銃の章Ⅰ-1
「さあ、答えを聞かせてもらおうか。」
そいつはうすら笑いながら、俺に問いを投げかける。
「俺はー。」
これは、この世界の始まりの物語。
1.
晴れ渡る空、いつも通りの喧騒に賑わう西洋風の街並み。
それを見下ろす一人の青年。自分が通う校舎の、立ち入り禁止のはずの屋上に寝そべり、欠伸をしながら退屈そうにしている。
そんな彼の真横に、はるか頭上、空中から降り立とうとする人影。
「みつけたぁ!」
「あ、やべ。というか、執念深すぎんだろ…。」
降り立つというよりは落ちてくるのもまた少年。二人は同じ制服を着た同級生である。
寝そべる少年の名はシンヤ。
降り立つ少年の名はカナン。
学術都市の学園に通う、二人は学園の同級生である。
「シンヤ、お前またこんなとこでサボりやがって。お前がサボるせいで何度俺が先生に怒られてると思ってんだ!」
「がなるなよカナン。あんなわかりきった講義しかしてくれない先生に問題があるんだからよぉ。お前だってそう思うだろ?」
「お前のような天才にはつまらないかもしれないが、講義をサボっていい理由にはならないんだよ。なぜなら俺が怒られるからだ。わかったらとっとと戻るぞ。」
「俺は天才でもなんでもねえよ。感覚の世界なんだから、知ってるかそうでないか、だ。」
魔導科の講義は、理屈っぽいマルティナ教官が筆頭教師である。しかし、魔導をコントロールするための魔導圧は本人の感覚に影響されるところが非常に大きく、魔導は理論より経験だというのは魔導師の中では知れ渡った標語になっている。
「まあ、マルティナ先生は魔術師で魔導師じゃないからなぁ…。魔導は専門外だし、魔術師としては当然の講義内容なんだ、仕方ないだろ。」
魔術師である先生は、魔術式の構成理論やその研究の歴史、魔術の精度の重要性や日常での有用性を講義する。しかし場所や特定の素材など、下準備をしておくことが肝要になる魔術は基本的に何もないところから感覚的に発動する魔導と比較して、即効性に劣る。日常的に有用な技術として魔術は重宝されるが、魔導はあくまで戦闘や応急処置向きである。
「俺はこの街でのうのうと暮らしてること自体がつまらないんだよ。空はこんなに広いのにさ。」
故に、この街で一生を暮らすことを考える者で、魔導を学びたい者はそう多くない。魔術を学び道具を作ったり、より効率の良い式を研究することはあっても、魔導のみを学んだ人間にできることは限られるからだ。魔術の補助として魔導を使うことはあっても、魔導を主体に学ぶ者は多くない。
「お前は小さい時からそうだったよな…。外の世界に出るんだって言い続けてた。」
「そりゃそうだろ。俺は、この街でありきたりの人生だけじゃ、満足できないんだ。俺の根源はきっと、そういうものなんだよ。」
そう、シンヤの夢は日常とかけ離れ、安寧を捨て、街から離れて危険にあえて身を浸す冒険者。
この街の中で安寧に暮らすことを選ぶことが多い人々の中では、いい顔をされない職を願ってやまないという変わり者なのである。
二人の通う学園には四つの学科がある。
魔素を式に載せることで日常的な道具の作成や修理、病気や怪我の治療、その他生活に必要となる需要を満たすためのありとあらゆる現象を実現するための魔術式を学ぶ魔術科。
魔素を制御し、その配列や分布を調整することで魔素を結晶体や構造物として構築し、動力源や道具そのものとして使うための技術である魔晶、その構造や分布の総称である魔晶配を学ぶ魔晶科。
魔素を現象に対してさらに追加することで、道具や人体に特殊な効果をもたらすことができる魔装、その定着や魔素との親和性などを調整するための魔装紋を学ぶ魔装科。
そして、思いのまま魔素に魔導圧をかけて、魔素の本質そのものの現象を引き起こす魔導。
熱い火を、冷たい氷を、伝わる水を、移ろう風を、耐える土を、進む雷を、思いのままに操りありとあらゆる現象を引き起こす魔導、この魔素に対して思い通りに密度や方向性を変えるための魔導圧の知識を学ぶための魔導科。
のはずであるのだが。
魔導科には、生徒こそあれ魔導が専門の教師はいない。
魔導は、感覚が主体である。それゆえに、教えて身につくものでもなければ、そもそも魔素に対する自分の感覚は視覚や聴覚が共有できないように、他人に言葉で教えられるはずもないのである。
ゆえに、魔導が専門の教師はこの街にいない。必要がなく、魔導を使う者は教えることができないことを知っている。教示できる文書もなければ、それを書き記す魔導士もいない。
「ま、そんなのはわかってるんだけどね。」
シンヤは、若くして魔導の心得がある。というより、物心ついて以来、魔導圧の鍛錬を繰り返しては練りに練り続けて育ったのである。この街では、勉強することで身につく魔導式や魔晶配や魔装紋に詳しい子供は多いが、外で魔導の練習に明け暮れる子供はほぼいない。
なぜなら大人たちもまた魔道を使う必要がないからである。自分が魔導圧を制御できなければ、想定外の事故や怪我につながってしまうことを大人たちはわかっており、そして子供たちもそれを見て育てば必然的にそう思うものである。
街の中で魔導を暴発させて問題のない広場のような場所は街の中には無く、子供が魔導を発動させるにしてもそれはいたずら程度のささいな現象で抑えることがほとんどある。
真っ当な親なら、子供がいたずらをすれば嗜めるであろう。そして、魔導圧でよからぬことができると知った子供に対して、魔導を迂闊に使ってはいけないことを教えるものなのである。
しかし、シンヤには普通の子供と違う点が二つあった。
ひとつ。親がいなかった。より正確に言うなら、生みの親がいなかった。
彼は街に出入りする旅の者が連れてきたらしいということしかわからない。
しかし、街の住人が路地裏で一人泣きわめく子供の声を聞きつけて保護した頃には、彼の縁者は見当たらなかった。
街の住人で相談するも保護する者は見つからず、街外れに当時住んでいたとある魔導師が引き取るというので、そのまま預けることになったのであった。
彼女の名はアリーナ・ヴェステンフールー。
街のものは流れ着いた魔導師ということ以上に彼女のことを詳しく知らなかったが、彼女もまたこの街では変わり者だった。
シンヤは彼女に街外れで育てられる間、魔導を使うことが良くないことだとは一度として言われなかった。それどころか、彼女はシンヤが物心ついて魔導圧を発揮した時、あろうことかそれを自らの魔導圧で増強し、より複雑な現象を引き起こさせたのである。魔導にも複雑なことができると母は子に見せ、子は母の自由に魔導を操る姿に惹かれた。それ以来、シンヤにとって魔導は彼女との繋がりりとなった。街外れが住まいだったこともあり、街の外で魔導の練習に明け暮れた。母と共に魔導で遊び、新しいことをしてみせては褒められ、親子としての愛情を、魔導を介して知ったのである。
そして、もうひとつ。
魔導を教えた母が、突然いなくなったのである。
シンヤが物心ついて、街にも同い年ぐらいの知り合いや街の店で出会う人たちと交流するようになったころ、彼女は突然いなくなった。
街に買い物に出かけ、家に帰るともぬけのからとなっていた。ただ一つの書き置きを残して。
「あなたはもう、大丈夫。」
何が、どう大丈夫なのかまったくわからなかった少年のシンヤにとって、魔導は敬愛する母との唯一の繋がりなのである。一人になって以来、彼は街の中で暮らすようになったが、それでも魔導は捨てられるわけもなく、街で得た友人たちに魔導のコツを教えては悪用したり、役立てたりしているのである。
しかし、この街では魔道は敬遠されている。安定して稼働し続ける魔術や有用な道具足り得る魔晶、手のかからない魔装に比べ、一時的なもので不安定であり、維持し続けることが困難な魔道はどうしても待ちでの生活に向かない。
母の行方が気になれば当然探したくもなる。さらには生きがいともいえる魔導を気兼ねなく使える外の世界に、シンヤの意識が向くのは至極当然のことであった。
「…シンヤ。シンヤ!聞いてるの!?シンヤ!」
カナンに捕まり講義に引き戻されたシンヤがやはりつまらないんだよな、とぼんやり窓の外へよそ見をしていたら、気づいた頃にはマルティナ講師が自分の前に立っていた。
またどやされる。
そう身構えたシンヤであったが、マルティナはため息を深くついた。
「はぁ。あなたが魔術に興味ないのはもう身に染みて根源まで届きそうなぐらいわかっていますが…。一応、魔導の話をしているのです。少しぐらいは勉強もなさい。」
「いや、だって勉強よりも実践が…」
「おだまり。歴史の中の魔導師にだって、あなたが学びを得られるところがあるかもしれないでしょう。あなたが広い世界で冒険者として本当に生きていきたいのなら、なおさらいろんな状況を乗り切ってきた人たちの知恵を知っていることは有用です。まずは…」
ああ、長くなる。というか、先生の話してくれる魔導師の歴史も大体は知っていることが多い。アリーナからも何度か聞かされたこともある。御伽噺と言われてもおかしくないぐらい昔の人のことを、彼女はまるで見てきたかのように臨場感たっぷりに語ってくれた。
「…かの者は壁を乗り越える必要があったときに、自分が力を使って上に移動するのではなく、壁に出っ張りを作った上で上にそれがつたわっていくような魔導圧をかけ、壁の方に自分を運ばせるという形で乗り越えたのです。それが、今術式として再現され、この街でも昇降機として流用されているわけですが魔導圧なら乗り込む人が圧をかけ続ける必要があるわけですが、術式ならこれを魔晶からの魔素供給で解決でき…」
ああ、結局魔晶や魔術の話になってるわ、先生。
そういえば、アリーナはその人のこと、おっちょこちょいだったんだって言っていたなぁ。飛びあがるつもりだった風の魔導圧が水を巻き込んで波になってしまって、しかも自分もその波に巻き込まれてそのまま一緒くたになって壁を上向きにつたりあがってしまった、だとか。結果的に壁は登れたんだけどそうやったら登れるとは思ってなかったに違いないとか、なんとか。
そもそも、この講義自体も何度も聞いている話である。この学校の卒業は、主となる講義を4年、その他の講義も4年の在学中に1年ずつ受講し、主と副、それぞれの修了試験を合格すればいいのだが、魔導を主とする学生はこの数年間でシンヤ一人である。彼はこの、教師もろくにいない科目を4年間受講しているのだ。魔導士を名乗るために必要なこととはいえ、彼にとっては内容のない講義を4回も受講するというのは苦行でしかないのも無理からぬことであった。魔術、魔晶、魔装ももちろん彼は副科目として終了済であり、彼はただ今年一年この魔導の講義を受講すれば卒業できるのである。
ちなみに友人のカナンは魔術専行、その中でも優秀な部類であり魔晶も魔装も精通している。そんな彼でも、魔導は最低限のことしかできない。他の学生にしてみれば、使う機会のほとんどない魔導は、課題としてこなすだけの物であっても、それ以上に修練するものではないのである。
あと、3か月か…長い4年間だった。
シンヤがこの学園を卒業するまで、あと3ヶ月。
そして、魔導士として街の外に出れるようになるまであと3ヶ月。
魔導士として学園を卒業すること。
これは、身寄りが再びいなくなった彼を引き取ったこの学園の長が、彼に課した課題であった。
その課題の終わりが、あと3ヶ月の講義を我慢することであった。
が。
「…シンヤ!あなた途中サボっていたのだから課題をこなさなければなりませんよ!」
講義の最後にマルティナ講師から追加の課題を出され、我慢することが増えるのであった。