銃の章 Ⅱ-6
山道は平らな道とは全く違う。
なにせ基本常に斜面なのだ。歩く道が多少整備されているとはいえ、疲れが平坦な道と同じなわけはない。さらには岩肌も多く、迂闊に転べば転げ落ちることになって無事では済まないだろう。気を使いながら坂道を登るという作業は、思っていたよりも過酷なものである。
「はぁ、はぁ…。そんなことに、思いいたらない、とは…。」
「おーい、シンヤ、大丈夫かー?」
「大丈夫、じゃ、ない、です」
「流石に私もシンヤさんを担いで山を超えるのは自信がないですね…。」
「休みながら、いけま、せんか…。」
「しょうがないわな。山で泊まるのはいろいろ面倒だが。」
山では道も魔獣の縄張りのすぐそばだ。整備するにも限度がある山道では襲ってくる魔獣も元街道の森よりも多かった。逃げるのだって平坦な道を走ればいいという物ではない、相手はそもそもそこが生活圏だがこちらは足場に慣れないのだ。討伐せざるを得ない時も多かった。ジャフとローレンの二人だけならそれでも走って逃げられるのであろうが、今のシンヤにはそんな体力はなかった。
さらに、足場の悪い戦闘ではどうしても二人の槍や斧での近接戦闘だけで叩くのも難しい。ある程度距離を保ちながら攻撃できるシンヤの魔導が戦闘の要になってしまったこともあり、自分が思っていたより過酷な山越えにシンヤは疲弊せざるを得なかった。
「もうすこし行けば駐屯に使える安全な窪地があったはずだ、そこまでがんばってくれ、シンヤ。」
「わかり、ました…。…っ、いきましょう。」
息が切れるのをなんとかこらえ、シンヤは前を目指す。
「あれ?」
しかし驚いたことに、窪地には先客がいた。駐屯している謎の集団である。猛風の季節が終わったばかり、自分たちより先行して山に入ったものがいるわけはない。すなわち、先客は山の中だけでも危険なのに、さらに猛風の季節が来るのも覚悟の上で、ここに駐屯し続けた集団ということである。通常ではそんなことをしない旅人の常識から外れた集団に、ジャフとローレンはいぶかしむ。
「何をしているんでしょうね。ジャフ、どうしますか。」
「怪しい集団じゃないといいが…。」
「おふたりとも、どうしたん、です?」
「シンヤもこのタイミングで自分たちの前に先客がいるのがおかしいのはわかるよな。後ろじゃないなら、山の向こうから来たってことだ。猛風の季節になることも承知の上で、な。なんでそんな危険な状況を承知の上で入ってきた集団がいるのか、さらにはこんなところに居座っているのかって話だ。真っ当な人間ならそんなことはしない。したくなくてもせざるを得なくなったのか、あるいは後ろめたい事情があって山を降りても村に泊まったりできないか…。」
「え…。悪党とかかも、しれないって、ことですか。」
「まぁ、事情を聴かないことにはわからないか…。行こう。」
―――
「いや、助かりました。」
その集団は数人の男からなる行商であった。山を越えた村に物を届けるためにきたが、護衛していた冒険者が来る途中の魔獣との戦闘で命を落とし、そこから進退窮まってしまったとのことであった。
大きなけがもなくここにたどり着いた3人を見た一行は驚いたとともに安堵の表情を浮かべていた。
幸い村に届けるための物資で食いつなぎ、猛風の季節もなんとか乗り越えたものの、この先どうしたものかと困っていたところらしい。
「物資を置いて村に逃げることもできただろうに、よくここにとどまったなぁ。」
「それはそうなんですが。それだと結局山の向こうの街に帰れないですから…。」
「え?どういうことですか?」
「来る途中に出会った魔獣ですよ。あれをなんとかできる人がいなくちゃ、結局山を越えられませんから。」
「魔獣…か。」
彼らの話によると、この先の山頂に魔獣が出たらしい。強大な魔獣で冒険者があっという間にやられてしまい、彼らは命からがら逃げてきたということであった。ここから山を下るにも冒険者を失って魔獣と戦闘できるものもなく、魔獣から逃げながらで村まで降りることができるかわからない、かといって魔獣に襲われることがわかっているから来た道を戻ることもできない。まさに万事休す、という状況だったらしい。
「さて。どうするかね。」
「ジャフ、私たちはどの道山を越えなければいけません。進むしかないかと。」
「そうだな…。おたくらはどうする?麓の街に行くんならついてくる分には止めないが。」
「それはもう願ったりかなったり、て話ですよ。連れて行ってもらえるんならありがたい話でさ。だけど大丈夫なんです?お二人は旅慣れているようですが…そちらのお連れさんは」
見知らぬ行商人にすら心配される有様なのを少し恥ずかしく思いながら、はっきりと答える。
「頑張ります。足を引っ張ることにはならないようにするつもりです。」
「シンヤ、無理をすることはない。それに足を引っ張らないどころかものすごく助かっているさ。俺たちの魔術や魔導はあんな戦闘に通用するレベルじゃない。」
「へぇ、驚いたぁ。お兄さんがそんな魔術や魔導に精通しているとはねぇ。」
突然会話に参加したのは、行商人のひとり。彼らの中ではかなり若いほうに見え、行商というには他の屈強な男たちからすると細い印象を受けるその男はファリスと名乗った。
「おい、ファリス。失礼だぞ。お兄さんすんませんね、うちの若いのが。新入りなもんですから。」
「いや、すみませんね。どうも礼儀って言葉と縁遠い世界で生きて来たもんですから。でも、どこでそんな魔術や魔導を身に着けたんです?」
「え…。ああ。僕は」
そう答えかけたシンヤを、ジャフがさえぎった。
「こいつの師匠がひどい人でねぇ。こいつを魔獣の群れに放り込んで生きて帰らせたとか、むちゃくちゃな修行を付けてたんだよ。ただ体力がなさすぎるってんで、今回俺たちの旅に連れてこさせたんだ。」
「へぇ…。師匠さんが、ねぇ。そりゃあ大変だったんだろうね」
「え、ええ。まぁ…。」
シンヤはファリスに真実を伝えなかったことに疑問を抱きつつも、ジャフの口調の圧に話を合わせるべきと感じた。少なくても、今はとりあえず見知らぬ人よりジャフを信用したほうがいいだろう。
行商の首領はしっしっとファリスを追いやりながら、三人を駐屯に迎え入れてくれた。
「ま、そちらのお二人は腕利きっぽいし、そこからお墨付きがあるんなら信用できるんでしょうね。あの魔獣もなんとかしていただけると信じてますよ。」
「ちなみに、その魔獣の情報はいただけないですか。姿かたちや、特徴を。」
これまで静かにしていたローレンが口を開く。
「あー…。なんというか、翼の生えた、でかい狗、なのか、狐なのか、そんな奴でした。空に飛んでいるから冒険者の人らも手が出せなくて。その上一撃で人をぶっとばしてたから、たぶん力もかなり強いんだと。」
「ふーむ…。厄介だな、そりゃ。」
「そうですね。空中戦はジャフや私の苦手とするところです、対応策がないわけではないですが。」
「まぁ、今回はシンヤがいてくれるからな。ちょっと楽させてもらえそうだな。」
「今までみたいに魔術や魔導で撃ち落とせばいいってことですか。」
「まぁ、そんな簡単にいくかはわかんねえけどな。魔獣なんて同じもんが生まれることない、同じ環境で生まれて似たような特徴のやつはいても、なんだかんだ色んな特徴があるからな。そいつの全力がわからんし、今までの対応策もだし、お前さんの魔術や魔導が有効かもぶっつけ本番で試してみるしかないなぁ。」
「今回は山の中で補給が難しい、一発で突破しないといけません。今までみたく、情報を集めて撤退という方法も使えないですしね。」
「まぁこっちにも最後の手段がないわけじゃないからな。なんとかなるだろ。」
「僕も頑張ります。それにお二人のことを信じてますよ。」
一向は次の日に出立することとし、今日はこのまま山の窪地に駐屯することになった。
その夜、シンヤはジャフと自分たちの天幕を準備した。行商たちから物資や寝床の提供を提案されたが、自分たちも本来この山を越えるだけの準備をしているから、とジャフが断った。
「それにしても、行商のみなさんはよく逃げてこれましたね…。」
「あー。これはあんまいい話じゃないけどな。冒険者を犠牲にして行商が逃げてくってのは、よくある話なんだよ、シンヤ。」
「え、そうなんですか。」
「契約魔術式ってもんがある。冒険者が依頼人から依頼を受ける時に、依頼を達成できなければどうなるか、というのを決めておくんだ。そして必ずこれが実行されるようにするための魔術式がある。冒険者組合が斡旋する仕事は契約するときにそこまでのリスクはないように調整してもらえるが、野良冒険者が自分で依頼人と契約するときには、お互いが納得できればそれで契約を成立させられる。」
「でも、自分が犠牲になってまで依頼を遂行する必要なんてないのでは?」
「それが必要になるように、契約を結んでおくのさ。行商も途中で命を脅かされることがある危険な仕事だ。それを守るのが冒険者の仕事だし、積み荷を届けなきゃ行商も自分の稼ぎが無いから必死だ。行商は命懸けの仕事なんだから、冒険者にも迂闊なことで逃げられないような契約を結ばせる。そりゃ、皆で逃げてこられりゃいいが、今回みたいに想像だにしない危険ってこともあり得るわけだしな。」
「それでも、自分が死んじゃったら元も子もないじゃないですか…?冒険者だけで逃げたら、どうなるんです?」
「たとえば、契約魔術で命を懸けてりゃ契約魔術によって命を落とすことになる。実際にはそこまでの契約を結ぶ奴はいないがな。多いのは、契約達成まで次の契約魔術を結べない契約、だな。」
「それは、魔術式的にはできそうですけど…。それでも、命惜しさに逃げることはできるのでは。」
「そりゃそうだが、そうすると次の契約が結べなくなる。契約なしで仕事をふってもらえるほど、世の中は甘くない。契約を一度失敗してることが客の側にもわかるんだ、信用を失うだろ?冒険者にとって次の契約を結べないってのは、職を失うのと等しい。その後、他の契約魔術の必要な仕事にもつけなくなるから、なかなか生きていくのは大変だ。まぁ、危険な分確かな実入りが多いってのが冒険者って職だから、なりたいやつも少なくはないけどな。」
「なるほど…。」
「まぁ、死にたくなきゃ街に住んでもっと安全な職を選べばいい。旅をするだけなら街道を往けばいいし、魔獣なんて全力で逃げりゃあなんとかなるもんだ。縄張りの外まで追っかけてくるやつは少ないからな
。世の中には値が張るが便利な魔術具もあるし、やりようはいろいろある。」
「なるほど…。本当、勉強になります。」
「おう、なんでも聞いてくれてかまわんぞ。」
そんな話をしていたら、ローレンが食事の準備を済ませて天幕に入ってきた。
「ジャフ、私にも聞かせてください。あの人たちのこと、全く信用してませんね。なぜです?」
「ああ、そういえば。ファリスさん、でしたっけ。あの人にも本当のこと伝えなかったですよね。」
「そりゃそうだろ。会って話聞く前に話してた、行商の割には行動が不審なこともあるが。ファリスとかいうやつが一番信用できねえ。あいつが新人なわけがない、身なりが良すぎるし新人が一番仕事してなかった。見張りも野営の準備もなんもしてないなんて、そんな新入りいるわけないだろ?あいつがたぶんこの行商と言い張ってる集団の真の首領。そいつに嘘をつかれたんだ、信用してやる義理もないさ。」
「なるほど。行商というのも。間違いなく嘘ですか?」
「まぁ、嘘だろうな。そもそもこの先に行商って、荷車を引く動物がいないぐらいで事足りる物資で何を届けに来たんだって話だ。襲われて荷を捨てたんなら、逆に山のふもとの村まで全力で降りていけただろう?つまり、本来村に立ち寄る予定じゃない集団だったんだろうし、緊急事態にあってもなお村に立ち寄れないだけの理由があったんだろ。」
「わかりました、ジャフがそういうなら。それに、やはりとても怪しい集団に思えてきましたね。」
「実際だいぶ怪しい。その怪しい集団の目的地がこの先にあるとしたら、それはきっとお前さんだ、シンヤ。」
「僕、ですか…?」
「根源災害が終息した。なにかあった、と考える奴がいてもおかしくないだろ。」
「それだけで、ですか…。じゃあこの行商といってる集団も『根源』を狙う何者かの手先、ってことですか。」
「手先なのか、全体がこの規模の小悪党なのかはわからん。なんにしても、迂闊にお前さんのことを伝えないほうがいいだろうと思ってな。まぁ…多少なりとこっちの身分もわかっていそうだが。」
ジャフの見識の広さと洞察力はすごい、とシンヤは思う。やはり、すごい人なのだと思うが、だからこそ。
自分の拙い魔術や魔導でも頼りにしてもらえているのが、少し誇らしくも感じた。
そして今回のローレンの態度から、ジャフのことを信頼しているがゆえにあまり交渉ごとに口を出さないでいるんだというのもわかる。長い付き合いだからこそ、信頼は自分のそれよりもよっぽど深いのだろう。
「ま、残念ながらこの先の魔獣とやらを退治しないことにはどうせ俺たちも先に進めんからな。口車に乗っかってやるさ。」
「魔獣、ですか…。これまでのものとはだいぶ違う形態ですよね。」
「人通りが少なくなって、一個の個体が討伐されることもなく強大化した結果なんだろうが…。この山道に巣くってもらっては困るしな。誰かがどこがで討伐しなきゃならん。貧乏くじだが仕方ないな。」
「ジャフ、『根源』を『開放』しなければいけなくなったら…。」
「まぁ、流石に大丈夫だろ。そこまで対処に困るレベルなら仕方ないだろうし。」
「そうですが…。あの怪しい集団に我々の『根源』を知られるのも問題では?」
「そんときゃそん時だ。だいたい、そんな大規模な相手なら俺らの身元は割れてるだろうし、そうじゃないなら大した問題じゃない。シンヤの『根源』が特殊だと気付かれないのが肝要だな。」
「確かに、そうですね。」
「まぁ、現状僕は魔術とか魔導とかが得意なだけの人ですから…。ばれるも何も。」
「そんなに卑下するなよ。長いこと生きてても俺とかローレンは魔術も魔導もろくに使えないんだからな。本音ですごいと思ってんだぞ。」
ジャフにそんな風に言ってもらえることは確かな自信ではある。
それでも、カナンの術式の精度や、自分の本当の師に比べれば…と思ってしまう。
「まぁ、明日が大事なのは間違いねぇ。今日のところは早めに寝よう。」
自分の『根源』としての責任や役割を果たせない自分。戦闘においてもだが、こういう時に二人のように振る舞うことができない自分は、本当に未熟だと思う。明日、本当に足を引っ張らないでいられるだろうか。
不安を感じつつも、夜の闇にシンヤの意識は落ちていく。かすかな物音に気付くこともなく。