第9話:いざ、卒業パーティー
校舎の別棟を出て、寮までの道を歩く。
学園の敷地内とはいえ、暗い時間に1人で歩くのを好まない女子生徒は多い。マリアはその辺りを気にする性格ではなかったが、道沿いに立つ街灯の陰から現れた人影には、流石に仰け反った。
「あ……ハルノレイムじゃない、こんな時間にどうして?」
しかし、それが気まずそうな顔の後輩だと気づくと、落ち着き払って咳払いをひとつ。
マリアが平静を取り戻したのを見て、ハルノレイムは硬い表情を浮かべた。
「ここで待ち伏せするのはよくないと思っていたのですが、先程聞きそびれてしまったことを、どうしても聞いておきたくて」
「ああ……。そうね、リュエミールさんが来てしまったから」
所在なさげに銀の髪をいじるハルノレイムに、マリアは鋭く要件を察す。
「……ここでは何だから、寮まで行きましょう。そう、わざわざこんな寒いところにいなくても、最初から寮のロビーにいればよかったのではない?」
「私も、最初はそっちのサロンで待っていたんです……でも、部長が全然来ないから」
「……悪かったわ」
ぽつりとマリアが言う。そして切れ長の目をそっと伏せたのは、夕闇に紛れてハルノレイムには見えなかった。
***
学園の寮は、勿論のこと男女別に分かれている。しかし、入り口とロビー、そして食堂は男女共通で、ロビーの左奥からは女子棟に、右奥からは男子棟に行ける造りになっていた。
そのロビーにある半個室のサロンで、ハルノレイムとマリアは向かい合わせでソファに座る。
「単刀直入に言うわ。殿下の言っていた、ワタシが学園を卒業できないというのは事実よ。留年することもできたけど、ワタシは今年度末で学園を自主退学して、領地に戻ることになっているの」
切れ長の目でじっとハルノレイムを見つめ、マリアは一気に言い切った。彼が何か言う前に、そこに至った経緯も軽く付け加える。
「黙っていて悪かったわ。情けなくて言えなかったの。ごめんなさい……明日、みんなにも言うわ」
本心からの謝罪と共に頭を下げたマリアだったが、
「それではお聞きしますが、部長はどうやってパーティーで殿下を処断するつもりだったのですか。事前に我々に何も言わずに、当日はどうするつもりだったのですか。計画書には、部長もあたかもその場にいるように書かれていたと思いますが」
ハルノレイムの怒気を含んだ声に、慌てて顔を上げる。
驚きに見開かれたマリアの目と、眇められたハルノレイムの目が合った。
「……パーティーには、在校生として出るつもりよ?」
気の抜けた声で返ってきたマリアの言葉に、ハルノレイムは先程までの迫力が嘘のようにぱちぱちと目を瞬いた。
「え……あれっ?」
***
そして、卒業式。
リュエミールと子爵夫妻が「グル」であることを考慮した断罪後の処理も、ある程度マリアが組み立てていた。
「流れはしっかり頭に入っていて?」
「もちろんです」
パーティーでの断罪に備えたシナリオは、王太子とその側近、さらに国王を除いたほぼ全ての出席者と共有済みである。
最終確認を済ませて談笑していた婚約破棄部の面々だったが、朝礼前の予鈴が鳴る。
「マリア、みんな、またパーティーでね」
「ええ。それではまた後で」
荷物をまとめ、次々と部室から出て行く部員を笑顔で見送り、マリアは軽く息を吸った。
彼女は、今日も教室には行かない。
既に諸々の準備は万端で、卒業パーティーまでの時間を持て余したマリアは冷めたお茶に口をつけた。講堂で行われる卒業式の後、まず在校生がホールに入り、場を温める。その間に飲み物や食べ物も用意され、万事整ってから3年生の入場となる。
言うまでもなく、パーティーの本番は卒業生が会場入りしてから。
マークレッド・ロイ事件の時とは違い、今回の主役であるパトリオットは卒業生。また、彼の性格からしても、終盤の国王入場まで我慢していることはできないはずだ。
よって、ジャルトアミィへの断罪は彼が入場してからすぐに始まる――とマリアたちは踏んでいた。
***
「ジャルトアミィ・ロングータス公爵令嬢! お前のエミへの数々の嫌がらせ、とても王妃になる者に相応しいとは認められぬ! 貴様のような醜い心の持ち主は王妃にはできん、よって貴様との婚約は破棄だ!」
煌びやかな礼服のパトリオットに注目していた会場の人々は、彼が大きく息を吸うや否や始まったこの舞台に軽くざわめいた。
「婚約破棄部から配られた流れの通りだわ」
後ろから聞こえた女子生徒の囁きに、ハルノレイムはにやりと笑う。彼の隣には、従者科の女子の正装……所謂メイド服を着たジェリカ。飴細工のような艶をたたえた彼女の黒髪は、今日はヘッドドレスの中に納まっていた。
そして、ひしめく在校生に紛れていた彼らの耳にも、パトリオットがリュエミールとジャルトアミィを呼ぶ声が届く。
「こんにちは、殿下。黙って聞いていたら、随分なおっしゃりようですのね? それにしても、このような場で婚約破棄などと……どのようなおつもりですの?」
人垣の中から、ゆったりとジャルトアミィが進み出た。黄金の髪はホールのシャンデリアに煌めいて、ほうっとため息が会場に満ちる。
「うるさい。貴様は巧妙に隠していたつもりかもしれないが、こちらにはエミの証言がある。言い逃れできると思うなよ」
「証言? 面白いことをおっしゃるのね」
抑揚たっぷりにジャルトアミィが言う。濃い紫のドレスが彼女の髪にも目にも映えて、気品はいつもの4割増しである。一方、顔を真っ赤にしたパトリオットが何か言う前に、
「殿下はわたくしとの婚約破棄を望まれた。まあ、それはよいでしょう。ですが、殿下。あなたのおっしゃる証言とやらは、全て婚約破棄部が証拠としての能力なしと断じていたではありませんか。それでもまだ、わたくしに瑕疵があると?」
と失笑してみせた。シナリオ通りとは思えないほど、自然かつ見事な演技ぶりである。
一方のパトリオットは、何も知らないとは思えないほど、シナリオ通りに吠えた。
「……ううう、うるさいっ。健気なエミが表立って何も言わないのをいいことに……今だって、お前が出しゃばるから、彼女が俺のところに来られないではないか。ほら、エミ、怖がることはない。俺が君を守るから、安心して来ればいい」
婚約者に向けた憤怒の表情を甘く緩め、彼は再びリュエミールの名を呼んだ。出しゃばるも何も、ジャルトアミィのことだって呼んでいたではないか……と湿った視線が次々に飛んでいく。
「パ、パトリオット様……!」
そんな視線には全く気づかず、パトリオットはあくまで胸を張ってジャルトアミィを対峙していた。そこに、リュエミールがパタパタと駆け寄ってくる。
「ほら、エミ。怖がらないで言ってごらん。ジャルトアミィの悪行を、ここにいるみんなに公表しなければならない!」
彼に寄り添うように立ったリュエミールは、露草色の目を潤ませ、両手を顔の前で組んだ。
その視線がジャルトアミィの灰色の目とぴったり交わったのは、彼女の横にいるパトリオットには分からなかった。
「違うんです、私がパトリオット様の寵愛を受けたから……私がいけないんです!」
よく通る高い声に、生徒たちは最早隠しもせずに顔を顰めてみせた。
「あら、そう……。今、あなたはパトリオット様からの寵愛を受けていると、はっきりそう言ったわね?」
しかし、ジャルトアミィのその台詞に、ここからの展開を思い出してほくそ笑む者も少なくはなかった。
「ということは、殿下は……わたくしという家と家、王家と貴族の契約によって結ばれた婚約者がありながら、別の女子生徒と恋仲になるという不貞を働いていらっしゃったということですのね? にも関わらず、わたくしに言い掛かりをつけて、自分に有利になるような形での婚約破棄を画策したと……」