台風一過のような快晴の日
翌朝。
いつも通りに「行ってきます」と家を出て、いつもの通り道をてくてくと歩く。
「おはよー果歩!」
「うん、おはよう」
学校まであと半分くらいの所にある丁字路で、先に着いていた美桜ちゃんが私に向かって大きく手を振り挨拶をしてきた。だから私も、小さく手を降って挨拶を返す。
そうして合流した私達は、いつもみたいに一緒に話しながら残りの道を歩く。
「改めて言うけど、昨日はごめんね? あんなことして。次からはなるべく果歩に前もって言うようにするからさ」
ごめんと謝る割には、あっけらかんとしている。かといって、あまり深刻さを引きずるのも美桜ちゃんらしくはないし、私としても望んではいない。むしろ気の持ちようとかでどうにでもなるような事ほど、軽く流してくれたほうが、こっちも気が楽まである。美桜ちゃんは、それに気づいた上でそうしてそうだけど。
「う、うん。……“なるべく”って、たまには不意をつく気もあるってこと?」
「そりゃあ、まだあたしもびっくりして可愛い声を上げる果歩を見たいし、軽い行為くらいは思いのままにやりたいしさ。果歩だって、いちいち訊かれたりしても嫌でしょ?」
「……まあ、そりゃあ」
「身体を触ってもいいか? とか、撫で回してもいいか? とか、舐め回してもいいか? とか」
「ちょっやめてよ他の人もいるのに! てか、どこのこと言ってんのさそれ! 曖昧すぎるよ! あと、後半につれて許可出しづらくなってるし!」
舐め回すとか、どんな場面で要求するつもりだよ気持ち悪いな!?
「あはは。今日も果歩は元気みたいで安心したー」
「こんなんで私の健康を試さないでよ……」
突っ込む元気は沸かせたかもしれないけど、却って朝から疲れが湧きそうになってしまう。
「いやさ? あたしが言うのもなんだけど、昨日色々じゃん? だからあの後別れてから、果歩は気持ちに整理がつけれるかなーって心配してたんだ」
「……整理は、つけたよ。一応……」
「お? ってことは、ある程度は考えてくれたのかな? あたしのことについて」
「……うん」
いつ美桜ちゃんに打ち明けようか、迷っていた節はあったけれど、美桜ちゃんの巧みな誘導に促されて、結局今答えざるを得ない雰囲気になった。
「聞かせてよ。言える範囲で。悩み事の返事が遅れた時の不安、知ってるでしょ?」
「う、うん……」
美桜ちゃんは私から顔を反らして、手を後ろで組みつつ前を向いたけれど、口調は真剣そのものだった。ダメ押しに同情を訴えかけてまでいる辺り、表の飄々さと裏腹に、結構内心では切羽詰まっているらしい。
「……ど、どこまで、私ができるかどうか分からないけれどっ、まだ、私はっ……美桜ちゃん……と、一緒にいたいって、思ってる……」
「……ほんと?」
「う、ん……」
美桜ちゃんがこっちに振り返ってきた。俯いている私の顔をまじまじと見ながら、マジな雰囲気で揺さぶりかけられる。
本当にこれで良いのか。日向くんとのことは諦めるつもりか。美桜ちゃんの変態的な本性とも付き合い続けるつもりか。
不確定な未来に対して明確な答えも意思も出せやしないままではいるし、不安がないわけではない。むしろ不安しかない。それでも、美桜ちゃんに流されるままに、促されるままに出した今の気持ちには、嘘偽りはない。
私は、結果として、ぎごちなく頷いた。
「……そっか。ふーん。……じゃあ、やっぱまだまだこれからってことだね。いかに果歩に、あたしの想いを再認識させて受け入れてもらえるか。魅惑で魅了して魅力を伝えられるかってところだね。いいよ、分かった。じっくりたっぷりと、果歩の身体にあたしの身体で、手取り足取り教え込ませてあ・げ・る♡」
「……昨日みたいに無理やり迫られても何もならないと思うよ?」
「揚げ足取らないでよーwひどいなー」
あっははっ! と笑う美桜ちゃんの顔は、どことなくすっきりしていた。
美桜ちゃん……本当はもっと格好良くて、心強くて、可愛くて、楽しい人なのに、ここのところ変態的な面ばかり表に出ちゃってるよ。どうするの? この先美桜ちゃんが皆に変態キャラとして再認知させられたら。私のことよりもそっちの方が受け入れられない……っていうか目も当てられない気がするよ……。
某物語の主人公みたいには成れなくても、それぐらいのイメージアップが、アップデートが為される時は来て欲しいなと思う。
「まあそういうわけだからさ。前までよりもちょっとぐらい大胆になっても、イイよね?」
「えっ? わっ!」
さらっと言われた、言い放たれた意味深な言葉に反応した瞬間、私は後ろからガバっと抱きつかれた。
「み、美桜ちゃん?」
「んふふー。はーい右足出してー。次は左足ねー。前に進まないと遅刻しちゃうよー」
「むっ無茶言わないでよ! 別にっ、抱きつくのは教室入ってからで良いじゃん!」
右耳のそばから出される指令に咄嗟に従いながら、私は文句を垂れる。
幸いにも、私と美桜ちゃんにそこまで身長差はない。強いて言えば、美桜ちゃんの方が数cm高いくらいだ。が、どちらにしてもこんな前後に二人一組になって四足歩行してたら、後ろ足で美桜ちゃんを蹴ってしまわないかと心配になって歩きにくい。
「むりー。あたしは今抱きつきたかったんだもーん。ほーら歩いて歩いてー。あたしの胸の感触を堪能しながら進みなさーい?」
「だーかーらー! 歩きにくいんだってば! それに分かんないよ胸の感触なんか!」
否、本当のことを言うと、確かに背中にはポヨポヨな感触が伝わってはいる。私の鞄は手提げ型だし、美桜ちゃんの胸はそれなりにあるから、分からないはずもない。三〜四年前ぐらい前から起きた胸の膨らみに、違和感どころか堂々と自慢できているのは、親の英才教育の賜物だろうか。
ただ、よりにもよってこんな、他にも考えなきゃいけないことがあるような状況下では、とても落ち着いてじっくりと感じることなんかできるはずがない。セクハラするにしてもせめてTPOくらいは弁えてほしいものだ。
「えー? じゃーあー、学校で思いっきり正面から抱きついてくれるなら、今は諦めてやってもいいよ〜?」
「分かった分かった分かりました! 学校でならいくらでもやってあげるから! だから今はお願いだからやめて!」
「スンスン……あ、ごめん。果歩の髪が良い香りしてたから嗅ぐのに夢中だった」
「ギャー!!」
節操のない変態女を、今度こそ私は、こんな状態からでも唯一できる対抗策として、遠慮なく後ろ足で蹴ってやった。
「うおっと!」
生憎、その足は空振った。私の次の行動を予測していたかのように、白々しく驚きながら余裕そうに美桜ちゃんが身を引いてくれやがったから。まともに喰らわなかったのは良いけれど、それはそれとしてムカつく。
「ガルルル……」
「おーよしよし。どうどう。落ち着きたまえー」
犬みたいに威嚇をするも、仰々しい態度をとった美桜ちゃんに、鬣ならぬ後ろ髪を撫でられて、宥められる。
「うぅ……」
「まあまあ、ごめんって。ここからは普通に手を繋いで歩こ? ねっ」
「……うん。まあ、それくらいなら……」
「よし決まり! そうと分かったら早速行こー!」
「あっ、ちょっ!」
待って! 手を繋ぐのは良いとは言ったけど、そんなパシッと一瞬で恋人繋ぎに持ってくなんて!
「ふふーん!」
「もぉー……」
まあ、いっか。背後から抱きつかれたまま歩かされるよりは、こっちの方が断然いい。それに、私達はもう、恋人同士という仲に踏み入れてみた関係なのだし、何もおかしいことはない。美桜ちゃんも、今はまだ形だけでもそういう振る舞いができて上機嫌みたいだし、良しとするか。
「あ、そうだ果歩!」
「なあに?」
ルンルン気分の美桜ちゃんが、何かを思い出したようだ。どんなことなんだろう? と、私は純粋に美桜ちゃんの言葉に耳を傾ける。
すると美桜ちゃんは、さらに横から急接近してきて、お互いの肩が触れ合う所まで来て私に耳打ちし出した。
「学校に着いたら、期待しているからね!」
「うっ!!」
ああ! そういえばそうだ! あの時はどうにかしたくて自分から口走ってしまったけど、ちゃっかりしっかり美桜ちゃんは覚えていた。咄嗟につい提案してしまった、“学校でならいくらでもやってあげる”という口約束は、流されることなく有効になっていた。
昔から度々(たびたび)、常々(つねづね)、散々(さんざん)思っていたことだけど、美桜ちゃんってそういうとこズルいと思う。私よりも頭の回転が速くて、機転が利いて、悪知恵も働いて、惜しみなくその能力を自分のために使ってて、だからこそますます磨きが掛かっているのだから、仕方がないけど。
現に今も、気まずい顔をしている私の横顔をニヤニヤと眺めて悦に浸っているし、間違いなく確信犯だ。アドリブで計算してやってのけるから、いつも気づいた時は罠に絡め取られている。
それとも、もしかして、ただ私が迂闊なだけなのかな? そもそも、後から突きつけられても断れない辺り、単に美桜ちゃんに弱くて、甘いだけなのかもしれない。
尤も、前に美桜ちゃんに、口頭ではっきりと面と向かって『ズルい!』って抗議したことはあるけれど、その時も美桜ちゃんは、『ごめんごめん』とケタケタ笑いながら悪びれなく言うだけだった。そのあと、こうも続けて言った。
『だって、果歩ったら単純なんだもん。単純で、純粋で、可愛くて、扱いやすくて、優しくて、大好きなんだもん』
当事者だった当時もその場で、好意の中に巧妙に隠された棘に気づけたかどうかまてまは、今は思い出せない。
ただ、はっきりと言えるのは、私のこの迂闊な部分を直して克服することを、美桜ちゃんは望んでいないということだ。
私もその弱点を、美桜ちゃんの意思を、無惨に残酷に突きつけられた時は、なかなか受け入れきれないでいた。指摘されたところで、どうすることも出来ずとも。
でも、そんな私に対して、美桜ちゃんは一線を越えるような要求はしてこなかったし、私が他の人に絡まれてた時はいつだって助けてくれた。
昨夜のアレは、タイミングが悪かったとしか言いようが無いけれども、もしもあの時美桜ちゃんに送って行って貰えてたら、きっと、いや絶対、即座に私を守りながら抜け出すなり追い返すなりできていた。
その美桜ちゃん自身も、言うなれば罰ゲームみたいなお願いしか出してこなかった。ちゃんと友達としての限度を弁えて、尾を引かずに楽しめる範囲の易しいことしかしてこなかった。恋人同士になった美桜ちゃんも、そこは変わらないでいてくれるのかな?
「フッ」
ふと隣にいる美桜ちゃんを見たら、美桜ちゃんは何やら鼻で笑っていた。どこか勝ち誇った顔をしているその視線の先は、私というよりも、もっと後ろに向いているような……。
「美桜ちゃん?」
「ん? ああごめん、なんでもないよ!」
私が声を掛けると、あからさまに笑って誤魔化した。いくらなんでも今のは流石に私でも分かる。なんでもないなんて絶対嘘だ。
「え? 後ろに何かあるの?」
「大丈夫大丈夫! 果歩はなんにも気にしなくていいから! それにほら、今はあたしのことだけ見ててよ。恋人同士なんだし!」
「う、うん……」
直感で、美桜ちゃんが隠そうとした事実を確かめてみようとしたが、あっさりと窘められて何も分からないまま言い包められてしまう。
そういう所は分かりやすいぐらいに気付けるというのに、私は未だに、その先の境地には辿り着けないでいる。心の何処かで(美桜ちゃんが気にしなくていいというのならそうなんだろう)と、信用して、依存して、甘えたくて、折り合いを付けているのが、進歩できない最たる原因とも思う。
何せ、私は怖いのだ。美桜ちゃんの言葉を無視して、疑って、裏切ることをするのが。頭が悪いなりにも首を突っ込んで、何もできないまま却って痛い目だけを見て、関係を悪くさせることが。分からなくてもどうにかなる真実を、暴こうとするよりも。
モヤモヤとした疑問はあるけれど、美桜ちゃんの言うこともその通りだと思う。見慣れた顔ではあるし親友でもあるけれど、それでも恋人同士になった以上、一緒にいるのにあまり他の人に目移りするのも良くない。
これからもっと、新しい仲を、絆を築き上げる頃合いというのに、彼女以外の人は余計なだけだ。
「……馬に蹴られて死んでしまえーってね♪」
「え?」
「なーんでもない! ほら、行こ!」
「えあっ、ちょっ!」
美桜ちゃんが何かぼそっと呟いたけど、私には何のことか分からなかった。
またしても何も分からず首を傾げる私を見た美桜ちゃんは、ニコッと笑って、明るい笑顔で、私の憂いを吹き飛ばすかのように、ぶっ飛ばすように恋人繋ぎになった腕を大きく振りかざした。
私の腕も釣られて持っていかれて、反動で後ろにも引っ張られるけど、なんとか彼女の動きに、リズムに、上機嫌に合わせようと、私の方からも同調させていった。




