銃の章 Ⅱ-7
その日の朝は、晴れ渡る青天だった。
シンヤ達三人と行商帯の一向は各々の荷をまとめながら、その爽快な天気のなか軽い緊張感が走っていた。
シンヤは強大な魔獣との戦闘に対して自分の役割を思い返しながら、今までと意味合いの違う戦闘に向けて覚悟を決める。
「さて。行くか。」
そう言うジャフの表情はやや険しい。流石のジャフも緊張しているのだろうか。
ローレンは何も言わない。あまりしゃべらないのは、いつも通りではあるのだが。
なんだか、妙な緊張感だ。
「みなさん、準備はいいですか?」
外へ出たところで、ファリスが声をかけて来た。
「こちらも移動の準備は済ませてますので。みなさんの後をついていく形にさせてもらいます。」
「ああ。後ろに控えて、じっとしていてくれ。何もするなよ、何も。」
ジャフがそうつっけんどんに返す。
「ええ。私らにお手伝いできることはないですから…。邪魔にならないようにしていますよ。」
かくして一行は山の峰を目指す。
途中の魔獣はこれまでと変わらず、山に現れる鳥に近い物など、ジャフやローレンの『槍』や『斧』、シンヤの魔導だけで撃退しながら進んでいく。
しかし、山頂が見えるようになってきたあたりからぱたりと襲撃がなくなった。
「シンヤ、気をつけろ。縄張りに入ったらしい。」
「ええ…。」
魔獣は己の命と社会を守る。多少なら縄張り争いで魔獣同士での小競り合いはあり得るが、自分より脅威たりうる存在の領域にわざわざ足を踏み入れることはしない。
他の魔獣がいないことは、他の魔獣が避けるだけの存在がいることの証明だった。
「ここまでとはな。これだけの範囲で他の魔獣が逃げ出すとは…それだけやばいってことだ。」
「ジャフ、ある意味幸いだったかもしれません。我々が今ここで対処しなければもっと犠牲者が増えていたかも。」
「ああ…。後ろの連中も運のいいことだ。よく逃げきれたもんだな。」
その行商人を名乗る一行は今三人からだいぶ距離を開けている。
少し開けたところに差し掛かる前から、進みを止めているようだ。
戦闘になった際に巻き添えを食らわないように、安全に逃げ延びられるようにという意思の現れであろう。
「まぁ、無用な犠牲になるよりはいいが。囮にしようという魂胆はいけ好かねえな。」
「邪見にしないであげてください。何が何でも生き延びようというのは当然の心理です。」
「そりゃそうだ。…さて。ここいらに居るのは間違いないわけだが…。」
「そのはず、ですよね。でもこの開けたところにはいなさそうー」
「っ!」
突然、ローレンが二人を横に突き飛ばした。
その瞬間、二人がいたところに猛獣の爪が襲う。
はるか頭上から跳びかかってーいや、飛びかかってきたその獣は、確かに巨大な虎に翼の生えたような姿、という他なかった。この魔獣がどうやって空を飛んでいたのか、想像できないような巨躯である。その一撃は、並の冒険者、いや人間の力で受け止めることはできないだろう。
「ーローレンっ!」
ジャフの叫び声でシンヤははっとする。
二人をとっさに突き飛ばしたローレンの両の腕はみるも無残な状態であった。
鋭く切り裂かれた皮膚から血が流れ落ち、左腕はあらぬ方向に曲がっている。
シンヤがとっさに回復術式を展開するが、ジャフが術式を展開しようとしたシンヤを抱えて飛びすさる。
二人がいた位置を魔獣の腕が薙ぎ払う。まともに食らっていれば二人とも致命傷であったであろう。
ローレンも歴戦の猛者だけのことはあり、両腕の痛みを耐えながらも二人が後退したところまで飛びのいてきた。
「っぐ…。不覚を取りました…。」
「ローレン、いうな。油断したのは三人ともだ。シンヤ、根治が難しいのはわかってる。応急処置の範疇でいいから回復術式を。その間俺が時間を稼いでおく。」
「ジャフ、一人で大丈夫なんですか!?あんな化け物…。」
「シンヤ、どれぐらいかかる?」
ローレンの傷は深い。応急処置と言っても損傷した組織の再建だけでも少しかかる。
「ひと手間はかかります…。すぐに。」
「頼んだ。こっちはまあ…任せとけ。でも長くはきつい、早めに助けてくれよ。」
そこまで言ってすぐに『槍』を取り出すと、ジャフはすぐに魔獣に飛びかかる。
正面からの攻撃ー魔獣がそれを迎撃しようと腕を振りぬいた、途端、そこにあったはずのジャフの姿が消える。幻影魔術ー視覚を誤認させる魔術式を持った、自分自身を模した魔晶を飛び込ませたのだった。
これまでに見せてこなかったジャフの魔法での戦闘技術を目の当たりにして、シンヤは驚きながらも回復術式を展開する。
「シンヤ、すみません…。ある程度やってくれたらあとは自分で応急処置をします。ジャフの助けに行ってください。」
「そんな、軽い傷じゃないですよ!」
「自分のことです、わかっています。ですが、これまでにも二人で大けがして窮地になったことはありました。対応は心得ています、信じてください。」
「え、ええ…。なら…最低限の組織回復だけをします。でも、まともな腕に治るまでは動かないと思ってください。」
「構いません。それに、腕が動かなくてもできることはあります。」
「そんな!無理しないでください!大けがなんですから!」
「無理をしなければ切り抜けられないこともありますから。」
「っ…。強いですね、ローレンさんは…。はい、最低限の応急処置は終わりました。」
「え?」
この短い会話のうちに、ローレンの腕はほぼ元通りの見た目には治っていた。応急処置としても尋常でないほど速く、さらには一般的な応急処置からしたら十分な回復であった。シンヤの術式構築の速さがなせる業である。しかし、シンヤ自身にはそのすごさの自覚はない。
だが「腕の中身」が治っていないため、ローレンはその腕が思うように動かせないことにも気づく。飾りの腕、とでも言った状態だ。だが、この戦闘中に施した応急処置で痛みがなくなるだけでも大きい。
「では、ジャフさんの応援に行ってきます。ローレンさんは無理しないでください。」
自分のなしたことの自覚がないその様子にローレンはあきれ返る。
「ええ…。任せました、シンヤ。ジャフを頼みます。」
「厳しいなこりゃ…。油断したら命とりだ。」
ジャフは槍で相手の爪や牙を捌きながら、攻撃の機会をうかがう。
しかし相手の一撃はまともに食らえば致命的だ。万が一にも食らうわけにもいかない。
幻影魔術も何度も使えないー。誤認の術式は何度も食らって慣れてしまえば、誤認しづらくなる。そもそも相手の一撃は強大で広範囲である、幻影と実体の両方をまとめて攻撃されればそんなことは関係ない。
「使える手がないわけじゃないが…。」
「ジャフ!」
「え、シンヤ!?早いな、ローレンは大丈夫なのか?」
「処置は最低限しかしてないですから…。今はまずあいつを倒さないと。魔導で援護します!」
「ああ、頼む!怯ませてくれるだけでもいい、それで十分助かる!」
生半可な威力ではこの魔獣に効果はないだろう、シンヤは自分が考えうる限りの高出力で、火球を打ち出した。しかし、その結果は二人が想像だにしないことだった。
「ーな」
「っ!」
魔獣は火球を避けるように突然加速した。予備動作もなく突然に。
いや、加速したという表現は正しくないだろう。
魔獣は断じて走ったり飛んだりしたのではない。すっと、その姿勢のまま、「平行」に「移動」したのだ。そのあまりにも異常な動きに二人は仰天する。
「何で…どうしたらそうなる!?」
その現象は明らかに魔導での移動だ。この平行移動は魔獣が自分自身を風属性の現象で移動させたのだ。
魔獣が魔導を使うこと自体は珍しくはない。魔法を使う獣、ゆえに魔獣、である。
しかし、起きた現象自体が二人には脅威であった。
本来であれば、何かが移動する風の現象が起きる時、その対抗属性である摩擦する土の現象がそれを制御しようとする。しかし、今の移動には一切の摩擦が発生しなかったのである。魔獣は、点から点に、何の抵抗もなく移動した。周りの景色の何も、つられて移動したりずれたりしていない。ただ魔獣だけが移動した、この現象自体があまりに自然界のそれとはかけ離れていた。
そして、魔獣がその動揺で生まれた隙を見逃すはずもなく。
「ジャフさんっ!」
シンヤが叫んだ時には、魔獣の太い腕がジャフに振りおらされるところであった。
「っぐ!」
しかしジャフも歴戦の士である、間一髪槍の柄で腕を受け止める。
ジャフに飛びかかり圧し掛かるような体制になった魔獣に対して、シンヤが火球を放つも、当たるすんでのところでやはり魔獣が消えた。先ほどと同じように何の予備動作もなく平行移動し距離を取った魔獣に対して、速度で劣る火球では命中させられないことを感じシンヤは雷撃を放つ。
しかし、これもまるで見切っているとでも言わんばかりに魔獣はその横をかすめるようにしながら回避し、じわじわと距離を詰めてくる。
「くっ…だめだ、こいつに…魔導は当たらない!」
「シンヤ、すまんが撃ち続けてくれ。」
「ジャフさん、でも!」
「威力はなくていい。あいつの軌道を制限するんだ。隙を見て俺があいつの腕を地面に串刺しにする。そうして足を確実にとめたら、シンヤが最大火力の魔術であいつを討伐する。」
「足をとめるって…できるんですか?それに、とどめを刺せるかはわかりませんよ!」
「わからん、でもやるしかない。どの道、こんなやばい奴をのさばらせておくことはできん。」
「でも!」
それは、大きなかけである。
万が一にもあの魔獣の攻撃を食らえば、ジャフとて命取りであろう。仮に魔獣の攻撃をすり抜け、回避する先を読み、その上で『槍』での攻撃が成功したとしても、その後シンヤの魔術が魔獣を確実にしとめられる保証などないのだ。魔獣からの反撃が間近にいるジャフに向かえば、無事ではすまない。
「やるしかないんだ。シンヤ。」
シンヤには、ジャフの言葉が自分にも言い聞かせているように聞こえた。
その覚悟に、自分も今ここで腹をくくるしかないことを理解する。
魔獣も魔導で牽制されていることに飽きたかのように、その言葉と同時に距離を詰めてきた。
先ほどの平行移動と筋力で地を駆ける速さとが合わさり、それは今までの比ではなく速かった。
シンヤは可能な限り早く放てる魔導を連射する。ひたすらに速い魔導弾を放つ、しかし魔獣はそれに威力がないことがわかるのか避けようとすらしなかった。それなりの威力がなければ、怯むことも躱すこともない、それでは意味がないと魔導圧の出力を上げ威力をあげる。しかしそれなりに威力を持たせようとすればどうしても連射するにも限界があった。
シンヤの魔導弾を魔獣が避けることもなくこちらに近寄ってくる間、ジャフはただ魔獣の脚だけを見ていた。その直後、威力を挙げたシンヤの魔導弾を魔獣が避けようとしたとき、ジャフは魔獣の脚のクセを見抜く。
「そう、か。」
ジャフもまたシンヤの魔導弾の中を飛び出してかけていく。幻影ではなく明らかな質量を持って移動するジャフに、魔獣もまた反応して向かってくる。
飛び上がり、さらに平行移動で加速しながら前脚をかかげる。その質量から繰り出される攻撃はまともに食らえば致命傷であろう。
少しでも怯ませようとシンヤは魔導を放った。
しかし、ここでシンヤは直感する。
魔獣はこの魔導弾を避けない。ただの直感だが、きっとこの弾は命中する。
そして、その攻撃を食らいながら、ジャフに攻撃する。
自分の魔導に、致命傷を負う威力がないことを悟られた。そうなれば、当然の判断だ。
避ける必要がないのなら、避けながら戦う必要などないのである。
ジャフ、と呼びかける言葉も間に合わない。
魔獣に自分の雷撃が当たる。その雷撃にやはり魔獣は怯むこともない。しかし振り切られるその魔獣の脚、足の裏に向かって、ジャフは握りしめた『槍』を突き立てたのであった。
魔獣の攻撃は勢いを失うことはない、ジャフはもろにその攻撃をくらう。だがジャフは吹き飛ばされながらも、突き立てた『槍』をさらに深く貫き通す。吹き飛ばされた勢いそのままに床を転がるジャフであるが、『槍』が足裏に突き刺さったためにその脚をつけなくなった魔獣が体制を崩し倒れこむのを確認する。
「…シンヤぁっ!いまだぁっ!」
自分が想定した結果と違う現実、一瞬呆気にとられたシンヤであったが、ジャフの言葉ですぐに魔術式を構築し展開する。最大級の火力を込める。魔素を込めて練り上げる魔術式の中でも、シンヤは自分の思いつく限り最も破壊力のある術式を構築し、倒れこんだ魔獣に放つ。
しかし。
魔獣とて意識を失ったわけではない。平行移動するのに予備動作が必要ないーすなわち、姿勢がどうであっても移動はできる。
シンヤの放った破壊のための雷撃魔術は、魔獣のいたそのまさにその場所を穿つも、すんでのところで横にずれるように移動した魔獣には当たらず、致命傷を与えるには至らなかった。
「ぐっ…だめ、か…。」
「そんな…そんな。」
魔導では、魔獣に効く威力が出せない。しかし、魔術では式を構築している間に避けられる。
俺の力じゃ倒せない。シンヤはそれを痛感させられたのだった。そして。
このままじゃ、みんなやられる。こんなところで、道半ばで。
ろくに動けないジャフ、もう魔素の付き替けているシンヤ、後ろで控えているローレンも腕が使えないままである、自分たちにとどめを刺すことは容易であろう。
俺が力不足なせいで。
魔術なみの威力を持った魔導弾が、放てれば。
あるいはあいつが避けられないような魔術式が、使えれば。
もっと自在に魔導や魔術が使えていれば。
こんなところでー終わりなのか?
魔獣は槍が足に刺さったまま、何とか立ち上がろうともがいている。しかし、自分で満足に歩くことはできなくても、そもそも魔導での移動ができれば自由に動けるのだ。
それでも、思うようには歩けなくなった魔獣を見ていてシンヤは思う。
お前の自由を完璧に奪うことさえできれば…俺の旅は邪魔されないのに。
お前なんかに、俺の今後を自由にさせるのか…。
いや。
そんなことを許すわけにはいかない。
俺の自由は…俺が決める。
その瞬間。
シンヤは、異常な感覚を自覚する。
自分の尽きかけている魔素とは別に、膨大な魔素の存在を感じる。
「なっ…これは…?」
その存在は、自分の中にあり、自分の物でありながら自分ではない。
「いったい…なんなんだ、お前は?」
自分ではない魔素であるが、しかし不思議なことに自分の思うとおりになる。
「いや…俺は、わかっている。」
心の感じたままに、シンヤは自分の腕を前に構える。
するすると魔素の塊が腕に集まるように動いていく。
「なんでか…わからないけど。俺はわかった。」
その魔素は、シンヤの手の中に自然と握られるような形をなし、見たことのない魔導具になった。
「これが…『銃』。」
シンヤは見たことも聞いたこともないこの魔導具を『銃』と呼ぶことがわかっていた。
そして、その使い方も。シンヤはゆっくりとその銃口を魔獣に向ける。
「ありったけ、持っていけ。」
引金を引く。
その動作で何がおきるのか、その場にいたやはりシンヤだけがわかっていた。
ジャフとローレンは光の奔流が魔獣を抉り、消し去っていくのを目にする。
しかし、シンヤはそれを見ることなかった。
遠のいていく意識の中、シンヤは自分の『根源』の恐ろしさだけを感じていた。