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【7】 素顔

 宴を抜け出して、灼也様と共に私は夜の妖怪の国を歩き続けた。


 柔らかな月の明かり、人の世の技術が取り入れられた電灯の華々しさ、無数の蛍が飛び交う幻想的な光景。彩り豊かだった日中の美しさとはまた異なり、夜の闇に染まった世界は妖艶な美しさが揺蕩っていた。


 灼也様は何も語ることなく淡々と夜の町を抜け、隠形院に続く道を逸れて、満開の桜が咲き誇る薄紅の森を進んでいった。


 すらりと長い足の灼也様ならもっと早く歩くこともできたはずなのに、私の歩幅に合わせてゆったりと歩いてくれていた。その優しさがとても嬉しくて、同時に酷く申し訳なくて、心の中でぐちゃぐちゃの感情が渦を巻いていた。


 そんな私の心の乱れを鎮めてくれたのは、辿り着いた場所の静謐な空気だった。


 真っ赤な鳥居をくぐると、そこは神社や寺院にも似た清らかな雰囲気を放っていた。壮大な隠形院とは対照的に静寂を象っているかのように、ぽつねんと佇むのはレンガ造りの真新しい洋館だった。


 四方を大きな鳥居で囲まれている洋館、という異質な光景に呆然と見蕩れてしまう。


「……ここが我の屋敷だ。いや、今日からは我らの屋敷、と言うべきか」


 呆けている私の傍に立ち、灼也様は淡い声色で小さく言った。


「……遠慮はいらぬ。さあ、入れ」


「は、はいっ……し、失礼しますっ」


 灼也様に促されるまま、私はおずおずと洋館の中に足を踏み入れた。


 外が外なら、中も中。同じ洋風建築でも嘉村家のオンボロ館とは別物で、叔母がくれた絵本に載っていた王子様が住まう宮殿のような内装が上品な煌めきを放っていた。決して下品な成金趣味ではなく、派手と詫び寂びが絶妙な塩梅で成り立っている豪華さだった。


「……改めて、すまぬ」


 玄関を進んだ先にある広間で灼也様は私に振り返り、ぺこり、と再びお辞儀をした。対する私がまたしても慌てふためくよりも早く、灼也様は言葉を続けた。


「……突然に縁談を吹っかけられて、妖怪の国に連れてこられて、あっという間に結婚式を執り行って、お前の意思を悉く無視して事を進めてしまったこと、深く謝らせてくれ」


 深々と頭を下げたまま、灼也様は更なる謝罪の言葉をつらつらと連ねていった。


「……加えて、ホホロギ様の不躾な言葉の数々、誠に失礼した。ホホロギ様は決して悪いお方ではないのだが、妖怪の未来を案ずるがあまり急いてしまっているのだ」


「そ、そんなに頭をさげないでください……っ」


 あたふた、わちゃわちゃ、じたばた、と私は灼也様の周囲を走り回った。偉大なお方に二度も頭を下げさせるなど、世が世なら切腹ものだ。いや、私は武士ではないから切腹もさせてもらえず、打首獄門だ。もはや一族諸共、皆殺しの末に晒し首だ。


「しゃ、灼也様っ!」


 思わず旦那様の名前を口に出して、私は声を張り上げていた。


「灼也様が謝ることなんて、万に一つもありません……! 没落した嘉村家に縁談を持ちかけてくれたことはとても光栄ですし、妖怪の国の美しさと賑やかさはとても愉しいですし、何よりも灼也様との結婚を私は心より幸せだと思っていますっ!」


 ほとばしる感情任せに喋っているせいで、それが嘉村海理としての言葉か、はたまた嘉村樹理としての言葉か、何がなんだかわからなくなっていた。


「……そうか」


 灼也様はゆらりと頭を上げて、私の顔をまじまじと見つめた。


「……ありがとう」


 穏やかな声色で仰った瞬間、灼也様は倒れ込むようにして床に尻餅をついた。


「灼也様!」


 慌てて駆け寄った私を手で軽く制して、灼也様は「限界だ」と声を漏らした。そして、心配する私の顔を見上げながら、おもむろに狐の仮面を外し取った。


 その素顔は醜い化け物――などではなかった。


 狐の顔、でもなかった。


 凜と整った眉毛が麗しく、切れ長の目が涼やかで、すんと高い鼻筋が凜々しくて、薄い唇が色っぽい、絶世の美貌を誇る人間の殿方だった。


 昔、叔母に見せてもらった活動写真のどんな人気役者よりも、絵本に描かれていたどんな王子様よりも、遙かに美しい。いや、ただ美しいだけではない、妖艶なのだ。真っ白な神秘的な髪の毛も含めて、妖しくも美しい魔性の美男子であった。


 たとえるならば、理想の中で思い描く源義経の如く。


 唐突に明かされた灼也様の素顔に私はひたすらに見蕩れ、虚を突かれていた。


「ぷはーっ! 堅苦しかったー」


 大きく息を吐き出して、灼也様はこれまでの厳かな雰囲気とは異なる軽やかな声を弾ませた。まるで別人に成り代わったんじゃないか、と思えるほどの豹変っぷりだった。


「いやぁ、もう少し我慢するつもりだったんだけど……キミのとんでもない慌てっぷりを見ていたら可笑しくなって、気が抜けちゃったよ」


「え? ……え? え?」


 困惑する私を細めた目で愉しげに見つめて、灼也様は肩をすくめた。


「宴の間ずっと正座しててさ、しんどいのなんのって。みんなお酒飲んだり、ご馳走食べたり、乱痴気騒ぎしているのに僕だけだんまりなんだから。それが白妙の軍神とはいえ、流石に長時間は疲れてへろへろだよ」


 混乱し過ぎたせいか、私は脊髄反射で「お疲れ様です!」と場違いな言葉を放ってしまった。そんな間抜けな私が余程おかしいのか、灼也様は朗らかに顔をほころばせていた。


「フフッ。キミはやっぱり、面白いね」


 うららかな陽だまりのような灼也様の笑顔を見た瞬間、私は胸元から妙な高鳴りをしたのを感じた。


「ちょっと失礼するよ」


 謎のドギマギに悩んでいる私をチラリと見て、灼也様は懐から煙草とマッチと小さな灰皿を取り出した。


「これは華煙草といって、妖怪特性の煙草でね。煙を吸っても害は一切なく、むしろ健康に良いものなんだ。まぁ、漢方のようなものかな」


 箱から取り出した華煙草をそっと咥え、片手で器用にマッチを擦って火を灯した。一度、深く吸い込んだ後、灼也様は白い煙をふんわりと口から吐き出した。煙草特有の煙臭さはまったくなく、甘くて爽やかな花の香りが鼻孔をくすぐった。


「良い香りでしょ? これはキンモクセイの香りの銘柄だよ」


 慣れた手つきで華煙草の灰を小さな灰皿に落とし、灼也様は床に座り直した。よくよく考えると、屋敷の床にあぐらをかいている軍服姿の殿方としゃがみ込んでいる白無垢姿の私、という光景は中々に奇妙なものだ。


「びっくりしたかもしれないけど、これが白妙の軍神の――僕の本性なんだ」


 灼也様は目を細めて、ぷかぷかと煙を吐いた。


「……本性、ですか」


 それは、嘉村海理という偽物の皮を被っている私には重い言葉だった。


「ホホロギ様も言っていたけど、今の時代の妖怪達は大変なのさ。人からの信仰と畏怖を失って、どんどん弱体化して、お先真っ暗だ~……って、みんな嘆いている。だから、白妙の軍神という英雄が必要なんだ。最強無敵の大妖怪という希望にすがって、安心したいのさ」


 床に転がっている狐の仮面を一瞥する灼也様の眼差しは生温かく、どことなく湿っているように思えた。


「全身を真っ白に統一しているのも、仮面を被っているのも、仰々しい武人を演じているのも、全ては白妙の軍神という虚像をそれっぽく見せるため」


 腰に携えた紅蓮の刀を優しく撫でて、灼也様は首を横に振った。


「つまり、今の白妙の軍神はただのお飾りなんだ。そりゃあ、昔は伝説の通りに無双したもんだけどね。……発展した人の世において、妖怪の力なんてたかがしれている。外国の戦闘機や戦車の前ではひとたまりもないよ」


 それは諦めの言葉だった。けれど、そこに弱々しい感情は込められていなかった。まるで幼子を諭すかのような口調で、甘い愛を囁くような声色で、自らの力を斜めから嘲るような言葉だった。


 実際のところ戦闘機や戦車にも楽々と勝てるのではないか、と思ってしまうほど、目の前の存在は底知れない何かを秘めている気がした。


「フフッ。そんな綺麗な瞳で見つめられると照れちゃうな」


 吸い終わった華煙草を灰皿へ丁寧に押しつけて火を消し、灼也様は本当か嘘かわからない表情ではにかんだ。


「情けない真実を聞かせてゴメンね。でも、結婚したからには、ちゃんと話しておかなきゃいけないと思ってさ」


「な、情けないなんて、そんな……!」


 そんなことないです、と言えるほど私は灼也様のことを知らなかった。このまま言い切ってしまえば、それはただの綺麗事にしかならない、と思って言葉をグッと呑み込んだ。


 厳かな狐の仮面とはまるで正反対な、飄々とした素顔。


 それは美しくも、妖しい魅力を孕んでいた。美しいからこそ、妖しく。妖しいからこそ、美しい。人々の心を奪う傾城の美女のようで、それでいて、人々を先導して死地を駆け抜ける武士のようでもある。


 見る角度によって異なる魔性を煌めかせる万華鏡のような美貌だ。


 たとえ、白妙の軍神という存在がお飾りであっても、このお方から感じる強さは本物だと私はひしひしと感じ取っていた。むしろ、仮面を外した素顔にこそ、灼也様の真実の魅力があるのだ、と。


 英雄としての力だけでは収まらない、未曾有の輝き。


 正も邪も丸ごと併せ呑む理外の怪物。


 それが九重灼也様。


 私の……嘉村海理の、旦那様。


「おっと、いつまでも床に座ってるわけにはいかないよね。とりあえず、着替えてこよっか。僕も軍服のままだと落ち着けないし」


「は、はい……!」


「白無垢は一人で脱げないと思うから、川田さんに手伝ってもらおっか。川田さーん!」


 そう仰って灼也様は屋敷の奥に向けて声を上げた。すると、「はーい!」と伸びやかな返事と共に素早い身のこなしで一人の老婆が走ってやってきた。いや、跳んでやってきた、という方が正しいかもしれない。


「お帰りなさいませ、九重様。そして、奥方様」


 川田さんと呼ばれたおばあさんは優しそうな表情を柔和に緩ませて、にんまりと笑った。

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