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【3】 偽装

 翌朝。庭の草むしりをひとしきり終えた後、こっそりと残飯で飢えをしのいでいると、ドタドタとした足取りで海理ちゃんがやってきた。そして、鬼気迫る表情で私の首根っこを掴み、無理矢理に引っ張られて屋敷の奥へと連れ込まれた。


「主役を連れてきたわ」


 そう言って海理ちゃんは私を絨毯の上に突き飛ばした。そこは屋敷の中でも一番広く、旧華族の誇りが沢山詰まった応接間だった。


「樹理、何故お前が……?」


 色褪せたソファにふんぞり返っていたお父様が訝しげな顔で私を見下ろした。その隣に座っているお母様は私を見るなり顔をしかめていた。何が何だかわからない私は二人から視線を逸らし、海理ちゃんを見上げた。


 海理ちゃんはにんまりと笑っていた。


「大事な話の途中で離席してごめんなさい。お父様、お母様、続きをお願いしてもよろしいかしら?」


 両親の向かいの席に優雅な所作で座り、海理ちゃんは目を細めた。


「あ、ああ」


 お父様も要領を得ていない様子で首を傾げつつ、海理ちゃんの鋭い眼差しに射られてしぶしぶ口を開いた。


「……実は、情けないことにおれは借金を抱えているんだ」


 悔しそうな顔で唇を噛み締め、お父様は小さく唸った。


「それも、ちょっとやそっとでは返せない多額の借金だ。くそっ……あの狸親父にさえ騙されていなければ! 今頃おれは返り咲いていたっていうのに」


 ぶつぶつと怒り嘆くお父様を見るお母様の視線は哀れむようでいて、どこか軽蔑の色が混ざっているように感じた。


「借金の猶予はほとんどなく、すぐに返さなければおれは――」


 そこまで言ってお父様は口をつぐんだ。おそらく、事業に失敗して、目先のお金目当てに法外の高利貸しに手を出してしまったのだろう。


「いや、おれだけじゃない。この屋敷も、お前達も、嘉村家の全てがぐちゃぐちゃに……!」


 借金がなくても嘉村家が崩壊するのは時間の問題だろうけれど、と私は酷く冷静に受け入れていた。むしろ、海理ちゃんからの被虐がなくなるのなら私にとっては救いかもしれない、なんて。


 けれど、今のお父様を見ているのは心苦しいものがあった。見栄っ張りで、いつも威張り散らしているお父様が身体を丸めて震えている姿はあまりに情けなく、思わず同情してしまいそうだった。


「だから、家を救うために頼む!」


 お父様はソファから飛び降り、絨毯の上で四つん這いになった。更に、海理ちゃんに向かって土下座をした。まさに、恥も外聞もなく一心不乱に。


「ねぇ、お姉様。酷いと思わない?」


 信じられない光景を目の当たりにして驚いている私とは裏腹に、海理ちゃんはニヤニヤと頬を緩ませてお父様を愉しそうに見下ろしていた。


「お父様ったら、借金を返すために私を売ろうっていうのよ」


「え……?」


 海理ちゃんの言葉に私は耳を疑った。蝶よ花よと可愛がってきた海理ちゃんを身売りさせようだなんて、お父様は余程追い詰められているのだろう。


「う、売るだなんてとんでもない! これは真っ当な縁談だ……!」


「多額の結納金を目当てにする結婚だなんて、娘を売るのと何も変わらないわ」


 海理ちゃんの言葉にお父様はぐうの音も出ない様子で黙り込んだ。


「しかも、縁談相手は人間ではないの」


 私の顔を覗き込んで海理ちゃんはいやらしい笑みを浮かべた。


「妖怪なのよ」


 ねっとり、としか形容ができない粘ついた声色で海理ちゃんは言葉を吐き出した。


「よ、妖怪……?」


 河童、ろくろ首、一つ目小僧、天狗、化け狐……と本で読んで多少は知っているが、それらは全て架空の存在のはずだ。逸話や物語を賑やかすための想像上の産物のはずだ。よもや、よもや、文明が発展し続ける大正の世において実在するわけが――。


 そこまで考えて私は一つの符合に気がついた。


 海理ちゃんの神通力。あれは人知を超えた理外の力だ、と。


「うふふ」


 私が察したことを海理ちゃんは見抜いたようで、小さく笑みをこぼした。


「お姉様もよく知っている私の神通力……正しくは、妖力と呼ぶそうなの。妖怪の力、と書いて妖力。神の力じゃなくて妖怪の力だなんて、ちょっとガッカリだわ」


「ば、馬鹿を言うんじゃない。妖力とは妖怪達にとって、とても神聖で偉大な力なんだぞ。特に、海理! お前のように人の身でありながら凄まじい妖力を宿した者は特異点と呼ばれて、それはもう敬われて――」


「その謳い文句も聞き飽きたわ。縁談相手からの受け売りのくせに、偉そうにしちゃって。本当、無様ね」


 興奮するお父様をあっさりと黙らせて海理ちゃんは肩をすくめた。


「それに、妖力を持つ人間と結婚したい、ってことはつまり相手は子作りを求めているってことでしょ? 妖怪とそんなことをするだなんて想像するだけで、うげぇー」


 嘔吐する真似をして海理ちゃんはケタケタと笑った。そんな海理ちゃんの姿に私は奇妙な疑問を抱いていた。妖怪との縁談を申し込まれているというのに、断れば生活は破綻するというのに、どうして余裕でいられるのだろう、と。


 私と違って海理ちゃんは人生を愉しく生きているはずなのに。


 神通力――妖力を使って成り上がる、という大きな野望があるはずなのに。


「海理! 写真だけでも見てくれないか? ほ、ほら! 中々に男前だろう……!」


 お父様は必死に言葉を取り繕い、懐から取り出した茶封筒の中身をテーブルに叩きつけた。それは海理ちゃんの縁談相手の妖怪が写っている写真だった。


 妖怪というからにはどれほどの異形かと身構えたが、そこに写っている男性は人と何ら変わらない姿をしていた。しかし、物々しい狐の仮面を被っているせいで顔はまったくわからなかった。お父様は男前だと言ったが、これではただのおべっかだ。


 ……けれど、その写真に私は釘付けになっていた。その写真からは、メラメラと燃え上がる炎に近寄った時のような温度を感じるのだ。あるいは気配、存在感、とでも言うべきか。


 海理ちゃんも何かを感じ取っているのか、額に汗の粒を浮かばせていた。対して、お母様は何も気づいていない様子で「見合い写真で仮面を被ってるなんて、けったいな人ねぇ」とぼやいていた。


 きっと、これは妖力によるものなのだろう、と私は判断した。海理ちゃんは妖力を持つ人間――特異点だから相手の妖力を察することができたのだ。そして私は、海理ちゃんに治療される実験体になっていたから、妖力に敏感になっているのだろう。


「ふん。こんな仮面で顔を隠しているなんて、どうせ素顔はとんでもなく醜いに決まっているわ」


 不快感を露わにして海理ちゃんは写真を指で弾き飛ばした。


「私は自分の力で成り上がってやるんだから。幸せは力尽くで奪い取ってやるわ」


「だ、だが、それでは嘉村家は!」


 情けなく懇願するように吠えたお父様を海理ちゃんは侮蔑の眼差しで睨みつけ、私の背中を軽く蹴りつけた。


「大丈夫よ、お父様。私は双子だもの」


 そう言って、再び私の背中を蹴りつけた。力強く蹴られたせいか、私は思わず前のめりになって倒れ伏してしまった。


「ねぇ、お姉様」


 私は絨毯に這いつくばりながら海理ちゃんの顔を見上げた。


「幸か不幸か、私とお姉様は顔だけはそっくりでしょう? これを利用するのよ。容姿を整えて、衣服も綺麗なものを着せてあげれば……あら、簡単。嘉村海理がもう一人できあがるわ」


 私を見下ろす海理ちゃんの表情は不気味に湾曲していた。


「お姉様に私のフリをさせて、縁談に送り込むの。そして、そのまま騙し込んで結婚させる。つまり、偽物の花嫁をでっち上げるってわけ」


 海理ちゃんの提案に私は仰天した。あまりに、寝耳に水過ぎる。どうせ嘉村家は崩壊する、私の人生に希望はない、と何もかも諦めて傍観していたというのに、まさか! こんな役割を押しつけられるだなんて。


 動揺する私以上に、お父様は目を剥いて驚愕していた。


「な、何を言っているんだ……海理! どれほど顔が同じでも、双子であっても、意味はない! 相手が所望しているのは妖力を持つ特異点、お前なのだ! 樹理なんかでは代わりは務まらん……ッ!」


「妖怪なんて所詮、けだもの。私のフリをしたお姉様で何とでもなるわ」


 憤慨するお父様を無視して、海理ちゃんはソファから立ち上がった。そして、絨毯に這う私と目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。


「お姉様は今日から偽物の花嫁よ」


 有無を言わさぬ迫力で海理ちゃんは言い切り、私の首を力いっぱい握りしめた。抗うことができない私は無理矢理に口を開けさせられた。


「お姉様に妖力がないのなら、与えてあげればいいのよ」


 ぽっかりと開け放たれた私の口の中に海理ちゃんは指を差し込んだ。と、その瞬間、指先からどろりとした生温かいものが流れ出るのを感じた。妖力を注ぎ込まれているのだ、と気づいた頃には口の中は不快な感覚で溢れていた。


「げほっ、げふっ……」


 感じたことのない気持ち悪さに私は反射的に嗚咽を漏らしてしまった。


「ああ、もう! 汚いわね。おとなしくしててよ、お姉様」


 喉を思いっきり絞められ、私は涙をぼろぼろと零しながらも頷いた。ここで拒絶すれば更に酷いことをされるだろう、と観念するしかなかったのだ。


 海理ちゃんの妖力が口の中を蹂躙し、喉をずるずると滑って身体の中に落ちていく。やがて全身に行き届いたのか、皮膚の裏側を無数の芋虫が這いずり回るようなおぞましい感覚と共に妖力は私の身体に染みこんでいった。


 のたうち回る私をお父様とお母様は蔑んで見下ろしていた。


「これで良し、と。この感じなら二ヶ月くらいは妖力は持つはずよ。もし妖力が少なくなってきたら、私に会いに来て頂戴。たっぷりと補充してあげるから」


 唾液でぐっしょりと濡れた指先をハンカチで拭い、海理ちゃんは充足感に包まれた表情で頷いた。


「嬉しいでしょう、お姉様? 可愛い妹の身代わりになって、嘉村家を救えるんですもの。たとえ、相手が醜い妖怪であっても、役立たずのお姉様には光栄な結婚よ」


 私とそっくりな顔が目の前でぐにゃぐにゃに歪み、おぞましい表情で笑った。


「だから、ちゃんと偽物を演じてね」

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