞろぞろと新クラスの教室へ移動する。蒼太のクラス、1年B組は本館の2階だった。


 教室に入ると、周囲の生徒たちの打ち解けの速度はさらに加速した。


「出身中学校どこ?」

「部活どうする?俺、サッカー部見に行くわ」

「席替えいつかなー、窓際がいい」


 新しい学園生活への期待と、解放されたことによる高揚感。それは、この高校に入学した誰もが共有している「喜び」だった。


 蒼太の隣の席の男子生徒が、彼に話しかけてきた。


「えーっと、日向くん、だよね?俺、山崎。よろしく!」


「あ…山崎くん、よ、よろし、く……」


「そういえばさ、日向くんって部活どうする?運動部?文化部?」


 山崎は屈託のない笑顔で、本当にただ世間話として尋ねているだけだった。しかし、蒼太は瞬時に脳内で回答を構築しようとパニックに陥る。


――部活? 帰宅部だ、と伝えればいい。でも、この流れで「帰宅部」なんて言ったら、空気を冷やすんじゃないか? 運動部に見えないよな、じゃあ文化部か? 何の文化部なら無難だ? 美術部?


 言葉を探すうちに、彼の口は乾き、何も発することができなくなった。沈黙が流れる。わずか数秒の沈黙だったが、蒼太にとっては永遠のように長かった。


 山崎は、彼の沈黙を「興味がない」と解釈したのか、少し戸惑った表情を見せた後、「そっか、まあ、ゆっくり考えようぜ!」と言い、すぐに前列の生徒との会話に戻ってしまった。


 その瞬間、蒼太の心臓は一際強く脈打ち、自己嫌悪の念が全身を支配した。


(まただ。僕のせいで、また会話が終わった。やっぱり、僕には、ここにも居場所なんてないんだ……)


 早くこの場から逃げ出さなければ。彼の頭の中は、その衝動でいっぱいになった。クラス担任の説明が終わるやいなや、蒼太は手早く配られた書類をカバンにしまい、誰にも気づかれないよう、教室の隅を縫うようにして廊下に出た。


 開放的な校舎の雰囲気とは裏腹に、彼の心は雨に濡れたように重く、陰鬱だった。


(部活見学なんて、絶対に行かない。僕は、今日から帰宅部だ)


 早々に結論を出し、蒼太は足早に昇降口を目指した。1階のピロティを抜け、外に出るだけ。この喧騒から逃げれば、いつもの静寂が待っている。


 本館1階のピロティは、体育会系の部員たちが活動の準備をする活気ある場所だった。バスケットボールの弾む音、野球部員のかけ声、汗の匂い。その雑多な匂いの中に、ふと、それら全てを打ち消すかのような、甘く、微かに焦げ付くような、しかし温かい香りが混ざっていることに気が付いた。


 その香りは、周囲の喧騒や、彼の心を覆う自己嫌悪の膜を、優しく溶かしていくようだった。


 蒼太は反射的に足を止めた。彼の超繊細な嗅覚が、その香りの正体を捉えようと、集中し始める。


(これは…コーヒーだ。でも、焦げ臭いわけじゃない。木漏れ日…いや、違う。焦げたバターと、何かの餡の匂いも混ざってる……)


 その香りの出所は、本館のロの字型校舎の内側、つまり中央の中庭だった。


 蒼太は、帰宅しようとする足を止め、まるで磁石に引き寄せられるように、中庭へと通じる開口部へと進んでいった。

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