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裏切りの残響

 絶望的な状況。


 しかし、アレンの心はまだ折れていなかった。裏切り者たちへの燃え盛る憎悪が、彼の枯れかけた生命力を無理やり奮い立たせていた。


(死んでたまるか……! あいつらに復讐するまでは……絶対に!)


 魔力は使えない。体は満身創痍。だが、アレンにはまだ知識と経験、そして何より不屈の意志があった。

 マナドレイン・ビーストが再び涎を垂らしながら迫ってくる。アレンは冷静に周囲を見渡した。この広間は儀式場のような作りで、天井には亀裂が走り、床には複雑な紋様が刻まれている。そして、壁際には風化した石像や瓦礫が散乱している。


(利用できるものは全て使う……!)


 アレンは最後の力を振り絞り、マナドレイン・ビーストから距離を取ると、壁際の不安定な石像の足元に駆け込んだ。魔獣が巨体を揺らして追ってくる。アレンはタイミングを見計らい、石像の基部にある僅かな隙間にショートソードの切っ先をねじ込み、テコの原理で力を加えた。


 ギリギリと音を立て、巨大な石像が傾き始める。

 マナドレイン・ビーストがアレンに飛びかかろうとした瞬間、石像は轟音と共に倒れ込み、魔獣の巨体を押し潰した。


「グギャアアアァァッ!」


 魔獣が苦悶の叫びを上げる。完全にとどめを刺すことはできなかったが、動きを封じることには成功した。


 アレンは息も絶え絶えになりながら、ふらつく足で広間を後にする。結界石の効果範囲外に出ると、わずかに魔力が戻る感覚があったが、同時に魔力回路(マナサーキット)がズタズタに傷ついていることを自覚した。無理に魔法を使おうとすれば、回路が焼き切れて廃人になりかねない。


(今は……とにかくここから脱出するんだ……!)


 幸い、ギルバートたちが逃げた通路はアレンが先行して罠を解除していたルートだった。アレンは壁に手をつき、引きずるようにして歩を進める。途中、力尽きそうになりながらも、裏切り者たちの顔を思い浮かべ、憎しみを燃料にして意識を繋ぎ止めた。


 どれほどの時間が経っただろうか。

 ようやく遺跡の入り口から、外の光が見えた時、アレンはそのまま地面に崩れ落ちた。


 数日後。

 アレンはボロボロの体を引きずり、竜哭山脈(りゅうこくさんみゃく)を下山し、王都へとたどり着いた。


 すぐにでもギルドに報告し、ギルバートたちの裏切りを告発しなければならない。そして、傷ついた体を癒す必要もあった。


 しかし、王都の門をくぐった瞬間から、アレンは異様な視線に晒されていることに気づいた。

 すれ違う人々が、彼を見てひそひそと囁き合い、指を差す。その視線には、好奇心だけでなく、明らかな侮蔑と敵意が込められていた。


(何だ……? これは……)


 戸惑いながらも、アレンはギルド支部へと向かう。だが、ギルドの入り口で見張りの冒険者に腕を掴まれ、中に入れてもらえなかった。


「おい、アレン! どの面下げて戻ってきた!」

「裏切り者が何の用だ! とっとと失せろ!」

「な……何を言っている? 裏切ったのはギルバートたちだ! 俺は嵌められたんだ!」


 アレンが必死に訴えるが、彼らは聞く耳を持たない。


「ふん、往生際の悪い奴め! ギルバート様から全て聞いているぞ! お前が宝を独り占めしようとして仲間を危険に晒し、魔物に怯えて一人で逃げ出したんだろうが!」

「違う! それは嘘だ!」

「うるさい! これ以上騒ぐなら衛兵(ガード)を呼ぶぞ!」


 アレンは追い払われるように、ギルドの前から立ち去るしかなかった。

 信じられない思いで、馴染みの宿屋へと向かう。いつも温かく迎えてくれた宿屋の主人なら、話を聞いてくれるかもしれない。


 しかし、宿屋の扉を開けたアレンに向けられたのは、かつてないほど冷たい視線だった。


「……アレンか。何の用だい?」

「主人、頼む、話を……」

「話すことなんかないね! あんたみたいな臆病者を泊めるわけにはいかないんだ! さっさと出て行ってくれ!」

「臆病者……? 俺がいつ……!」

「ギルバート様から聞いたんだ! 仲間を見捨てて、自分だけ助かろうとしたんだろう!? あんたにはがっかりだよ!」


 主人は忌々しげに言い放ち、アレンを店の外へと突き飛ばした。


 その後も、アレンは街を行き交う人々に声をかけようとした。

 かつて魔物の襲撃から助けた商人。依頼で世話になった情報屋。親しく言葉を交わした武器屋の店主。

 だが、誰もがアレンを裏切り者、臆病者と罵り、時には物を投げつけ、暴力を振るおうとする者さえいた。


「疫病神が! 近寄るな!」

「裏切り者にはお似合いの末路だ!」

「消えろ! 二度と顔を見せるな!」


 子供たちが囃し立て、石を投げてくる。


「裏切り者ー!」

「臆病者ー!」


 ギルバートが流した悪評は、アレンが想像していた以上に深く、広く街全体に浸透していた。アレンが築き上げてきた信頼や評判は、一夜にして地に堕ち、憎悪と侮蔑の対象へと変わってしまっていたのだ。


 降りしきる冷たい雨の中、アレンは人気のない路地裏に倒れ込んでいた。

 体は傷つき、疲労困憊し、そして心は……完全に打ち砕かれていた。


(なぜ……? 俺が、何をしたっていうんだ……?)


 正義感、仲間への信頼、人々への善意――アレンが信じてきたものが、音を立てて崩れ落ちていく。

 必死で依頼をこなし、街を守り、人々を助けてきた。その結果が、これなのか?


(ギルバート……ダリオ……リリア……)


 裏切った仲間たちの顔が浮かぶ。

 そして、手のひらを返したように自分を罵る街の人々の顔。


 絶望がアレンの心を支配し、やがてそれは、どす黒い憎悪へと変貌していく。


(許さない……)

(絶対に、許さない……!)


 アレンは雨に打たれながら、虚ろな目で空を仰いだ。その瞳の奥に、復讐の炎が静かに、しかし激しく燃え上がっていた。


「必ず……必ず、復讐してやる……!」


 乾いた唇から、呪詛のような言葉が漏れる。

 それは、アレンがこの理不尽な世界に対して立てた、初めての、そして唯一の誓いだった。


 その時、路地の入り口に衛兵(ガード)たちの姿が見えた。アレンの噂を聞きつけ、捕まえに来たのだろう。


(……!)


 アレンは最後の力を振り絞って立ち上がり、壁伝いに走り出す。

 傷ついた体は鉛のように重く、息も切れ切れだったが、復讐の誓いが彼を突き動かしていた。


 追っ手を振り切り、街の喧騒から逃れるように、アレンは無我夢中で走り続けた。

 そして、気づいた時には、王都の城壁の外――人々が決して足を踏み入れようとしない、広大な森の入り口に立っていた。


 禁忌(きんき)の森。

 古代の呪いが眠り、凶暴な魔獣が跋扈すると言われる、禁断の場所。


 行く当てもなく、全てを失ったアレンにとって、その森はまるで、自らの絶望と憎悪を映し出す鏡のように見えた。

 アレンは、吸い寄せられるように、森の中へと足を踏み入れた。


 その先にあるのがさらなる破滅か、あるいは――。

 今はただ、復讐の誓いだけを胸に、暗く深い森の奥へと進んでいくしかなかった。

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