プルメリア
柳生寿の朝は早い。
「寿お嬢様。起床のお時間です」
広い和室の襖を開けて世話係の男が寿に声をかける。
「…もうそんな時間ですの」
「おはようございます。寿お嬢様」
「おはようセバス。いつもありがとう」
「…お嬢様。私はセバスではなく平田です」
いつも通りの会話を済ませて寿は布団から出る。時刻は早朝五時で、この季節はまだ夜と言っていい程に真っ暗だ。
袴に着替えると敷地内にある弓道場へと向かい日課としている朝の稽古を済ませるとシャワーを浴び、朝食を済ませ、身支度をして車で学校へと向かう。
朝の稽古で物足りなさを感じた時は学校の中にある弓道場で少し汗を流す事もあり。今日はその日のようで学校に着くと体育館の横にある弓道場へと向かう。
部室の前を通り過ぎようとした時。寿は何かをフッと思い出したように立ち止まり部室を見つめる。
(…蒼汰様は覚えていないでしょうね。私達が最初に出逢ったあの日の事を…私は今でもハッキリと覚えていますわ。あれは…)
11年前の冬のNY。
小学一年生の冬休み。私はお父様のお仕事について行く事になりNYに来ていた。
お父様と一緒にNYを見て回る約束をしたけれど私の予想通り。お父様はお仕事が忙しくて一緒にNYを見て回る暇など無く。私は生まれた時から身の回りの世話をしてくれているセバスと護衛の数人とNYの街に出ていた。
「寿お嬢様。雪が降っておりますので足下にお気をつけ下さい」
「そう致します。ありがとうセバス」
「…お嬢様。私は平田でございます」
「そうでしたわね。ごめんなさい」
執事と言えば『セバス』なのに『平田』と名乗るこの世話係はいつも私の側にいて護衛もいつも数人が付き添う。一人になれるのはお手洗いの時とお風呂の時と学校へ行った時と寝る時くらいしかありませんでした。
そんな生活を生まれた時からずっと続けてきていた私は最近ウンザリしてきていて。一人になりたい願望は日に日に増していくばかりでした。
世界的に有名な財閥の一人娘として生まれ。何不自由なく生きていける事には感謝していましたが。他の家の子らと違う生活はこの頃の私には理解出来ませんでした。
一人になりたい願望がピークに達した時ちょうど突風が吹いて平田達の注意が私から離れたので。私はその瞬間を利用して監視の目から逃れる事に成功したのです。
「うっ……大丈夫ですかお嬢様?…お嬢様?…お嬢様ぁぁー!!??」
外で初めて一人になれた事にワクワクしていたのは最初だけでした。全てを平田達に任せていた私は一人なると何も出来ず。行き先も不明なままただ歩く事しか出来ませんでした。
(平田達のとこに帰りますわ)
そう思って引き返そうとしたのですが。どう行けば平田達のとこに帰れるか道が分からず。気がつけば広い公園に私は着いていました。
公園のベンチで一人座って寒さに震えていると。私と同じくらいの歳の子が私の隣に座ってきました。
その子は本を読んでいて。見た目は私と同じ日本人に見えたので私は話しかけてみようと思い口を開きました。
「あなた…日本人ですの?」
私の問にその子は何も反応しませんでした。
(聞こえなかったみたいですわね)
私はもう一度その子に今度は大きめの声で声をかけました。
「あなた日本人ですの?」
「…ん?わっ!何だお前!?いつからそこにいた!?」
私の方を振り向いてその子は驚いた表情を見せました。
「私の方が先にここにいましたけど?」
「えっ?…ぜんぜん気づかなかった」
「あなたも迷子ですの?」
「迷子?そんなわけないだろ(笑)ここはとーさんの職場のちか…く……ここはどこだ?…え?え?…ここはどこだ!?」
(やっぱり迷子じゃないですの。変な子ですわね)
その子は自分が迷子だと気付くと右往左往しながら慌て始めました。その様子を見ていると段々と可笑しくなってきて、私はNYに来てから初めて笑ってしまいました。
「ふっ…ふふっ」
「お前今…笑ったか?」
「あ…申し訳ありません。つい…可笑しくて…ふふっ」
「また笑ったなー!」
私とその子は今のがきっかけで仲良くなり。それから二人で公園のベンチに座りながら色んな話しをしました。
同年代の男の子とこんなに話しをするのは初めての経験でしたし。それに、この子の話しとリアクションが可笑しくて私は迷子だという事も忘れてこの子の話しを笑いながら聞いていました。
「そういえば、アナタお名前は?」
「俺か?俺は『そうた』。『かぜかげそうた』」
「『そうた』さんと言うのですね。私は『やぎゅういのり』と申します」
「『いのり』?変わった名前だな」
それからも私達は色んな話しをしました。
そうたさんに妹がいること。ラノベ?とかいう本が好きなこと。学校ではいつも一人で友達がいないこと。将来は作家さんになりたいこと。そうたさんは色んな話しをしてくれました。
私も自分の家のこと。お父様お母様のこと。セバスのことなど。色んな話しをして、私の話しをそうたさんは「へぇー」や「そうなんだ」と言いながらずっと聞いてくれました。
気付いた時には周りは暗くなっていて私は一気に不安になってしまいました。
「どうした?」
「…こ、このまま…私はずっと一人きりで…」
私が不安そうに言うと。そうたさんは優しく私の手を握ってくれました。
「大丈夫だ。家の人が見つけてくれるまで俺が一緒にいてやるから安心しろ」
そうたさんの優しい言葉と私より少し大きな暖かい手が私の不安を一気に吹き飛ばしてくれました。
「…そう言うそうたさんも私と同じで迷子ではないですか?」
「あっ…そうだった…絶対かーさん怒ってるよぉ〜」
『大丈夫』『安心しろ』と私に言っておきながらお母様に怒られる心配をするそうたさんの表情を見ていると自然と私の中から笑顔が出てきました。
そしてその瞬間。私達をたくさんのヘリコプターがライトを照らし、一瞬にして夜から昼へと明るさが変わりました。
「見つけましたよお嬢様ぁぁー!!!」
聞き覚えのある声の方を見ると平田が何か叫びながら私達に全速力で近づいてきました。
「えっ!?なんだ!?何が起きてる!?とりあえずごめんなさい!」
ライトや平田の叫び声に驚いたそうたさんはそう言って土下座をして謝り続けていました。
「ご無事でしたかお嬢様!?」
「私を探してくれていたのですねセバス!」
「迎えが遅くなり申し訳ありません!…あと私は平田です」
「やっと見つけたわ!!!蒼汰ー!!!」
「か、かーさん…」
そうたさんはお母様からゲンコツをされて頭を両手で押さえながら「いってぇぇー!」と叫んでいました。
そうたさんのお母様と平田が何か話しをしている間に私はそうたさんのもとへ行き声をかけました。
「大丈夫ですの?」
「いってぇなチキショーっ…あのクソばばぁ」
「私のせいですわ。申し訳ありません」
「いのりは何も悪くないよ。それより…これでもうお互い迷子じゃなくなくなったな」
そう言ってそうたさんは笑顔を見せ。その笑顔を見た瞬間に私は胸の奥がキュッと締め付けられる感触を感じました。
「あっ、かーさんが呼んでる。じゃーな!いのり!」
「そ、そうたさん!」
「ん?何だ?」
お母様のもとへ走って向かおうとしていたそうたさんは私の声に反応して立ち止まり振り返る。
「また…またお会いできますか?」
「…会えるさ。俺らは同じ星に生まれているんだから。きっといつかまた会える。その為に…俺達は今日ここで出逢ったんだ」
その言葉を聞いて私はあの胸の痛みの正体が分かった。
あの胸の痛みは『恋』だと。
私はそうたさんに『恋』をしたんだと。
「ハハっ(笑)今のセリフ、今描いてる作品の主人公の決めセリフなんだ(笑)…じゃ!またないのり!」
そう言ってそうたさんはお母様のもとへ走って行きました。
「そうた…様」
その日から私は蒼汰様に恋をしていましたが。その日以来、私と蒼汰様が再び会う事はありませんでした。
10年後。
海外留学を終えて私はお母様の母校である鈴蘭高校に入学する為に日本に帰ってきていた。
入学式の直前、私は体育館横の元弓道部の部室前に来ていた。
「ここがお母様が通っていた学校。ここがお母様が入部していた弓道部…今は廃部になっているみたいですがいつかは…」
お母様が入っていた弓道部を復活させる為に私はこの高校を選んだのですが…そんな私に奇跡が起きるとはこの時の私はそんな事を微塵も思っていませんでした。
入学式に向かう寿と同じ一年生の男子生徒がすれ違う。
すれ違った瞬間。寿は何か懐かしいモノを微かに感じて後を振り返る。
目に入ったのはよく目を凝らして見ないと景色と同化してしまいそうな男子生徒だった。
(…気のせいですわね)
そう思った寿は再び体育館へと向かって歩き出す。
初めてのホームルームの自己紹介で蒼汰の存在を知った寿は言葉を失い。その日から言葉が話せないキャラが定着してしまった。
二人が言葉を再び交わすのはそれから約一年後になる事を寿は知る由もない。
「あら?風陰さん。今日はお早いですね」




