第七話
胃に食べ物が入ると、ぽかぽかと身体が温かくなってきた。恐らくスープに生姜か何かが入っていたのだろう。狩人の気遣いにレティシアはまた泣きそうになる。
狩人は暖炉の傍に木製の小さな丸椅子を持ってきて腰掛ける。そしてレティシアの顔色が幾分か良くなったのを見ると淡々と語り始めた。
「お前はこれからどうしたい。」
「……え?」
「今は一時的に俺が保護しているが、ずっとこのままという訳にはいかない。」
「……。」
「その歳から孤児院に入るのは難しいだろう。」
これから、どうしたいか。そんな事は考えていなかった。レティシアは膝の上で、ぎゅっと祈るように手のひらを組み合わせる。そうだ。自分は生きているのだ。これからの事を考えなくてはいけないのだ。
しかし、唐突に奪われた日常と唐突に現れた選択にレティシアは戸惑い、黙り込むしか出来ない。
「もし行けるとすれば修道院だ。あそこには身寄りのない若い娘がたくさんいる。」
レティシアは、修道院という言葉に、一度だけ訪れた事がある、街の大聖堂を思い出していた。
(修道院……、神様に仕えて、毎日毎日祈る場所……。)
それも悪くないかもしれない。そこに行けば、毎日毎日、天国にいる父と母のために祈ることが出来るのだ。
レティシアは、黒い修道服を着て十字に祈りを捧げる自分を想像しようとして、ハッとした。
──────殺してやりたい。
あの時、荒らされた村を見た時、殺された村人達を見た時、自分は確かにそう思った。心の底から、本気で、あの「何か」を殺してやりたいと思ってしまったのだ。
神はこんな罪深い願いを持った者を歓迎し、祝福する事など無いだろう。レティシアは祈るように組んでいた指を、するり、と解いた。
「……私は、修道女には、なれません…。」
深く俯いたレティシアから掠れた声が漏れた。狩人はそれを聞くと、少しため息をついて目を閉じる。
「ならどうする。娼館にでも入る気か。その歳の娘が後ろ盾もなく働くとなるとそれくらいしか無いぞ。」
先程よりも少し強い口調で言う狩人にレティシアは顔を伏せたまま、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「……私は、お父さんとお母さんを、殺したアイツを、殺したいって、本気で、心の底から思ってしまいました……。こんな気持ちを持った人間が、神様に、仕えるなんて、許されるはずがありません……。」
そう言ったっきり再び黙り込んだレティシア。狩人はそんなレティシアの様子を見ると、何か諦めたように、本当なら言わないつもりだったが、と前置いてから、静かな声で話し始める。
「お前の村を襲ったのは、恐らく人狼という生き物だろう。」
「じん、ろう……?」
「二本足で歩き、ヒトに限りなく近い知能を持つ獣だ。俺はそいつらを殺すことを生業としている。」
ぱちぱちと暖炉の中で火が燃える。まるでレティシアの腹の中に燻る怨みのように。
「俺も含め、人狼を殺す仕事をしている者は『狼狩り』と呼ばれているんだ。」
そう言うと狩人は分厚い本を持ってきた。本の表紙で分厚い革で出来ており、高価なものだと一目で分かる。
「……お前、文字は読めるか。」
「……はい、少しなら。」
────昔昔のお話です。この世界に悪魔が産まれました。それはそれは恐ろしい、狼とヒトが混ざった忌まわしい異形の悪魔です。鋭い瞳の瞳孔は縦に裂け、大きな口には刃物のようにギザギザした牙が並んでいました。全身のほとんどを毛で覆われ、爪は尖って、耳はどんな音も聞き逃すまいと三角に立っています。その姿を見たものはヒトと狼が混ざったその生き物を「人狼」と名付けました。
人狼は狡猾な生き物でした。そして好んで人肉を貪りました。人々はその脅威に怯え、震えながら暮らしていました。
しかしある時、そこに立ち上がる一人の女がいました。人狼に怨みを持つという彼女は、どんな方法を使ってでも人狼を全滅させると高らかに宣言してみせました。するとどうでしょう。彼女の周りに、同じく人狼に怨みを持つという三人の者達が集まってきたのです。
ある者は子を玩具のように嬲り殺され、ある者は娘を犯された上に殺され、ある者は村の全員を惨殺された。
そうして生まれたのが「狼狩り集会」。この集会は親から子へ、子から孫へと何代も何代も脈々と受け継がれました────
────人狼が執拗な生き物であるように、ヒトも執拗な生き物でした。
最初は、がむしゃらに人狼を刻みました。身体の隅々まで刻みました。そうするといつの間にか人狼は死んでいます。狼狩り達はずっと、奴らの弱点を探っていたのです。
どこだ。どこを攻撃すれば、奴らを、人狼共を一撃で倒せる。
そしてある時、ヒトは気がつきました。心臓を破壊すれば人狼は死ぬという事に。それからヒトの逆襲が始まりました。銃弾や刃物で心臓を一撃。実に愉快な光景でした。
狡猾な人狼に勝てるのは狡猾なヒトです。人々は囮を作りました。しかし囮と言っても喰われるのは仕事ではありません。捕らえやすい場所、狙撃しやすい場所まで奴らを誘導する事が仕事です。平地にノコノコとやって来た愚かな獣を撃ち抜きます。どんなに遠く離れていても、必ず心臓を撃ち抜きます。暴れぬように一撃で。苦しむ暇など与えずに。捕らえた人狼は拷問にかけました。寝床の場所を吐かせます。子供の居場所を吐かせます。どんなに有益な情報を吐いても、最後には殺しました。酷い断末魔を上げて、人狼は死にます。
ヒトは執拗な生き物でした。
人狼も執拗な生き物でした。
だからでしょうか。人狼はいまでも夜な夜なヒトを狩りに出かけているのは。
だからでしょうか。狼狩り達がいまでも夜な夜な人狼を狩りに出かけているのは──────────
ぱたん、と本を閉じて、レティシアは恐る恐る狩人を見上げる。これが本当にあった事だなんて信じられない。どうしていいか分からずに、ただ狩人を見つめていると、狩人は再び口を開くと淡々と言葉を紡いだ。
「人狼は、一晩で村のひとつくらい簡単に潰す。俺がこれまで見てきた村には生き残った人間がいた事なんて無い。」
狩人は言葉を続ける。
「普通に暮らしている人間にとって、人狼なんて物語の中の存在だ。生き残りがほとんど居ないせいで、その存在は露見しない。もし知ってたとしても噂程度のものだ。」
噂、と聞いて、レティシアはぼんやりと思い出す。もしかすると、父が街で聞いたという噂、「狼」が出るという噂は「人狼」の事だったのでは無いだろうか。
あくまで推測だ。事実では無いかもしれない。しかしレティシアは、自分の無知ゆえの無力さに怒りが込み上げてくるのを感じた。
(…人狼のことを知ってさえいれば、何か出来たかもしれないのに……、ただ隠れてるんじゃなくて、お母さんを、お父さんを、助けられたかもしれないのに……!)
再び溢れ出しそうになった涙を堪えて、レティシアは服の裾を握りしめる。
背を丸めて、ふるふると震えるレティシアに狩人は思いがけない事を言った。
「……もしお前が望むなら弟子にしてやる。」
少し驚いて顔を上げたレティシアを狩人は真剣な眼差しで見つめている。
「狼狩りにならないか。」
☆思いがけぬ誘い、どうするレティシア
────!!
なんちゃって。ちょっとやってみたかったので。