燻る嫉妬と亀裂
『暁の剣』の旗印の下、アレンたちは着実に実績を積み重ねていた。
ギルバートの貴族としての顔の広さ、聖女と見紛うリリアの献身的な治癒と人々を惹きつける魅力、ムードメーカーであるダリオの屈託のなさ、そして何より、アレンの卓越した魔法知識と応用力がもたらす驚異的な依頼達成率――それらが組み合わさり、彼らの名は短期間で王都の冒険者たちの間に広まっていった。
特にアレンの魔法は、時に戦況を一変させ、不可能を可能にする力を持っていた。人々は彼を「暁光の魔導師」と呼び、その若き才能を称賛した。
しかし、パーティーの名声が高まり、アレンへの評価が上がるにつれて、リーダーであるはずのギルバートの内心は穏やかではなかった。
アレンの存在は、パーティーの成功に不可欠であると頭では理解していながらも、貴族としてのプライドと、常にアレンに注目が集まる現実とのギャップが、彼の心に暗い影を落としていた。
その燻る嫉妬は、ある高難易度の依頼をきっかけに、明確な亀裂へと変わっていくことになる。
その依頼は、近隣の山脈に出没し、交易路を脅かしているという「疾風のワイバーン」の討伐だった。
ワイバーンはその素早い動きと強力な風のブレスで知られ、並の冒険者パーティーでは歯が立たない難敵だ。
「相手はワイバーンか……手強いが、これを達成すれば俺たちの評価はさらに上がるな」
ギルバートは依頼書を読み上げ、自信に満ちた表情で言った。しかし、その視線はちらりとアレンに向けられている。
「アレン、何か策はあるか? お前の分析を聞かせてくれ」
リーダーとして当然のようにアレンに意見を求めるギルバート。その言葉には、表向きの信頼と裏腹の、値踏みするような響きが微かに混じっていた。
「ワイバーンは飛行能力とブレスが厄介ですが、弱点もあります。翼の付け根の特定の鱗は比較的脆く、そこを集中して狙えれば飛行能力を奪える可能性があります。また、風のブレスは強力ですが、予備動作が大きい。その隙を突くか、あるいは……」
アレンは地図とこれまでの目撃情報を照らし合わせながら、冷静に分析結果といくつかの作戦案を提示する。彼の説明は常に論理的で、具体的な対応策まで含まれていた。
「よし、ではアレンの分析通り、まずは翼を狙う。ダリオと俺が前衛で注意を引きつけ、アレンが魔法で翼を狙撃。リリアは後方から支援と回復を頼む」
ギルバートはアレンの作戦をほぼそのまま採用し、指示を出す。一見、理に適った連携に見えた。
ワイバーンの巣があるという険しい岩山地帯。
『暁の剣』一行は、アレンの魔力探知によって事前にワイバーンの位置を特定し、奇襲に近い形で戦闘を開始した。
「行くぞ!」
ギルバートとダリオが雄叫びを上げ、ワイバーンに斬りかかる。巨大な翼竜は鋭い爪と尻尾で応戦し、激しい攻防が繰り広げられる。
「《氷槍》!」
アレンは冷静に戦況を見極め、ワイバーンが体勢を変えた一瞬の隙を突き、氷の槍を放つ。狙いは翼の付け根。しかし、ワイバーンは寸前でそれを察知し、身を翻して回避する。
「くそっ、速い!」
ダリオが悪態をつく。
「リリア、援護を!」
ギルバートが叫び、リリアは詠唱を開始する。
戦闘はアレンの作戦通りに進んでいるかに見えた。だが、ギルバートは内心焦っていた。アレンの魔法が当たらなければ、自分たちがどれだけ前線で奮闘しても決定打にならない。またしてもアレンの力に頼らざるを得ない状況が、彼のプライドを刺激していた。
(このままでは、またアレンの手柄になる……! 俺が、俺が決める!)
その焦りが、致命的な判断ミスを招く。
ワイバーンが大きく息を吸い込み、風のブレスを放とうとした瞬間。それはアレンが言っていた「予備動作」であり、最大の隙でもあった。アレンが次の魔法を準備していたその時――
「今だ! 喰らえ!」
ギルバートはアレンの制止を待たず、単独でワイバーンの懐に飛び込み、渾身の剣技を繰り出した。
しかし、それは浅慮だった。ブレスの予備動作は、同時に強力なエネルギーを溜め込んでいる状態でもある。ギルバートの攻撃はワイバーンの硬い鱗に弾かれ、逆に体勢を崩してしまう。
「しまっ――」
そして、至近距離から放たれる暴風のブレス。ギルバートはなすすべなく、その圧倒的な威力に飲み込まれようとしていた。
「ギルバート様!」
「ギルバート!」
リリアとダリオの悲鳴が響く。
「《絶対凍土》!」
アレンの声が響き渡った瞬間、ギルバートの周囲の空間が一瞬にして凍りついた。
放たれた風のブレスは、アレンが展開した極低温の結界に触れた途端に勢いを失い、凝結して氷の礫となり霧散する。同時に、結界の余波でワイバーンの足元まで凍りつき、その動きが鈍った。
「今だ、ダリオ!」
アレンが叫ぶ。
ダリオは即座に反応し、動きの鈍ったワイバーンの翼の付け根に、渾身の一撃を叩き込んだ。
ギャァッ、と苦悶の叫び声を上げ、ワイバーンは飛行能力を失い地上に墜落する。あとは、動けなくなったワイバーンにとどめを刺すだけだった。
窮地を脱し、討伐は成功した。だが、ギルバートはアレンに助けられたという屈辱と、自分の判断ミスが招いた結果に、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
王都に戻り、依頼達成の報告を済ませた『暁の剣』一行は、馴染みの酒場で作戦成功の祝杯をあげていた。
「いやー、危なかったぜ! さすがアレンだな! あの魔法がなけりゃ、今頃俺たち……」
ダリオが興奮冷めやらぬ様子でアレンの肩を叩く。
「本当に……アレン君のおかげです。ありがとうございます」
リリアも心からの感謝をアレンに伝えた。
周囲の席からも、彼らの活躍を聞きつけた他の冒険者たちの声が聞こえてくる。
「おい、聞いたか? 『暁の剣』がワイバーンを仕留めたらしいぜ!」
「本当かよ! すげぇな!」
「特に、あの魔導師のアレンって奴がヤバいらしい。一瞬でブレスを凍らせたとか……」
「やっぱり『暁の剣』のエースはアレンで決まりだな!」
称賛の声は、しかし、ギルバートの耳には苦々しく響くだけだった。
彼は表面上は笑みを浮かべて酒杯を重ねていたが、テーブルの下で握りしめた拳は、怒りと屈辱で白くなっていた。グラスを持つ指先が微かに震えている。
(なぜだ……なぜ俺ではなく、あんな平民の小僧ばかりが……!)
(リーダーはこの俺だ! 俺こそが『暁の剣』を率いるに相応しい!)
(アレン……貴様さえいなければ……!)
嫉妬の炎は、もはや抑えきれないほど燃え上がっていた。
リリアとダリオも、ギルバートの纏う不穏な空気と、アレンに向けられる刺すような視線に気づいていたが、どうすることもできず、気まずそうに視線を逸らすだけだった。パーティー内に生じた亀裂は、もはや誰の目にも明らかだった。
その夜。
ギルバートは一人、自室でアレンへの憎悪を募らせていた。
「許せない……絶対に許してたまるか……!」
彼はついに決意する。アレンを、このパーティーから、いや、この世から排除することを。
貴族としての地位も、これまでの名声も、全てアレンの才能の前では霞んでしまう。ならば、その才能ごと消し去るしかない。
ギルバートは外套を目深に被り、夜の闇に紛れて王都の裏通りへと足を向けた。
人目を忍んで辿り着いたのは、埃っぽい匂いが漂う古びた酒場の一室。そこには、痩せた影のような男――裏社会に通じた情報屋が待っていた。
「……例の件、準備はできているか?」
ギルバートは低い声で尋ねる。
情報屋は卑屈な笑みを浮かべ、懐から黒い布に包まれた小さな石を取り出した。
「へえ、旦那様。お約束の『魔力擾乱の結界石』の模造品、確かにご用意できておりやす。こいつを使えば、ある特定の範囲内の魔力の流れを大きく乱し、特に高度な魔法の行使を困難にしやすぜ。古代魔法なんぞを使おうもんなら、術者は激しい抵抗を受けるとか……まあ、模造品なんで効果のほどは保証できやせんが」
「構わん。それで十分だ。あとは……奴を確実に嵌めるための『舞台』だな」
「へえ。それもいくつか心当たりが。特に、近頃噂になっている竜哭山脈の古代遺跡なんぞはいかがですかい? あそこは元々魔力が不安定な土地柄。おまけに、危険な魔物も巣食っているとか。宝目当てに潜り込んだ冒険者が何人も行方知れずになってるそうで……まさしく、事故に見せかけて誰かを始末するにはうってつけの場所かと」
情報屋の言葉に、ギルバートの口元が歪んだ笑みに吊り上がる。
「竜哭山脈の古代遺跡、か……。いいだろう、それに決めた」
アレンを社会的に、そして物理的に抹殺するための邪悪な計画が、静かに、しかし確実に動き始めていた。