【6】 白妙
妖怪の国で一番大きく晴れやかな庭園にて、灼也様と私の結婚式は盛大に行われた。それはもう、目玉が飛び出るくらいに派手で、沢山の妖怪達に囲まれて、賑やかな大祭りのような結婚式だった。
私は豪奢にもほどがある美麗な白無垢に着替えさせられ、生まれて初めての化粧を施され、ホホロギ様の為すがままだった。
想像以上に電光石火、疾風迅雷の結婚式だったため、何をしていたのか記憶がほとんどない。気づいた頃には庭園のど真ん中で灼也様と共に敷物の上に座り、宴を愉しむホホロギ様や他の妖怪達に囲まれていた。
酔っ払って機嫌上々なホホロギ様の様子から察するに、どうやら私が偽物であることはバレていないようだった。嘉村家への結納金もたんまりと送ることを約束してくれたので、一先ず私の役目は果たせたようで安心した。
ふぅ、と一息吐き出して、妖怪達の宴を見渡した。
梅の花が咲き誇り、見事な枯山水が広がる庭園には沢山の妖怪達が集まっていた。灼也様と私達をうっとりと眺めながらお酒を飲む者、ホホロギ様が用意した豪華絢爛たるご馳走に舌鼓を打つ者、酔っ払って舞い踊る者、と誰も彼もが浮かれはしゃいでいた。
妖怪の国を訪れた時は黄金色だった空はすっかり黒く染まり、人の世と変わらない――いや、人の世を越えるほどの美しいまん丸の月が夜空に煌めいていた。
月明かりと電灯に照らされて、妖怪達は無礼講のお祭り騒ぎだ。
「ワシはこの電気ブランっちゅう酒が大好物でのう! 定期的に人の世から取り寄せておるんじゃ! ほほ~!」
ぽんぽこ、ぽんぽこ、とおなかを乱れ叩きながらホホロギ様はお酒を次々に飲み干していった。
「ほれほれ、灼也も呑まんかー! お主の人生最大の宴じゃぞ~!」
「……いえ、我は結構です」
ホホロギ様の誘いをキッパリと断り、灼也様は正座を崩すことなく凜と背筋を伸ばしていた。灼也様の格好は縁談の時と同じく、狐の仮面に純白の軍服姿で相も変わらず表情はわからなかった。
「まぁ、仮面じゃもんなぁ。この恥ずかしがり屋さんめ!」
がははは! と大笑いをしてホホロギ様はのそのそと立ち上がった。そして、周りの妖怪達に向かって高らかに語りかけた。
「覚えておるか、老いた者達よ……かつて、人と共に生きた我らの栄華を! 知っておるか、若き者達よ……かつて、人と共に時代を駆け抜けた我らの喜びを!」
ホホロギ様の嘆きと怒りが入り交じった言葉に妖怪達はそれぞれ思い思いの反応を示した。老いた天狗は涙を流して何度も頷き、若い雪女はつまらなさそうに冷や酒をあおっていた。
「人の世の文明の発展、諸外国の影響、それらがごっちゃごちゃと混ざり、妖怪への信仰と畏怖は見るも無惨に薄れていった。あっという間に我らの力の源がスッカスカじゃ! クジラ一匹片手で張り倒していたワシの力も今や、鰯一匹捕まえるので精一杯……ああ、嘆かわしや!」
おいおいと泣きじゃくるホホロギ様に感化された妖怪達は次々に涙を流していった。先程まで呆けていた若い妖怪達も次第に哀しそうな表情を浮かべていった。
「このまま人の世が発展していけば、妖怪達は力を失い消滅することは目に見えておる。……されど! 我らには英雄がおる!」
派手な扇子を大きく広げて、ホホロギ様は大見得を切った。
「信仰と畏怖が薄まってなお、圧倒的な妖力を誇る天賦の才! 九尾の血を継ぐ魔性の妖狐! 天下無双の白妙の軍神! 九重のぉ~、灼也が! ここにおるッ!」
唸るように言ったホホロギ様の言葉に妖怪達は一斉に拍手喝采した。無数の熱視線が私の隣に向けられるが、灼也様は何の反応をすることもなく平然としていた。
「白妙の軍神が健在である限り、我ら妖怪は滅びはせぬ! そして、白妙の軍神は永遠の命を持っておる。皆の衆も知っておろう? 灼也の復活劇を!」
無反応で正座をしている灼也様を扇子で扇いでホホロギ様は啖呵を切った。
「三年前、灼也は不治の病に冒された。数多の強大な妖怪達の命を奪った憎き死病じゃ! さしもの白妙の軍神でも病魔には敵わぬか、と皆は絶望の淵に立たされた……が、しかし! 此奴は不治の病すらも妖力で殲滅し、見事に復活したのじゃ!」
「きゃー! 白妙の軍神様ー!」
「よ! 不老不死の白狐!」
やんややんやと大騒ぎするホホロギ様と妖怪達を尻目に、それでも灼也様は無反応を貫いていた。白妙の軍神がいかに慕われているのかということを実感すると共に、それほどのお方と夫婦の契りを交わしたという事実が改めて、改めて重くのしかかった。
偽物の花嫁といえど、私はこのお方の妻になったのだ……。
「白妙の軍神の伝説といえば、やはり千年前の大蛇退治じゃろうて!」
鞠のように大きな身体をぽよんぽよんと弾ませてホホロギ様は庭園の中央に走っていった。そして、巨大な枯れ木と見紛うようなおどろおどろしい形状の石像の前で立ち止まった。
その石像はホホロギ様より遙かに大きい、八つの首をうねらせる大蛇の姿をしていた。
「憎き此奴の名は、八つ首の大蛇! 千年前に妖怪の国を襲った邪悪な大妖怪じゃ!」
千年、という途方もない歴史に圧倒され、私は粘ついた唾液を呑み込んだ。八つ首の大蛇の石像を見上げる妖怪の中には、顔を青ざめて震えている者達も見受けられた。おそらく、当時から生きている者達なのだろう。
「八つ首の大蛇は地獄の業火で国を焼き、その牙で大地を食い荒らし、暴虐の限りを尽くした。妖怪四天王と謳われた猛者達も殺され……ワシもこのザマじゃ!」
そう言ってホホロギ様は陣羽織をはだけさせて、胸板を見せつけた。そこには八つ首の大蛇に噛みつかれたのであろう痛々しい傷痕が刻まれていた。
「絶体絶命の状況じゃった。あの時は流石のワシも死を覚悟した。じゃが! そこに現れたのが流浪の妖怪、九重灼也じゃ!」
石像の下でホホロギ様は刀に見立てた扇子を大きく振りかぶり、力強く袈裟切りをしてみせた。更に、下段から上段へ扇子を振り上げ、「せいやー!」と高らかに声を上げた。
「っと、このように! 灼也は華麗なる妖刀さばきで八つ首の大蛇と勇猛果敢に戦った。無限に再生する大蛇の首を幾度となく斬り落とし続けて、実に三日三晩! 熾烈を極めた激戦の末、灼也の放った妖術によって八つ首の大蛇は石と化して封印されたのじゃッ!」
刀に見立てた扇子を天に向けて語り終えたホホロギ様に対し、聞き入っていた妖怪達はこれまで以上の盛大な拍手を送り、大いにさんざめいた。当然、声援は灼也様に送られているが、言うまでもなく不動を貫いていた。
『……小娘よ』
突然、ざらついた声が聞こえて私はびくりと身を震わせた。
『いや、貴様では役に立たぬか』
落胆するかのような声が鼓膜ではなく、頭の中に響いていることに気づき、私はより一層驚愕した。灼也様やホホロギ様、他の妖怪達が語りかけてきた様子はない。辺りをキョロキョロと見渡してみたが、声の主は見当たらなかった。
気のせい、だったのだろうか。
と、首を傾げているとホホロギ様が千鳥足でやってきた。
「海理様も愉しんでおられるかな? ほほー!」
「え、あ……えと、その……も、もちろんです、わ! 愉しいかしらん!」
無理矢理に海理ちゃんの口調を真似してみたが、我ながらに酷い有様だった。
しかし、ホホロギ様は何も気にすることなく、陽気な鼻唄を歌いながら私の前に漆塗りの重箱を差し出した。その中には、赤飯、鯛の塩焼き、鰻の蒲焼き、数の子、ザクロ、などなどの煌びやかなご馳走が所狭しと詰まっていた。
「ご馳走はまだまだあるからのぉ~。たっぷりと栄養をとって、子作りに励むんじゃぞ~!」
「こ、子作り……!」
ホホロギ様がぽろりと口にした言葉に私は思わず萎縮してしまい、身を縮こまらせた。
隠形院で嘆いていたホホロギ様が言った「特異点の巫女は未来への希望」という言葉の意味。それこそが子作りであることを改めて理解し、私は血の気が一気に引くのを感じた。覚悟をして来たとはいえ、子作りなんて想像すらできやしなかった。
「白妙の軍神と特異点の巫女の子供はそれはもう、素晴らしい妖力を持って産まれてくるじゃろう! ああ、妖怪の未来は明るいぞい!」
「……ホホロギ様」
愉しげに笑うホホロギ様に向けて、これまで沈黙し続けていた灼也様が凜とした声を上げた。
「……そろそろ良き時間ですので、我と妻はお暇しても宜しいでしょうか」
「む?」
空っぽの杯を抱えたまま、ホホロギ様は訝しげに赤ら顔をしかめた。しかし、灼也様は一切動じることなく、流麗なる所作で立ち上がった。
「何じゃ、もう帰るのかぁ。……お! もしや、早速子作りを――」
「……妻は妖怪の国に来たばかりで疲れていますので、休息を」
ぴしゃり、とホホロギ様の言葉を払いのけて灼也様は静かに頭を下げた。ホホロギ様はつまらなさそうに不貞腐れて文句を呟いていたが、他の妖怪達にお酒を注がれてあっという間に機嫌を取り戻していた。
「皆の衆! 残念ながら主役夫婦は帰宅するが、ワシらの宴は終わらぬぞぉ~!」
ホホロギ様に頭を下げて、結婚式に来てくれた妖怪達に感謝の言葉を伝えてから、私はいそいそと立ち上がった。
そして、灼也様をこっそりと見上げた。
月明かりに照らされて神秘的に煌めく真っ白な姿は妖怪というよりも、もはや神の如き美しさだった。白妙の軍神という異名は実に言い得て妙だ、と深く思い知った。
「あ、あのっ」
偽物の花嫁の分際で、旦那様、と口にすることは憚られる気がして、私は震える喉を必死に絞って「灼也様」と声をかけた。
子作りの話題から逸らしてくれたことへのお礼を言わなければ、と思ったのだが……私がもたもたと言葉を迷っている内に、灼也様が先に言葉を紡いでいた。
「……すまぬ」
そう仰って灼也様はぺこり、とお辞儀をした。
「な! なななななっ!」
信じられない光景に私は仰天し、一心不乱に慌てふためいた。白妙の軍神という偉大なお方に頭を下げられるなんて、あってはならないことだ。幸い、他の妖怪達は宴に没頭しているおかげで見られることはなかったが……とはいえ!
と、私は灼也様に負けじと思いっきり頭を下げて、下げて、下げ尽くした。
「フフッ」
仮面の奥から軽やかな笑い声が聞こえた気がして、私は思わず顔を上げた。が、すでに灼也様は私に背中を向けており、視界に映ったのは純白の軍服の裾が夜風に吹かれて優雅に翻る様子だけだった。