第4話「荒廃の谷、目覚める命」
数日後──
リュア村の復興が進む中、アルレンはふと地図にも記されていない地へと足を向けていた。
「フェザード渓谷」──“神の墓場”とも呼ばれ、人々が忌み嫌う土地。
干ばつと死の霧に覆われ、かつて神が堕ちたという伝承すら残る地。
「ここは……ずいぶん、寂しい場所だね」
誰もいない渓谷に、アルレンの声だけが響く。
けれど、大地は震えていた。
彼の足が、踏みしめた瞬間に。
谷の奥へ進むと、濃霧の中に、かすかに光るものが見えた。
青緑の、小さな蛇。
宝石のような鱗を持ち、ただじっと、アルレンを見つめていた。
「……お久しぶりですね、アルレンさま」
蛇の声は、静かに、けれど明確に響いた。
次の瞬間、霧が渦巻き、蛇の身体が人の姿へと変わる。
黒髪に、深海のように揺らめく瞳。
艶やかな布をまとい、凛とした美しさをたたえた女性──
「ナジア……君も来てくれたんだね」
「この地が、あなたを呼びました。“命”と“毒”の境界を、あなたが超える時だと」
ナジアは渓谷に降り立つと、地面に手を添える。
だが、土は腐り、黒く、重い毒に侵されていた。
「この地脈……人の欲と戦の呪いで、完全に死にかけている」
彼女の声には怒りすらにじんでいた。
アルレンは、そっとその手に自分の手を重ねる。
「一緒にやろう。ここにも、命を返そう」
その瞬間──
空が、裂けた。
神の光が大地を包み、ナジアの周囲に水が舞う。
彼女の背に、巨大な蛇の幻影が浮かび上がった。
「“死”は、土の眠り。“毒”は、命の証」
ナジアの声に応えるように、渓谷の霧が晴れていく。
黒い土に、最初の“芽”が顔を出した。
それは、小さな花だった。
けれどその周囲に、どんどん命が連鎖して広がっていく。
干からびた谷が、ほんの数分で“楽園の片鱗”を取り戻していく。
その光景を、遠くから一人の者が見ていた。
──黒衣の男。王都の密偵。
「……この男、何者だ……。
“死の谷”を、一瞬で……?」
その目は、静かな恐怖を帯びていた。
そして、彼の報告によって、王都はざわめき始めることになる。
夜。
ナジアは焚き火の傍に座り、フィオナと向き合っていた。
「ちょっとぉ……なんでいきなり登場して、アルレンさまにベタベタしてるの?」
「彼の命は、私の神性で守られています。……あなたこそ、軽率な接触が多すぎる」
「うぐっ……!」
アルレンはその横で、苦笑を浮かべていた。
「仲良くしてね、二人とも。明日は……もう少し、南へ行こうと思う」
──そして、旅は続く。
地を癒し、命を芽吹かせる“豊穣の神”の巡礼は、次なる地へと向かっていく。
その先に、まだ見ぬ“未来”と、“敵”が待ち構えているとも知らずに。