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二人の決断

 そして、とうとう放課後が訪れた。

 教科書やタブレット、筆記用具を鞄の中に仕舞い終えた時、美桜ちゃんが私の席へとやってきた。


「……じゃ、いこ。果歩」

「う、うん……」


 いつもと違う、お互いに緊張が走って固くなった声を出しながら、私達は一緒に教室を出る。

 廊下を通り過ぎて階段を降り、下駄箱へと向かう途中でさえも、いつもと決定的に違う事がある。

 美桜ちゃんが、私の手を引かずに歩いている。

 私達が一緒に何処かへ行く時、毎回美桜ちゃんは私の手を引いて、誘導するように歩いていた。私が落ち着きなくて危なっかしいからじゃない、単なる美桜ちゃんの好意によるものだ。

 なんでそれが分かるかというと、どちらかと言えば落ち着きなくて興味のあるものに行きがちなのは、美桜ちゃんの方だからだ。それでも、美桜ちゃんの勝手で少し道草を食ったりするような時には、するりと美桜ちゃんは手を離して一人で向かっていく。決して、無理やりに私を巻き込んだりはしない。そして、私を呼んでちょっとだけ堪能した後は、また手を繋いで、一緒に行くべき道を行く。ということが、特に慣れない道を歩く時は何度かあった。

 なのに今では、黙って前を行く美桜ちゃんの後を、両腕が空いたままの私が粛々とついて行っているだけだ。

 声をかけようにも、何を言ったらいいのか分からない。それは美桜ちゃんも同じみたいで、一度だって私に振り向いてくれなくなった。

 なんだか、この後の場合によっては、私が美桜ちゃんから独り立ちして生きていかなければならないということを暗喩しているようで、不安でいっぱいになる。

 もしも、今回の件で美桜ちゃんを拒絶するようなことになったら、私はまた、独りぼっちになるだろう。でも、それも仕方がないのかもしれない。嫌な一面が露わになった相手には、たとえ友人と言えども縁を切られてま不思議じゃない。


(うー……)


 これじゃあ、まるで脅されているみたいだ。

 私の心の支えを失いたくなかったら、セクハラを受け入れろって。

 もちろん、美桜ちゃん本人は、そこまでのことは望んでないだろう。私が無理してそうな時は、必ず気遣ってくれた美桜ちゃんが。


(……こういうのが、グルーミングっていうのかな?)


 お母さんの考えで行ったら、そうなるだろう。それに、もしこれで美桜ちゃんを庇うような事をしたら、ストックホルム……? なんとかって、言われるかもしれない。


(うぅ……なんか、嫌だな)


 そこにも本当の愛があったかもしれない事を、性愛の介入で一方的に全否定されてしまうのは。性行為を不正行為と断じられて、お互いためだと大人達に諭され、無理やりにでも仲を引き裂かなくてはならなくなるのは。

 それが本当に本人同士のためなのか。その大人達が余計な介入をしなければ、何事もなく、多少(いびつ)でも平和で幸せにいられたんじゃないかと、疑問に思わずにいられない。


(はぁ……)


 これから私、どうなっちゃうんだろう。

 でもきっと、それを美桜ちゃんに言ったところで、美桜ちゃんは、それは果歩が決めることだよって言い返される気がする。

 それは、分かっているんだけど……。私がどうしたいか、何が受け入れられて、何はどうしても無理なのか、肝心のそこのところが、自分ですらも分からない。

 自分でも分からないんだから、お母さんに訊いても、美桜ちゃんに訊いたところで、分かるはずがない。

 ……いや、お母さんに訊いたら、答えはくれるかもしれない。ただし、私に寄り添うのではなく、世間一般的の常識的な女子の感性から。“子供は皆、性嫌悪を抱えているはずだ”と、それもだいぶ偏ったものの考え方で。

 大体そんなの、美桜ちゃんを見てれば、決して正しくはないことは分かる。

 けど、たとえそう反論したところで、今度は“それは美桜ちゃんっていう子がおかしいだけ。非常識極まりない。親からどんな教育をされているの。そんな変な子と関わったら絶対にダメ”って、ことごとく人格否定の方向に持っていかれるだけだろう。それも、一切何にも悪気のない、あたかも当然の正論と言った態度で。もはや擁護の域を超えて、誹謗中傷してしまっていることにすら気づかない。もはや、“私”を想っているのか、“世間の女子”を思っているのか、もしくは“お母さんの考える女子”を守っているのかすらも、分からなくなってくる。

 だから、私は、性的な疑問も、それに詳しい美桜ちゃんのことも、お母さんには何も言っていない。

 だから、いつもだったらそういうことは、美桜ちゃんに何気なく、気兼ねなく相談していた。

 けれど、今回に限っては、美桜ちゃんに訊かなくてもなんて言われるか分かる。美桜ちゃんはいつだって、“私”を想って、“私”の意思に向き合って答えてくれたから。

 私が言葉に詰まっていると、推測はしてくれるけれど断定してはこない。確認はしてくれるけど詰問はしてこない。諭してはくれるけれど、強いたりはしてこない。


(……はあ)


 美桜ちゃんの、そういう私に対しての接し方も、ちゃんとした愛情だって分かってる。まさか、私とキスしたいとまで思っているなんて、思ってもみなかったけれど。でも、それを抜きにしても、やっぱり美桜ちゃんの私への愛情は、本物だって思う。

 だからこそ、私は、今までにないくらい迷っている。迷い過ぎて、今は美桜ちゃんの大きな背中と、ミニスカから伸びた足元しか見えない。

 女子中学生らしい茶色のローファー。黒いソックス。それをアクセントに際立って輝く、色白で綺麗な美脚。

紺校則ギリギリまで短くした紺色のスカートに、真っ白なセーラー服。そして、肩甲骨まで伸びたサラサラの黒い髪。

 何度も見慣れた後ろ姿だけど、今では何だか知らない人みたいに見えてしまう。一向に私のことを見てくれないし、何も話してくれないし、今どんな表情をしているのかも全然分からない。

 今日の美桜ちゃんが分からなすぎて、本当に、本物の美桜ちゃんなのかすらも疑いたくなってしまう。いつもの優しくて明るくて、自由を謳歌している美桜ちゃんなのか。何か変なものが取り憑いた別の人なのか。

 私の頭の中は、不安と疑念でいっぱいになって、それ以上何も考えられなかった。頑張って、美桜ちゃんに掛ける言葉を探したり、自分の気持ちに整理をつけようとしたけれど……。


「……着いたよ。果歩」


 やっと美桜ちゃんから声をかけてきてくれたかと思ったら、そこはもう、美桜ちゃんの家の前だった。相変わらず、私のことは見てくれないまま、美桜ちゃんはポケットから鍵を取り出し、解錠して開ける。

 後に続いて一緒に入った私は、そのまま靴を脱いで玄関に上がり、美桜ちゃんの部屋へとまっすぐ向かう。

 私んちもそうだけど、美桜ちゃんの両親も共働きで一人っ子だ。帰っても、ただいまを言う相手も、お帰りなさいを言ってくれる人もいない。それが普通だけど、私には親友がいるから、寂しくはない。

 ……今となっては、その関係すらも危うくなってしまっているけれど。


「…………」


 二人とも何も言わないまま、いつもみたいに美桜ちゃんの部屋に入り、私が扉を閉める。適当なマットの上にそれぞれ座って、ようやくまともに対面した。


「…………」

「……あの、さ」


 先に口を開いたのは、美桜ちゃんだった。顔をはっきりと私に向けて、美桜ちゃんの今考えていることを、素直に言ってくれる。


「……まず、改めて謝るね。ごめん。急にあんなことして」

「う、ううん! そんなこと……」


 無い。って、つい美桜ちゃんを庇おうとして口走りそうになったけれど、無いこともないから強く否定はなかった。

 美桜ちゃんも、それは十分承知しているからか、間髪入れずに言葉を続ける。


「で、さ……。その……まず、訊きたいことがあるんだけど」

「は、はい……」


 いつになく真面目な話に、無意識に私も畏まってしまった。


「……あたしのキス、……気持ち……悪くなかった?」

「え……」


 何を訊かれるのかと思ったら、突然、そんな事を言われた。

 そう言われても、正直困ってしまう。だって、その時の感触、今ではほとんど覚えてないのだから。


「……分かんない。覚えて……ない……」


 あんなことされておいて何を言っているんだ、と自分でも思うけど、でも、美桜ちゃんの質問には、そう答えるしか無かった。


「覚えてない? ……ってことは、そんなにショックだった? それとも、いきなりだったから頭が真っ白になった?」

「……うん。……あたまがまっしろになった」


 ここで、ショックだった、なんて答えてしまったら、美桜ちゃんが落ち込んでしまう。そう思って、私は後者を選んで言った。


「……そっか。……そうなんだ」


 美桜ちゃんが、私の証言を聞いて納得する。


「ってことは、果歩は、何も覚えてない、と。実質ノーカンみたいなものだと」


 そして、そう解釈する。……たぶん、最後のは、自分だけじゃく私のことも気遣って言ったのもあると思う。


「……えっと、じゃあ……その……。あのね!」

「っ?」


 何かを言い淀んでいた美桜ちゃんが、急に大きな声を上げて、必死そうな顔で私をじっと見てきた。


「果歩はっ……まだ……。あ、あたしのこと……好きで、いて……くれてる?」

「え……」


 美桜ちゃんからの、切実な問いかけに、私は言葉が詰まってしまう。

 どうしよう。私。なんて、答えたら……。

 来たるべき時が来た、究極の質問に、美桜ちゃんの真剣な眼差しに、思わず圧倒されてしまう。


「えっと……」


 答えは、決まっていた。今さら嫌いにはなれない。私は、お母さんの言いなりのままで居たくはない。

 決まっていた、はずなのに……重大な決断を前にして、心臓がドクドクと煩く鳴りだす。この気持ちは、絶対に恋とは言えない。だからこそ、ここで安易に好きだなんて言うのは、違う気がしてならない。


「えっとぉ……」


 だけど、今は、何かしら答えなくてはならない。今の状況がそう急かしている気がする。多分、恐らく、訊いている美桜ちゃんも、気が気じゃないだろう。真剣な眼差しでじぃ……っと、戸惑って臆している私を見ているけれど、私には分かる。だから、早く何とか言って、美桜ちゃんを楽にしてあげなくてはならないと考える。


「キッ……」

「き?」


 私が発した、その一音に美桜ちゃんが、不安げになってしまう。ああまずいっ! このままじゃ、美桜ちゃんが悪いほうに解釈してしまう!


「キライじゃないっ……よ」


 危機感を募らせて、勢いのままに、私は言い切った。


「…………。そう……」


 その瞬間、今度は目を丸くさせた美桜ちゃんが、しばらく時間を掛けながらも、ゆっくりと私の答えを冷静に受け止めた。


「……ん。分かった」

「?」


 そう言って、美桜ちゃんは一人、落ち着いた。私にはまだ、どうしてそうなったのか分かんないけれど。


「じゃあ、まだ、これからだね。今度からは、果歩があたしのことを、好きになってもらえるように、頑張らないと……だ!」

「う、うん……。そう、だね……?」


 身も蓋もなく、状況を整理してしまえば、そうなるかもしれない。けれど、私には、それが具体的に何を示しているのか、さっぱり分からない。

 よくよく考えてみても、私と美桜ちゃんは、お互いに仲を認め合った親友だ。なのに、これ以上、どうやって仲を深めるというのだろう?


「つまり、あたしはこれから、今の果歩よりも、もっともっと求められるように、無知シチュを乗り越えて、開発したり調教したりしていかなくちゃあならない、と」

「み、みお……ちゃん?」


 どうしよう……。美桜ちゃんが、さっきまでの死にそうな顔から打って変わって、段々と生き生きしていってる! 口元に笑みを浮かべて、何やら良からぬことを考えながら、これからすることに不穏な希望を抱きつつある!

 しかも、その矛先は間違いなく私に向いている! 今までも、私にイタズラしてきた事は何度もあったけど、一体今度は、何を企んでいるというのだろうか?


「どうしよう……なんだかこれからが楽しみになってきた! くふふふっ」

「み、美桜ちゃん……あ、あんまり痛いのは、イヤ……だよ?」


 あっちが一人で勝手にお楽しみに熱を上げている一方で、こっちは対照的に、感情を吸い取られるように怖けさに熱が下がっていく。


「だいじょ〜ぶ! まだ痛くはしないから! じゃあ、まずは軽く身体を慣らすトコロから始めよっか♪」

「いっ、ヤァァァー!!」


 ニヤついた顔でこっちに向かって……もとい、迫って来る親友に、本能的な身の危険やら本格的な気持ち悪さやらを感じて、ついに私は、大好きだった親友に向かって事件性のある叫び声を上げてしまった。

 そうして私は、これまでに経験した事が無い、未知なる戯れ合いを、身を持って初めて知ることとなる。

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