第6話:仲間の惚気なら面白い
再び馬車に揺られ、公爵家からのお土産と共に学園に戻った2人。
部室にはあとの4人が既に揃っており、マリアとハルノレイムを嬉しそうに出迎えた。
「お帰り、マリア、ハルくん」
「エレナもお疲れ様。殿下たちはどうだった?」
給仕のジェリカを除いたそれぞれが手近な席につき、報告会を始める。
王宮に向かったのはエレナとユールハルトで、先にマリアは彼らの話を聞いた方がよいと考えていた。
「陛下の手前、一応はしおらしくしていたけど……やっぱりあの子爵令嬢を信じてるみたい。そこまで強くは言われなかったけど、こっちの調査が間違ってるに違いない、絶対アミィが何かしているはずだから、もう少しなんとかしてくれ、ってさ」
予想通りの展開に、部員たちは口の端を引き攣らせた。
「一方で、陛下の方には、我々の調査結果を疑っている様子はありませんでした。ですが、かといってパトリオット殿下を諌めるような様子もなく……。そのうち殿下も納得して、この件は有耶無耶に終わると思っているように見えました」
匙を投げた雰囲気のエレナに対し、いささか不機嫌そうなユールハルト。もうパールバディアにでも移住しようかなあ、とエレナが呟き、ふんと鼻を鳴らした。
「では、恐らく卒業パーティーで本当に婚約破棄を?」
確かめるようにゆっくりと口を開いたミッチェラに、ジェリカも同調する。
「調査結果を突きつけてもダメとなると、もう絶対やらかしますよー。これはもう、断罪からの婚約破棄がある前提で進めましょう……っていうか、マリア先輩たちのことだから、そのつもりで公爵ともう話を詰めてきたんですよね? あはは」
従者科の生徒らしからぬ……というよりは令嬢としても似つかわしくない口調のジェリカだが、従者としてはなかなかどうして、大変に優秀であるらしい。その気になればいくらでも楚々と、気配を消してしかも俊敏に動ける生徒であった。
「そうね。卒業パーティーで、殿下は大々的に、しかも何の根回しもなく婚約破棄を強行する――公爵もそうお思いのようだったから、3人で当日のシナリオはあらかた決めたわ。この後は、みんなでそれをまとめるのと、殿下たちを除いた出席者に対して、婚約破棄部が動くと周知する書状を作るところまで終わらせられたら嬉しいわ」
そう言って話を一旦終わらせようとしたマリアだったが、ミッチェラが発言したそうにしているのに気付く。
「どうしたの?」
首を傾げながら水を向けると、ミッチェラはどこか戸惑ったように話し始めた。
「昨日の放課後、同じクラスの子から声をかけられたのですが……、前の日、たまたま廊下でランドアーネストさんのハンカチを拾ってあげたそうで」
「ドノーズさん。その子って、男子かな? それとも女子?」
「女の子です。ルヤ王国から来ているスレイン辺境伯令嬢ですよ」
また別の男をたらし込んだのか、と警戒して話を遮ったユールハルトだったが、我に返って非礼を詫び、彼女に続きを促す。
「いえいえ。……それで、ランドアーネストさんはハンカチに香水を振っていたらしくて、それがどうやらジャルトアミィ様と同じ香水だったというんです」
「待って? アミィが使っているのは、ロザリー・アルカシスの「夕闇の薔薇」。言い方は悪いけど、アルカシスの香水は、ランドアーネスト子爵令嬢の買えるような値段じゃない。その人の勘違いじゃない?」
ジャルトアミィの親友であるエレナは、当然のごとくその香水のブランドも知っている。公爵令嬢御用達の香水は、養子に迎えられたばかりの子爵令嬢が買えるはずのない一級品なのであった。
「わたくしもそう思ったのですが、スレインさんもアルカシスの香水を持っていて、「夕闇の薔薇」も試したことがあるそうなのです。それこそ、あの香りは他のブランドには絶対に出せない、と力説されました」
辺境伯令嬢の鼻を信じるならば、それはそれで一理ある。
沈黙してしまったエレナに代わり、ユールハルトが質問する。
「では、仮に同じ香水だったとして、疑問は2つかな」
「ええ。「高級品であるアルカシスの香水を、どうやって彼女が手に入れたのか」、それと「彼女が使っているのが、なぜジャルトアミィ様の使っている「夕闇の薔薇」なのか」ね」
「……匂いが同じだったのは、たまたまじゃなくて? 意図的に揃えたのではないかもしれないよ」
きょとんと尋ねたのはハルノレイム。そんな彼に、ジェリカがくすくすと笑う。
「私は高級ブランドにはご縁がないので、これは想像なんですけどねー」
「うん」
「香水って、結構その人のイメージに繋がるんですよ。いくつもの香水を使い分ける人は別ですけど……1つの香りを愛用しているとしたら、周りも、あるいは売る側も、これがこの人のお気に入りだな、って思うようになるんです。私たちみたいな下位貴族が買えるような手頃な香水でもそうなんですから、ホイホイ買えないブランドものなら尚更。それに、ロングータス様は公爵令嬢にして王太子の婚約者ですよ? 知らずにアルカシスの香水を買おうとしても、試した中に「なんとかの薔薇」があったら、どうなると思いますか?」
「これはジャルトアミィ様の香りだ、と思うかもしれない」
「そうですそうです。そしたら、普通のご令嬢だったら遠慮しちゃうと思いますよ。そうでなくても、お店の人がやんわり言うと思います、「そちらはロングータス公爵令嬢ご愛用のお品です」って。それがたとえ売り文句だとしても、あるいは手を出すなって牽制だとしても、それを知らせずに売るのには、お店側も抵抗があると思います……なんてったって、未来の王妃の愛用品ですもんねー」
なるほど……とハルノレイムが唸る。
「確かに、それがジャルトアミィ様の香水だと分かったら、ランドアーネスト嬢が自分で買うのも、あるいは彼女への贈り物に選ぶのもなかなか不自然だよね。入手方法は別にして、匂いはわざと揃えたということか……」
「まあ、私の推測ですけどね!」
「いや、ジェリカの言うことも一理あるよ。私も、ちょっと不自然な気がする」
てへへっと笑ったジェリカに、エレナがむず痒そうな顔で同意する。
「彼女に直接聞けたら手っ取り早いんだけど……なぜだか私たちの顔を知ってるみたいで、上手いこと避けられてるんだよね」
「ええ……わたくしも、廊下で行き合っただけで逃げられてしまいました」
「僕もです」
ミッチェラに続いて、ユールハルトも手を挙げる。他の3人もうんうんと頷いているのを見て、しばし思案したマリアは息を吐いた。
この婚約破棄の主役は、あくまでパトリオットとジャルトアミィ。証言者として話を聞く必要すらなかったリュエミールには、今まで積極的に接触を行ってこなかった。
「意外と強かな子なのね。まあ、ここまで見え透いた演技をしているくらいだものね……ワタシたちが直接行くのは難しいでしょうし、誰か、お友達で頼めそうな方がいる人はいるかしら?」
「スレインさんに頼んでみます。ハンカチを拾ったのは彼女ですし、そのとき香水に気づいたと……ジャルトアミィ様と同じ香水というよりは、アルカシスの香水を自分も持っているから気になったという体でなんとか、と思うのですが」
「そうね。では、お願いしてもらえる?」
はい、とミッチェラは明るく頷いた。真ん丸の目がチャームポイントの彼女だが、本人はマリアの切れ長の目がまさに理想であるらしい。
「ありがとう。それでは、作業に移りましょうか」
***
シナリオの共有と役割分担は恙なく終わり、書状の作成も半分ほどが済んだ頃。
見るからに集中力が切れてきた部員たちに、ジェリカがしずしずとお茶を淹れて回る。ユールハルトの婚約者から差し入れられたパールバディア公国のお茶に、一同は目を細めた。
「おいしいわね。キャンテルイムのとはちょっと風味が違う」
「そうでしょう。茶葉そのものは同じですが、パールバディアでは煎った花弁も一緒に淹れるんですよ。喜んでもらえて光栄です」
「ほんとう、エレナの言う通りね。婚約者の方によくお礼を伝えてくれるかしら?」
はい、と溺愛する婚約者を褒められたユールハルトは頬を緩ませた。レンズの向こうの瑠璃色の目も、とろけるように輝く。
「ユールハルトの婚約者は侯爵令嬢だったわよね? 確か、結婚したらあなたが婿入りするのだったかしら」
「ええ、そうです。ただ、彼女が家督を継いで侯爵になる予定なので、僕はあくまでしがない補佐ですよ。まあ、父の持っている爵位から、どれか1つくらいはもらうかもしれませんが……」
艶やかな低音で答えたユールハルトに、ジェリカがうわあ……と声を上げる。
さすが高位貴族は違いますね、というその呟きにマリアは微苦笑を浮かべ、
「まあまあ、ジェリカ」
と軽く諌めた。ぺろっと舌を出したジェリカをフォローするように、鷹揚に微笑んだユールハルトは話題を変える。
「そういえば、香水の話が出て思い出したのですが……彼女の愛用している香水が残り少なくなってきたそうなので、プレゼントしようかと思うんです。新しい香りにするか、それとも同じものを買うか迷っていて」
「両方ではダメなのか?」
腕組みしてハルノレイムが尋ねると、エレナがうーんと唸る。
「それもいいと思うけど……香水は好みもあるし、何より、開けたら徐々に香りが変質してしまうからね。2本同時に使うのはなかなか難しいだろう」
「そうなんですか……」
「そうね、でも、お店によっては試用の小さな瓶を取り扱っているとも聞いたことがあるわ。そこで一緒に試すのもいいと思うし……あ、そうだわ。以前、ワタシは祖父から小さなボトルの香水がセットになっているものを頂いたことがあるの。他のブランドでも、そういうものってあるのかしら?」
それはいいね、と大きく頷くエレナ、そしてユールハルト。
「やはり、彼女には気の利く男だと思われたいんですよ」
そのまま惚気話に突入していく2人を、まだ婚約者がいない4人は生ぬるい目で見つめていた……。