第1話「ただの農民、ではありません」
天界──神々の座す黄金の広間。
豊穣の神・アレリウスは、静かな会議の空気を破るように、ぽつりとつぶやいた。
「……地上の大地が、少し泣いている気がするんだ」
周囲の神々が目を上げる。
だが誰も、真剣には捉えない。
「気にしすぎだ」「あれはああいうものだ」「また気まぐれか」
いつものように聞き流される中、アレリウスだけがパンを手に、遠くを見つめていた。
「ほんの少しでいい。触れてみたくなっただけさ。……この手で、大地に」
——その言葉とともに、彼の姿は光の粒となって消えていった。
ティルガルド大陸・最南端の廃村「リュア」。
干ばつと戦火により、地は裂け、作物は一つも育たない。
人々は飢え、かつての緑の村は、今や“死地”と呼ばれていた。
だがその村の端。
一人の青年が、静かに膝をつき、乾いた大地に手を添える。
「こんにちは。旅の農民です。
ほんの少しだけ、畑を借ります」
誰も答えない。
けれど彼は構わず、そっと地面に語りかけるように手を置く。
……風が止んだ。
空が、一瞬だけ光に染まる。
そして、青年の指先から広がるように、地が柔らかくほぐれ、
次の瞬間──
神樹が、生えた。
天に届くような一本の大樹。
枝には無数の実りが輝き、空気は香りに満ちる。
その場にいた村人たちは、ただ立ち尽くし、言葉を失っていた。
涙を流す者もいた。
青年は微笑んだ。
「まだ、生きられる。……そう言ってるね、大地が」
──そのときだった。
草の間から、白銀のウサギがぴょん、と跳ねて現れる。
その瞳は、まるで長い旅の終わりに愛しい人を見つけたかのように潤んでいた。
「アルレンさま……ようやく、会えました……」
やわらかな光に包まれ、ウサギは少女の姿へと変わっていく。
その手には、かつて神界で交わされた“契約の印”が刻まれていた——