第1話:血と炎と
2作目の長編小説です。
次の電撃小説大賞に応募するのでそのうち削除します。
1作目の長編が削除されているのもそういう理由です。
血と焼けた肉の匂いが、鼻腔を激しく刺す。
燃え盛る家々から上る黒煙が、魔族領の空を昏く染め上げていた。
「ハハハ!歯ごたえがねぇなぁ!もっといねぇのか!?汚れた魔の眷属がよぉ!」
戦士ヴィクターの雄叫びが響き渡る。彼の振るう特大の戦斧が、逃げ惑う魔族の胴体を軽々と切断した。
血しぶきがヴィクターの黒い鎧を濡らす。揺らめく炎が反射しその赤と黒が怪しく艶めいていた。
「ヴィクター、はしゃぎすぎです」
筆頭聖騎士であるゼーロットが、至って冷静に注意を促す。しかし彼の持つ聖なる槍も、既に数え切れないほどの魔族の命を貫いていた。
「もたもたしてたら。逃げちゃうわ。狩るならさっさとしないと」
魔法使いガロアが魔族の足を氷魔法で凍らせる。動けない魔族に、まるで的当てで遊ぶように火球を投げつける。炎上する魔族の断末魔が、煤に烟る空に響き渡る。
「神の御名の下に、不浄なる魔族を滅ぼす!我らが正義の行いだ!」
僕たちのパーティのリーダー、勇者ジャスティンは聖剣を高らかに掲げる。
ナスティリッチ教の教え。魔族は神が創りたもうたこの世界を汚す異端の存在。これを滅ぼすことは神への聖なる祈りであり、「善行」であった。
かつては僕もその教えを信じて疑わなかった。
教会で育ち、光魔法の才能を見出され、勇者パーティに選出された。
それは人間としてこの上なく誇らしいことだった。世界を救う、聖なる戦いだと信じていた。
僕たち勇者パーティは魔族領奥深くまで侵攻し、魔族とその集落を見つけるたび手当たり次第にそれらを狩り続けていた。
魔族は角が生えている以外は人間と殆ど変わらない容姿をしている。殺すことに僅かに抵抗はあったが、奴らは喋ることも出来ず、何を考えているかもわからない獣だと教わっていた。
だが、魔族領の空気に晒され続けたからだろうか。
『痛い、痛い、誰か、助けて』
『なぜ、我らがこんな目に』
『お願いします、我が子だけは』
聴覚にではない。魂に直接訴えかけてくる声のようなものが、僕の頭の中に響いてくるようになったのだ。
魔族は声帯を持たないはずだ。この声は一体なんなのだ?魔族の瘴気に当てられたのか?
しかしその声は長い遠征の中で僕の精神を徐々に、だが確実に摩耗させていった。
「イオ!すまん!回復魔法を頼む!」
ヴィクターが僕に向かって叫ぶ。我に返った僕は、彼に向けて回復魔法を行使する。
僕が放つのは、仲間を癒やす光の魔法。
だが、僕の心はこの天を覆う宵闇の黒より昏く沈んでいた。
「はあっ!」
ジャスティンの聖剣が閃き、抵抗しようとした魔族の首を刎ねる。首が舞い飛び、地面に落下し転がる。
返り血を浴びた彼の聖剣が、炎の光を反射して煌めく。
その姿は教会のステンドグラスに描かれた、神の威光を纏い、魔を滅する英雄そのものだった。
「ふむ、至って順調だ。これで最後かな?」
淡々と聖剣を振るうジャスティンの視線が、瓦礫の影に隠れる小さな影を捉えた。
それは、まだ幼い魔族の子どもだった。倒壊した家の隅に身を縮こませるようにしている。恐怖に震え、必死に息を殺している。
『こわい、こわい、こわい』
「おっと、こんなところに生き残りがいたか」
ジャスティンが口の端を吊り上げて笑う。
子どもの魔族はびくりと体を震わせた。恐怖に体が支配されているのか何も出来ず、後ずさる。
『やめて。こないで。こわい』
ジャスティンは何の感傷もないかのように、それが当然かのように子どもに向けて聖剣を掲げた。
「やめろ!ジャスティン!」
僕は思わず叫んでいた。
遅かった。掲げられた聖剣は子どもの頭に吸い込まれるように叩き込まれ、頭蓋を粉砕し、胴体を縦に両断していた。
ジャスティンは今聞こえた声を確かめるように、ゆっくりとこちらに顔を向けた。
「イオ、貴様、今何と?」
その顔には純粋な驚きが浮かんでいた。
「私にも聞こえましたよ」
ゼーロットが追及するように近寄ってくる。重厚な兜で遮られて、彼の表情は窺い知ることができない。
「どうかしたの?大丈夫?」
ガロアが不安そうに、心配するようにこちらを向いて言う。
「なんでこんな奴らに手心を加える必要があるんだぃ」
ヴィクターも困惑を湛えた表情でそう問うてきた。
皆から見つめられ、言葉が詰まる。喉まで出かけた言葉が、僕の理性によって押し留められている。手が震え、額に汗が滲む。これは、言ってはいけないことだ。
しかし、聖剣に斬り裂かれる直前の子どもの絶望の表情が僕の脳裏をよぎる。その光景が、僕の理性の箍を打ち壊した。
「これはただの虐殺だ!正義でもなんでもない!」
僕の絶叫は、既に日が落ちて、炎に赤く照らされるだけの漆黒の空に吸い込まれていった。
ジャスティンはゆっくりと僕に歩み寄ってくる。その瞳には、驚愕、困惑、猜疑、憤怒、様々な感情が浮かんでは消えていく。
「イオ。貴様は少し、この聖戦で感傷的になりすぎだ。頭を冷やせ」
僕の口からは堰を切ったように言葉が溢れ出す。
「感傷なんかじゃない!事実だ!僕たちはずっと、何の罪もない命を奪ってきたんだぞ!」
「罪がない?魔族であるということが、罪そのものだ。それがナスティリッチ教の教え。世界の真理だ」
ジャスティンは子どもに教え諭すように落ち着いた口調で言う。
「そんなものが!真理であっていいはずがない!」
僕の言葉に、ジャスティンの顔から表情が消えた。
「貴様、もしや・・・」
「魔族に味方するというのか?」
先ほどとは全く違う、地の底から響くような声が僕に突き刺さる。
射殺すような視線が4人から向けられているのがわかる。喉が一瞬で乾く。心臓が掴まれたかのように強張り、全身に力が入る。
「確かに、ここのところの貴様は何かおかしかった。戦場で何かを恐れるように怯え、魔族の死に顔に顔を歪めていた」
ジャスティンはゆっくりと僕に聖剣の切っ先を向ける。
「いいだろう!勇者ジャスティンの名において、イオを断罪する!」
その号令とともに、他の3人も武器を構えた。
「魔族に与するなど、言語道断!それは即ち、貴様もまた、我らが滅ぼすべき魔であるということだ!」
僕も即座に反撃しようと身構えるが、既に遅かった。
足が凍りついて動けない。ガロアの魔法だ。これでは避けることもままならない。
そう気づいたときには既に僕の左脇腹に槍が突き立てられていた。
ゼーロットの槍は僕の体を何の抵抗もなく貫通し、脇腹が抉られる。
熱い。
そう思った瞬間に今度は右肩を途轍もない衝撃が襲う。
ヴィクターの戦斧が、一撃で僕の鎖骨を、肋骨を、肺を裂いた。
右肩から右脇腹までを一直線に両断され、右腕が胴体の一部とともに削ぎ落とされていた。
その衝撃で思わず僕は膝をつく。
「さらばだ」
胸の中央に、聖剣が突き立てられる。もう既に僕の体は感覚の殆どを失っていた。
僕は仰向けに崩れ落ちた。
これが、死か。体から流れ落ちた生暖かい血の感覚だけがある。
僕の意識は、そこで途切れた。