第5話「魔族の使者」
──リュア村、神樹の周囲に柵が建てられ始めた頃。
村人たちが笑い合い、小麦の芽吹きを喜ぶ、そんな穏やかな朝。
だが、空気が変わったのは突然だった。
「……おい、あれ、なんだ?」
村の東の森。空が赤黒く染まり、風が止まる。
動物たちが一斉に逃げ出し、土が震える。
そして、現れた。
巨大な黒い獣──いや、獣の皮をかぶった魔族の騎士。
背には黒翼。手には毒を纏った大剣。目は、人間を見下すように冷たい。
「ここが、“神の使い”が現れた村か」
村人たちは恐怖に凍りついた。
その中で、アルレンだけが──パンをかじっていた。
「あー……今日のパン、焼きすぎたなあ」
「……貴様か、“神の使い”とやらは」
魔族の騎士が地を踏み鳴らすたび、大地がひび割れる。
にもかかわらず、アルレンはゆっくりと立ち上がり、パンのかけらを吹いてから、静かに言った。
「神じゃないし、使いでもないよ。
ただ、畑を耕しに来ただけ」
「貴様……我が主の敵か、味方か答えよ」
「どっちでもないかな。
でも、ここにいる人たちは、誰もあなたの敵じゃない」
──その瞬間。
魔族の剣が振り下ろされた。
村人たちの悲鳴。フィオナの叫び。
ナジアが動こうとした──が、それより速く。
「っ……は?」
剣が、止まっていた。
空中で。アルレンの指先ひとつで。
「びっくりした。……パン、落ちちゃうとこだったよ」
魔族の騎士が目を見開く。
その巨体が、風に吹かれる紙切れのように、遠くの森へ吹っ飛ばされた。
ドゴォンッ!!!
遠くで木が何本も倒れる音がして──
誰も、言葉を失った。
「ま、穏やかにいこうよ。ね?」
そう言ってアルレンは、落ちたパンを拾い、再びかじった。
その夜。
遠く離れた魔族の拠点。
吹き飛ばされた騎士が膝をつき、震えながら報告していた。
「……やつは、神か、それ以上の存在……」
そして──
魔族上層部の目に、“リュア村の青年”が本格的に留まることになる。
村では。
「……アルレンさま、もしかしてちょっと……本気出した?」
「ううん。まだ三分の一以下」
「うっそでしょ……」
そんな会話を聞きながら、アルレンは静かに空を見上げる。
(もうすぐ、王都も動き出すな……)
──そのとき、空に金の羽根が舞った。
次の巡礼地、「神隠しの森」へと、運命が導かれようとしていた。