第五話
レティシアは、しばらく泣き続けていたが、時間が経つにつれて段々と落ち着きを取り戻した。悲しくて苦しい事に変わりは無く、涙は瞳に浮かんではいるが、それでも狩人の話を聞けるくらいには落ち着く事が出来た。
「そろそろこの村を出た方が良い。」
レティシアは、その言葉にこくりと頷いた。聞きたいことはいくつかあるが、今のレティシアには出会ったばかりの知らない男にペラペラと質問するほどの気力はない。
狩人は口数が少ない質なのだろう。今までの少ない会話でもそれが伺える。ひとつの言葉に対して、その理由などはほとんど言わない。つまり大抵の場合、結論しか言わない。
(……こんなに冷たい態度なのに、何故か、この人は大丈夫だって思える…。)
「立てるか。もし立てないようなら背負う。」
「……大丈夫です、立てます…。」
座り込み続けて、すっかり冷えてしまった身体は立ち上がると少しフラフラとする。泣き叫んだせいで喉が痛むし、頭も痛い。
思わず、酷い惨状であろう家を振り返りそうになって、レティシアは慌てて下を向いた。思い出すとまた涙が溢れてくる。父と母を得体の知れない何かによって無残に殺されたのだ。こんな僅かな時間で気持ちが整理出来るはずがない。
(でも……、それでも……。)
レティシアは狩人の方を向いた。
「あの……、お父さんとお母さんに、お墓…、作らないと……。」
震える声でレティシアはそう呟く。あんな残酷な最期だったのだ。せめて墓だけは綺麗なものにしてあげたい。
狩人は意外だとでも言うように、一瞬だけ目を見開くが、またすぐに元の無表情に戻った。
「構わない。お前がやりたいようにやればいい。」
それだけ言うと狩人は、ぐちゃぐちゃになった家の中へ入っていく。
やはり狩人の行動の意図は読めないが、狩人はやりたいようにやれ、と言ってくれた。レティシアはひとつ大きく深呼吸すると、近くにあった農具で穴を掘る。
ひとつ目の穴を掘り終わり、次の穴を掘り始めた頃、狩人が腸が飛び出た無残な状態の母の遺体を抱えて家の中から出てきた。
内蔵が零れて、腕も今にも外れそうな母を狩人は優しく、労わるように扱った。遺体と一緒に運んであろう白いシーツで母の身体を覆う。そして、狩人は一言、優しい声色でこう言った。
「……貴方の娘は無事だ。」
だから安心して眠って大丈夫だ、と。その言葉にレティシアは再び目が熱くなるのを感じた。それを隠すように奥歯を噛み締めて、穴を掘り続ける。
次に狩人は、扉の前に横たわる父の遺体を運んできた。ぐったりとした身体はとてつもなく重いだろうに、それでも狩人は父の身体をしっかりと抱え、母の隣に横たえて、シーツをかける。
「貴方は、本当に父親の鑑だな。」
狩人は父の遺体にも、そう声をかける。そしてゆっくりとレティシアの方を向くと諭すようにレティシアを見つめた。
「……両親はお前を助けたことを後悔なんてしていないだろう。お前の父親も母親も、お前に謝って欲しいなんて思っていない。」
無表情なはずなのに、狩人のその表情に、瞳に、溢れる程の慈愛を感じる。レティシアは力が抜けるように農具を放り出し、父と母に寄り添った。夜の闇に二つの白いシーツは浮かんでいるように見える。
「お父さん……、お母さん……。」
涙は溢れて止まらないが、レティシアは必死に笑顔を作って父と母に語り掛ける。最期に見るのが娘の泣き顔だなんて、きっと父と母は悲しむはずだから。ぼたぼたと涙が零れる。白いシーツに涙が落ちて、いくつもいくつも染みを作った。
「……守ってくれて、ありがとう…っ……」
レティシアはそう言うと、両親に優しく抱きつく。これが両親との最後の触れ合いだろう。そう思うと悲しくて悲しくて仕方がなくて、涙がとめどなく頬を伝い続ける。それでもレティシアは笑顔を止めなかった。
(お父さん、お母さん。今まで、ありがとう。……大好きだよ。)
出来上がったのは、墓標も何も無い、有り合わせの棒切れで作った十字架が建つ粗末な墓。
レティシアはそんな両親の墓に、傍に咲いていた白い花を供える。この白い花は美しいが、決して弱くない。きっと数年後には、この二つの十字を囲むようにして、たくさんの白い花が咲くのだろう。痛々しい最期の記憶が少しでも安らげばいい。そう思いながらレティシアは両親の墓に背を向けた。
「行くぞ。まだここには奴が戻ってくる可能性がある。」
「はい……。」
レティシアは狩人の後に着いて歩き出す。そしてレティシアは住み慣れたはずの村の惨状を見て息を飲んだ。襲われたのは自分たちの家だけでは無かったのだ。
この村は和やかで平和だった村だった。しかし今は違う。荒らされ、あちこちに村人だった肉塊が転がっている。あの「何か」に皆やられてしまったのだろう。
腹が裂けて肋骨が剥き出しになっている遺体。喉が大きく割れて今にも首が取れそうな遺体。顔が潰れて誰であったのかも分からない遺体。
それらが村中にゴロゴロとある。皆「何か」から逃げようと必死だったのだろう。村の中央の広場には小さな子供や若者たちの遺体もある。
「村を見て回ったが、生き残っていたのはお前だけだった。」
「……。」
「とりあえずお前のことは俺が保護する。その後のことは自分で決めて構わない。」
狩人はレティシアの一歩前を歩きながら振り返らずにそう言った。
レティシアは、ぐっと唇を噛み締める。生まれ育った村の全員、死んでしまったのだ。すると、ぐらぐらと腹の中で何かが煮えたぎり始めた。先程までは、父と母を失った悲しみや絶望、そして生き残った自分への怒りが渦巻いていたはずの思考に、何か別のものが焼き付く。
自分たちが、村の人達が何をしたというのか。こんなに残酷な最期を唐突に迎えねばならぬような事をしたとでも言いたいのか。あの「何か」が来なければ、自分たちは明日も笑って過ごせていたのに。
これは、憎悪だ。
狩人は、奴がまた来る、と言っていた。何をしに戻って来る気だ。こんな無残な村人達を更に弄ぶつもりなのか。
ぐるぐると思考が回る。考えれば考えるほどに「何か」への怨みが募る。
レティシアは口端を歪め、瞳を怒りで燃やした。
(……殺してやりたい。)
「……えっ…?」
自分自身の頭の中で紡がれたその思考にレティシアは驚愕し、思わず声が漏れた。
今のは、本当に自分が考えたことなのか。信じられない、とレティシア思うと同時に血の気が引いていくのを感じた。
「どうした。」
「……いっ、いいえ…なんでも、無いです…。」
突然、声を上げたレティシアを訝しげに見る狩人。レティシアは必死に浅くなりそうな呼吸を整えようする。
自分は、なんて事を考えてしまったのだろうか。本気で、心の底から、あの「何か」を殺したいと思ってしまった。先程の一瞬、レティシアは確実に憎悪に支配されていた。あの衝動のまま、動いてしまっていたら。そう思うと、まるで自分が自分では無くなったかのような恐怖に襲われる。こんな恐ろしい面が自分にあったなんて。レティシアは血の気の引いた顔で自らの両手を見つめた。
「ここからは馬で行く。」
狩人のその声にレティシアは、ハッと我に返った。辺りを見ると、もう村の入口まで来ている。ぼんやりと考え事をしていたから気が付かなかったようだ。レティシアはぐちゃぐちゃの思考を振り払うようにして頭を振った。
村の入口にある立て札に繋がれた茶色の馬は、レティシアの身体中に付いている血の匂いに少し怯えているようだ。しかし、狩人は怖がって後ずさりする馬に優しく声をかけたり、ぽんぽんと軽く撫でたりして落ち着かせる。その様子が家の馬小屋で馬を世話していた父の姿と重なりそうになって、レティシアは思わず目を逸らした。
しばらくの後、すっかり落ち着いた馬に狩人は、ひょい、と身軽に乗って跨った。そしてレティシアを片手で引き上げると、そのまま自分の前に座らせた。狩人はレティシアがしっかり座ったことを確認すると、後ろから腕を伸ばし手網を掴み、馬を走らせた。
生まれ育った村が、ものすごい速さで背後に消え去っていく。レティシアは何度も何度も後ろを振り返り、段々と小さくなっていく風景を目に焼き付けていた。
レティシアちゃんはいい子なので、自分が恐ろしい事を考えた、という事実が怖くて仕方ないんです。