第3話:婚約破棄部の役割
その後、マークレッドは王籍を追われたものの、野放しではあまりに危険ということで、武官の大叔父に養孫として引き取られた。
騎士息女はマークレッドを誘惑、国家を危機に陥れたとして終身懲役。死刑とならなかったのは、ビウィアンへの賠償金を工面させるためであった。
「しばらくは婚約破棄を試みる者など出ないだろうが、そのうちにまた現れるのではないか。それならば、婚約者との仲介をすると銘打った窓口を作り、そこで拾い上げられるようにしよう」
その後、弟の愚行に気づかなかった自分を恥じ、二度と同じような者を出さないようにと試設したのが婚約破棄管理委員会である。当初は閑職にある中位貴族が持ち回りで担当していたが、ジャックスの婚約者が部活として学園内に組み込むことを提案。生徒同士の気軽さをもって早期に危険人物を炙り出し、そんな人物が社交界に出る前に――学園の中で完結させることを目指したのだ。
「お聞きになりました? マークレッド……元殿下のお話」
「知らないわけがない。しかし、あのような行動、うっかり口にして年少の者が真似しても困る」
「ええ……なかったことにするのが一番よろしいかしら」
マークレッドの事件から婚約破棄部創部まで、5年。
当然ながら国内の貴族のほとんどは事情を知っていたが、彼がしでかしたのはあまりにどうしようもない愚行だったため、口にするのも憚られるといった有様。箝口令を敷かなかったこともプラスに作用し、話題は却って急速に沈静化した。
これはわずかに流出した国外への情報でも同様だった。40年あまり前ともなると、好き勝手してきた自覚のある外国の王侯貴族にとってもあまり「居心地のいい」話題はではなかった上、当時はキャンテルイムの学園に自国の若者を送り込みたいというムーブメントが盛んだったため、やらかしの大きさの割に、被害は少なく済んだのであった。
***
あまりにも有名でありながら、決して大っぴらに語られることはなかった事件、そして婚約破棄部の役割。
同じことを起こさないように、場合によっては主を止めることができるようにという戒めを込め、結局のところ、ほとんどの貴族は家庭内でひっそりとこの話を伝えていた。しかし、当事者の身内であるジャックスが子や孫に伝えていなかったという推測に、ハルノレイムとジェリカはため息をついた。
呆れたように首を振るジェリカの動きに合わせ、ポニーテールにされた艶やかな黒髪が揺れる。
「身内の恥を隠したかったのか、何なのか……。パトリオット殿下を見るに、大失敗しているではないですか」
「全く笑えませんなー。婚約破棄部のことを、額面通りに婚約破棄を推奨するところだと思っているとは、うふふっ。甚だおめでたい頭ですわー」
公爵令息、そして男爵令嬢として、普段は王家に対しても比較的大人しい物言いをする2人が珍しく毒を吐く。
元から高慢な態度が見られたパトリオットは不人気だったが……いよいよ半数以下となった穏健派からも彼を見切る者も出てくるだろう、とハルノレイムは顔をしかめた。
「全く、アミィも気の毒に。まあ、この分だとアミィに傷はつかないだろうし、ロングータス公爵のことだから、いざというときの嫁ぎ先にアタリくらいはつけているだろうけれど……」
「あら、エレナ。ジャルトアミィ様はそこまで柔な方ではない、って一番知っているのはあなたでしょう。どの道ジャルトアミィ様と公爵にも許可を取らなくてはならないから、明日にでもお会いしたいわね」
あくまで冷静なマリアに対し、エレナは少し困った顔をした。形のよい眉が少し下がり、なめらかな頬に手が添えられる。
それを見たジェリカがほうっと息を吐くが、ハルノレイムにつつかれ慌てて背筋を伸ばした。
「そうだね。今頃王宮から遣いが行っているのだろうし、アミィのことだから……自分から公爵の同意書を持って来ると思うよ。私ではなく、マリアのところにね」
「あら。ワタシの方にいらっしゃるの?」
「そりゃあ勿論。だって、婚約破棄部の部長はマリアじゃないの」
***
第3限が終了し、昼休み。鐘の音と共にざわめきが広がる。
あるグループは購買に向かい、ある生徒は友人のクラスを目指して教室から出て行く。
そんな中……片手で封筒を抱え、凛とした姿勢で歩くある女子生徒がいた。
艶やかな金色の髪を持つその美少女は、昼でも薄暗い渡り廊下にも動じず、憧憬の眼差しを受けながら進んでいく。
彼女のクラスである普通科3年1組を出て、たどり着いたのは、別棟にある一室だった。
「婚約破棄部部長、マリア・アンバートさん。いらっしゃる?」
「あら、おりますよ、ジャルトアミィ・ロングータス様」
切れ長の目を来客に向け、マリアは食べかけのサンドイッチをそっと包む。そして、昨日パトリオットを座らせたのと同じ席を勧め、微笑んだ。
ジャルトアミィも柔らかな笑みを返し、音もなく座ってから封筒を差し出す。
「昨日、王宮からのお遣いが来ました。パトリオット様が婚約破棄をご所望で、陛下は婚約破棄部の活動が行われることに同意したと……。わたくしも父と相談いたしましたが、二つ返事で同意書を書いてくださいましたの」
「ありがとうございます。それは大変助かりますわ。……公爵は何と?」
「「どうぞご随意に、婚約破棄部の方々」とだけ託けられましたわ。今更言うまでもありませんけれど、パトリオット様と例の子爵令嬢――リュエミール・ランドアーネストの噂は、わたくしたちも把握しておりました。少し様子を見て……場合によってはランドアーネスト子爵とのお話し合いが必要かと思っていたところでしたので、我が公爵家としても僥倖でしたの」
頬を染め、嬉しそうに話すジャルトアミィ。……マリアは昨日とは違う書類を取り出し、ヒアリングを始めた。
「……ええと。婚約破棄申請人によると、破棄を希望する理由は「①自らが懇意にしているリュエミール・ランドアーネストに対し嫉妬心を抱き、衆目の前で彼女を侮辱した。②彼女の机から私物を盗む、あるいは破壊するなどの行為を行った。③上記の行いを認めないのは人間として最低の行為であり、ましてや王太子の婚約者として相応しいものではない。王妃となるには、清らかで朗らかな心が必要である」だそうですが、お心当たりは?」
「まさか。……そうですわね、強いて言うのなら、少し注意はいたしましたわ? 侮辱ととられたのは心外ですけれど……」
白魚の手で口元を覆いながら、ジャルトアミィは再び微笑む。当然の答えに、マリアは書面に「①侮辱発言ではなく、リュエミール・ランドアーネストの作法についての注意。②該当事実なし」と記す。
「ありがとうございます。では、こちらに、婚約者として同意のサインを頂けますか」
「もちろん」
ジャルトアミィが、書面の下部に流麗なサインを記入してまた返す。それを事務的にファイリングしたマリアに、彼女は少し躊躇ったように声をかけた。
「ねえ、アンバートさん。パトリオット様が婚約破棄を強行した場合、徹底的に証拠集めをしたあなた方が、それに否やを叩きつけるのでしょう? わたくしの名誉は守られ、愚かなパトリオット様は全てを失う。いえ、あのランドアーネストさんが残るかもしれませんけれど、彼女の様子を見るに、恐らくあの娘は……」
ジャルトアミィの言葉が途切れたので、マリアはファイルから目線を上げた。ジャルトアミィの灰色の目と視線が合うが、僅かに彼女が視線を彷徨わせていることに気づき、切れ長の目を思わず見開いていた。
「そうですが……」
「そうよね。それが、婚約破棄部の役目ですものね。わたくし個人としても、幼い頃より婚約していた方にこのような形で裏切られたのは悔しゅうございますし、腹も立つものです。それに、ロングータス公爵家としても黙っているわけには参りませんから……ここだけの話、我が家の皆、パトリオット様への情というものは尽きかけておりますの」
「なるほど」
「ですけれどね……少し、さみしいなと思うんですの」
せめて、婚約解消を相談してくださればよかったのに。
そうこぼして、ジャルトアミィは落ち着いた所作で立ち上がった。その動きと共に、僅かに苦味を伴った薔薇の香りが、ふわりと漂う。
「失礼するわ。ありがとう」
「いいえ。また必要があればお呼びいたしますし、エレナに相談してくださっても構いません……本日は、ご足労頂きありがとうございました。公爵にも、万事お任せくださいと」
「ええ。ありがとう、アンバートさん」
しとやかな所作で部室から退出していったジャルトアミィを見送り、マリアは脱力した。
食べかけのサンドイッチを取り出し、もそもそとかじりつく。
「おいしい」