【4】 虚無僧
海理ちゃんに妖力を注がれた翌日、私は縁談の待ち合わせ場所に向かってトボトボと歩いていた。
華やかなる帝都のど真ん中で圧巻の光景に呆然としながらも。
右を振り向けば洋服姿の紳士がきびきびと歩き、左を振り向けばオシャレなモダンガールが颯爽と闊歩する。天を貫かんばかりに伸びた建造物を中心に、西洋風の建物がずらりと並ぶ。
人の多さに軽い眩暈を感じ、私は小さく息を吐き出した。ただでさえ外に出るのは久方ぶりなのに、あまりに圧倒的な街並みは私のようなちんちくりんには居心地が悪すぎる。
ダメだ、ダメだ。今日の私は――いや、今日から私は嘉村樹理ではなく、嘉村海理なのだ、と心の中で何度も言い聞かせた。
そう。今の私はいつものボロ布のツギハギ着物ではなく、綺麗で清潔な模様銘仙を着込んでいるのだ。海理ちゃんのお古とはいえ、私にとっては新品同然の着心地だった。何より、肌触りが良い。まったくチクチクもザラザラもしないのだから。
薄桃色の派手な色合いは私なんかが纏っても良いのだろうか、と戸惑ってしまうけれど。
ふと、通りすがった店舗のショーウインドウに光が反射し、自分の姿が映っていることに気がついた。海理ちゃんとそっくりな鏡映しの顔。けれど、表情が違うせいでまるで別人に見えていた。
海理ちゃんは常に自信が溢れていて、だからこそ輝いて可愛く見える。対する私は陰鬱そのもので、影を被っているかのように仄暗い。
このままでは偽物だとバレてしまう、と私は慌てて口角を無理矢理に釣り上げた。せめて笑顔の一つでも作ってみよう、と思ったのだが……ショーウインドウに写っていたのは、ぎこちなく顔を歪ませる変な私でしかなかった。
「……はぁ」
ため息を吐き出し、私は歩を進めた。
妖力を与えてもらったとはいえ偽物の花嫁なんて、私に務まるのだろうか。しかも、相手は妖怪なのだ。人間の常識や良識なんて通用しないと考えた方が良いだろう。一目見た瞬間、正体を暴かれて食い殺されることも覚悟しておかなければ。
崩壊寸前の嘉村家を出て、海理ちゃんから離れることに喜びがないといえば嘘になる。でも、妖力を補充するためには定期的に海理ちゃんに会う必要がある、と考えると憂鬱な気持ちが際限なく膨れ上がっていった。結局、海理ちゃんからは逃げることはできないのだ。
仮に、このまま逃げ出したところで私に行く当てはなく、生きる術もない。身売りをして暮らせる器量もないし、すぐに野垂れ死にするのが目に見えている。
どん詰まりだ。
だったら、せめて与えられた役割を全うしよう。嘉村家に思い入れはないけれど、血の繋がりはあるわけだし。少しは親孝行、妹孝行をして徳を積むのも悪くないはずだ。
妖怪と結婚した人間が極楽に行けるかどうかはわからないが……。
などと、ゴチャゴチャと実りのない思考を巡らせていると、あっという間に待ち合わせ場所に到着した。そこは、アマツ座という喫茶店。昼時とあって繁盛しているようで、窓から覗く店内は沢山のお客さんで溢れていた。
約束の時間より随分早く到着してしまったが、遅れて待たせてしまうより遙かに良いことだ。
店に入って待つべきか、外で待つべきか、と悩んでいると向かいの十字路から歩いてくる奇妙な存在が視界に映り、思わず身構えてしまった。その人は――いや、人ではないのかもしれない何かは――華やかな帝都のおびただしい人の群れの中で異質の存在感を放っていた。
一言で表すと、虚無僧。
編笠で頭全体を覆い隠し、袈裟を纏った僧侶。決して異形の存在ではないが、帝都の煌びやかさとは真逆の物々しい雰囲気が凄まじい。
しかし、周囲の人々は虚無僧に目をくれることもなく、平然としていた。
私がおかしいのだろうか。
「こんにちは」
いつの間にか私の前にやってきた虚無僧はぺこり、とお辞儀をした。
「ほぎゃ――」
びっくり仰天して思わず悲鳴を上げそうになったのを何とか耐え忍び、私は口元を押さえて改めて虚無僧の姿をチラリと見上げた。
編笠のせいで顔はまったく判別できないが、袈裟の上からでもわかるすらりとした体つきと背の高さから、男性であることは確かなようだ。しかし、その声色は穏やかな気品溢れる男性の声のようにも、凜々しく気高い女性の声のようにも聞こえる絶妙さだった。
「嘉村海理様、ですね」
虚無僧は絶妙な甘い声色で私の名前――正しくは海理ちゃんの名前だけれど――を口にした。
「え、えと、あ……その、あ……はいっ」
しどろもどろにもほどがある挙動不審ぶりを見せつけながら、私は何とかかんとか頷いた。そんな私を訝しむことなく、虚無僧は穏やかな雰囲気で頷いた。
「私は妖怪の国からの使者でございます」
そう言って虚無僧は再びぺこり、とお辞儀をした。
妖怪の国からの使者、ということは彼もまた妖怪なのだろう。と私はびくびくとしながらも、不可思議な存在感に圧倒されていた。……恐ろしさはない。むしろ、柔らかな雰囲気は炎に近寄った時のような温かさに似ている気がする。
だからこそ、不可思議なのだが。
「我々のことは他者に気取られないよう、妖力による結界を張っておりますのでご安心を」
成程、だから虚無僧の存在を人々は気にもとめていないのか、と私は納得した。と同時に、そんなことまでできる妖力の万能さに驚きを禁じ得なかった。
「あ、あの……えっと、その」
海理ちゃんのように自信満々に、可憐に、高飛車に、と懸命に思っているのに声が震えて言葉が乱れてしまった。
「大丈夫ですよ」
虚無僧は優しい声で言って、そっと両手を合わせた。その指先は細く、長く、とても清らかなものだった。
「人の身でありながら特異点が妖力を持って生まれる理由は諸説ありますが、遠き祖先に妖怪の血が入っているから、と言われています」
「よ、妖怪の血が……」
「はい。つまり、貴女様は我々妖怪にとって同胞なのです」
祖先に妖怪がいる、という衝撃的な発言に開いた口がふさがらなかった。が、それ以上に、同胞と言われたことが酷く申し訳なくて胸がギュッと締め付けられるように痛んだ。本来、そう言われるべきは海理ちゃんで偽物の私ではないのだ。
騙している、という実感がじわじわと心の内に滲んでいく。
けれど、そうせざるを得ないのだ、と懸命に耐え忍んだ。
「特異点は同胞であり、そして、妖怪達にとって神聖な存在です。並の妖怪とは比べ物にならないほどの妖力を持っているのですから」
「……私も、ですか」
絞り出すように発した声は情けなくしゃがれていた。
虚無僧は腰を屈めて、身長の低い私と視線を合わせてくれた。編笠で表情は見えないけれど、その眼差しは私の顔をジッと見つめている感覚がした。……いっそのこと、ここで私の妖力が紛い物であることを見抜いて、バッサリと切り捨ててくれれば楽になるのに。
そんな破滅的な願望を抱いてしまったことを後悔しかけた――その時、虚無僧は軽やかな笑い声を上げた。
「フフッ」
その笑い声はどことなく、虚無僧の自然体を感じた。が、すぐに彼は「失敬」と咳払いをして平静を取り繕った。
「貴女様の妖力は凄まじく、素晴らしい。紛うことなき特異点です。だから、何も恐れる心配はありません。妖怪達の長きにわたる歴史においても、特異点の花嫁は全ての妖怪から敬われて、愛されて、生涯を幸せに満たすと言われていますから」
ちくり、と胸の内が疼いた。
虚無僧が穏やかに語った言葉に私は安堵することはできず、むしろ罪悪感をジクジクと募らせた。虚無僧の目を欺くことができたののはひとえに、海理ちゃんが与えてくれた妖力のおかげなのだから。
「それに、白妙の軍神は貴女様をきっと気に入るはずです」
「……え? し、しろたえの――?」
初めて聞く存在に私は首を傾げた。今、確かに軍神と聞こえたが……よもや、私の縁談相手とはそれほどに格の高いお方なのだろうか。と、罪悪感に追加して不安がのしかかった。
「おや? 縁談相手について聞いておりませんでしたか。白妙の軍神・九重灼也。彼は妖怪達の絶対的な英雄であり、希望そのものなのです」
白妙の軍神。
妖怪達の絶対的な英雄。
希望そのもの。
あまりに物々しい響きの数々に眩暈がした。ただでさえ偽物の花嫁を演じることに気が滅入っているというのに、更に、相手がそのような大物だったなんて。九重灼也様……写真に写っていた仮面の殿方を脳裏に思い浮かべ、私は額に汗を滲ませた。
「おっと、長話が過ぎましたね。そろそろ参りましょうか」
「ま、参る?」
「はい。妖怪の国へ」
けろっと答えた虚無僧に私は再び驚かされた。縁談は喫茶店で行うものだと思い込んでいたが、まさか妖怪の国へ向かうだなんて。そもそも、妖怪の国というものが何なのか未知数過ぎて思考が追いついていない。
叔母がくれた本に載っていた恐ろしい魑魅魍魎が跋扈する未曾有の国を想像し、私は身を震わせた。
「フフッ。怯えなくて大丈夫ですよ」
柔和な声色で言って、虚無僧は向かいの十字路を見据えた。その先に妖怪の国があるのだろうか、と私は震える身体を必死に抑えて虚無僧の視線を追った。
妖怪の国には徒歩で行けるのだろうか、それとも馬車で行くのだろうか、あるいは汽車で行くのだろうか、はたまた妖力を使って空でも飛んで行くのだろうか……と頭を悩ませる私を一瞥し、虚無僧は静かに囁いた。
「まずは、このように……反叉合掌をしてください」
そう言って虚無僧は両手の甲を合わせて、それぞれの指を交差させて、逆さまに合掌をしてみせた。何がなんだかわからないけれど、私は言われた通りに虚無僧のお手本に沿って反叉合掌を行った。
この状態で影絵をしたらどんな形になるだろう、とぼんやりと考えながら。
「頭の中で、まごごとまろげてよごともまろげて、と唱えてください。ゆっくりと丁寧に、延々と繰り返してください」
ま、まごごとっ、ま……まろげて。
よご、よ、よごともまろげて……。
「そして、このまま十字路を曲がります。曲がる方向は右でも左でも構いません。この一連の行いこそが鍵となり、妖怪の国の扉を開くのです。……では、行きましょう」
帝都を足早に行き交う人々をのらりくらりと躱して虚無僧は十字路を進んでいった。私は慌てて後を追い、反叉合掌を崩さないように注意しつつ、頭の中で奇妙な言葉を唱え続けた。
まごごとまろげて、よごともまろげて。
まごごとまろげて、よごともまろげて。
まごごとまろげて、よごともまろげて。
まごごとまろげて、よごともまろげて。
そして、十字路を曲がりきった瞬間――――景色はがらりと変わった。
「ほ……ほわっ」
視界に映る世界に私は思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまった。
ついさっきまで華やかな街並みを歩いていたというのに、十字路を曲がった瞬間、そこは帝都ではなくなっていた。初めて見る光景だが、どこからどう見ても、そこが人の世ではないことは明らかだった。
「おいでませ、妖怪の国へ」
虚無僧はぺこり、とお辞儀をして私を迎え入れてくれた。
まず、空が違う。青空でも、曇り空でも、夕焼け空でもない。金箔を引き延ばしたかのような、薄い黄金色の空だった。しかも、空を漂う雲は墨絵で描いたかの如く幻想的な姿をしていた。
私が訪れた場所は妖怪の国においても十字路のようで、四方には無数の建物が悠然と並んでいた。洋風の建物が多い帝都とは違い、妖怪の国の建物は昔ながらの木造家屋のものばかりだった。しかし、その色合いは奇抜で華やかな帝都とはまた異なる、妖艶な派手さに溢れていた。
どうやら、ここは妖怪の国の町のようだ。
「この国は人の世の真似事で成り立っています。生活様式もほとんど変わりません。きっと、親しみやすいはずですよ」
虚無僧の言葉に私は、確かにと頷いた。街並みは賑やかで軽く見渡すだけでも、うどん屋、駄菓子屋、カフェー、呉服屋、古本屋、と文化形態は人と遜色なさそうだ。看板に書かれている文字も人が使うものと何ら変わらない。
と、辺りをチラチラと見ていると、十字路の隅の縁台にちんまりと座っている生物を発見し、私はギョッとした。
その生物は――質素な着物とは対照的なぬるっとした緑色の肌をしており、口にはクチバシが輝き、頭のてっぺんには大きな皿のようなものを掲げていた。叔母がくれた本に載っていた妖怪・河童そのものだった。
更に見渡すと、様々な姿形の妖怪達が町を練り歩いていることに気がついた。
鼻が異様に長い、天狗。長い首を伸ばす女性、ろくろ首。二足歩行で歩くカエル。無邪気に走り回る燃え盛る車輪。……と、人とほとんど変わらない容姿のものから、動物に似ているもの、奇想天外な見た目のものなど、多種多様な妖怪が愉しそうに生活をしていた。
本当に妖怪の国に来たのだ、と私は生々しい実感を噛み締めた。
「この国で暮らす妖怪は皆、穏やかなヤツらばかりです。貴女様なら、すぐに仲良くなれますよ」
たとえ妖怪達が友好的で合っても、私にそんな社交性はないと思う……と後ろ暗い感情を噛み殺し、私は「あはは……」と精一杯の愛想笑いを返した。
「さあ、こちらです」
虚無僧の案内に沿って私は妖怪の国を恐る恐る進んでいった。
賑やかな町を突き進み、大きな庭園の前を過ぎて、縁談相手の待つ目的地へと向かった。妖怪の国の気候はとても穏やかで、うららかな春の午後のような心地良さだった。虚無僧曰く、妖怪の国に昼夜はあれど季節はなく、常に居心地が良いそうだ。
向日葵が乱れ咲く畑が見えたと思えば、その向かいには鮮やかな紅葉の森が続く、そんな奇妙奇天烈な光景を眺めながら歩いていると妙に心が弾んでいくのがわかった。これから偽物を演じる人生が続くというのに気楽なものだ、と私は心の中で自嘲した。
無数の鳥居が続く道を抜けると、荘厳な雰囲気を漂わせる大きな建物が姿を現した。まるで、大名屋敷のような壮大さで、町並み以上に派手な色合いを誇っている。特に、恐ろしい般若を象った鬼瓦の放つ威圧感が凄まじい。
「ここが我々妖怪の長老が住まう屋敷、隠形院でございます。見てくれは仰々しいですが、緊張しなくても大丈夫ですからね」
虚無僧はそう言ったが、こんな荘厳な大屋敷を前にして小心者の私が緊張しないなんて到底無理な話だった。