第三話
ボーン、ボーンと腹の底に響く時計の音に耐えられずに、レティシアは時計の外へと這い出てきた。
光を失くし、ぼんやりとしたレティシアの目は何も映さない。ぴちゃ、と靴が血溜まりを踏む。どこを歩いても血まみれで、レティシアの茶色い皮の長靴はどんどん赤く染まっていく。暖炉の火が消えかけて薄暗くなった部屋にぴちゃり、ぴちゃりと血を踏む音が響く。
ふと時計の方を振り向くと、母だった肉塊が血溜まりにゴロリと転がっていた。腹は裂けており、飛び出した腸も千切れている。口と目を魚のようにぽかりと開けたままで、見ると腕も外れかけていた。そしてその傍には肉が付着したままの骨らしき残骸も散らばっている。
放心していたレティシアは、その光景を見て、我に返ってしまった。
「…っ、お母さん!!お母さん!!お母さん!!」
母のバラバラになった肢体に縋り付くレティシア。血溜まりに膝を付いて母の身体を揺する。起きないという事など分かりきっているはずなのに。
「お母さん!起きて…!起きてよぉ…、お願い、だから……!嫌だぁ!やだよぉ!…お母さん!お母さん!!」
レティシアは泣きながら血まみれの肉塊を抱きしめた。頬や髪や服に血が滴るのもお構い無しに。
そして、這うようにして扉のそばに落ちている父だったものの方へ近づく。レティシアは血溜まりの中を、ずる、ずる、と力が抜けて上手く動かない自らの身体を引きずって行き、もうひとつの肉の塊の傍らに寄り添った。
「お父さん…っ、お父さん……起きてよ……どうして、寝てるの…?お父さん、お父さん!!起きてよぉ!!お父さん…!!」
口の端から血を流して、苦痛に歪んだ顔のまま事切れている父にレティシアは何度も声をかけ続けた。
父の脚や腕は、おかしな方向に曲がっていて、骨が折れていることが一目で分かった。肘の部分から白い骨が皮膚と服を貫いて露出している。腹も変に潰れていた。腹の中で内蔵がぐちゃぐちゃになっているのだろう。
「…う……っ、おぇ……」
腹のそこから喉にかけて強烈な吐き気が込み上げてきた。レティシアはフラフラと立ち上がり、井戸の傍に歩く。
もう限界だ。井戸に辿り着く前に、レティシアは茂みに膝を付いて、吐いた。
何度も嘔吐くが、元々空っぽだった胃からはほとんど何も出てこない。
「……っ、ぅう、うあああああああああああっ!」
レティシアはその場に蹲り泣き叫んだ。自分の身を掻き抱くようにして、泣いて、泣いて、泣いて。
胃酸を吐き戻したせいで喉が痛むが、そんなのは関係ない。だって、全てを失ったのだから。今更、何があってもどうでもいい。
「お父さん…っ!お母さぁん…っ!あぁああああ…っ!」
一体、いつまでそうしていたのだろう。
気がつくと、縋り付いた時に身体中についた両親の血が乾いてこびり付いていた。かなり長い間、泣き叫び続けていたらしい。
(喉、乾いた……)
ぼんやりとした思考のまま顔を上げると、目の前に知らない男が立っていた。
月明かりに照らされる男は髪と同じ黒い瞳でレティシアを見下ろしている。
「……この家の者か?」
男の問いに、レティシアはこくりと頷く。前までなら、急に現れた知らない男に恐怖を覚えたかもしれない。でももう、何もかも失って、もう怖いものなど無くなってしまったようだ。
男は血まみれのレティシアを見ても、その他には何も言わない。
レティシアは、ぼうっとしながら男の姿を見つめる。最初は気が付かなかったが、男の腕には猟銃が抱えられている。猟師なのだろうか。
「……あの、貴方は、誰ですか?」
泣き叫んでカラカラになった喉からは掠れて枯れた小さな声しか出ない。すると男は、短く答える。
「狩人だ。」
決して大きくないその声は夜の闇によく響いていた。
レティシアちゃんは茶髪のショートボブってイメージ。ほんとに普通の女の子って感じの可愛い見た目。
狩人さんは肩につくかつかないかくらいの黒髪をハーフアップにしてるイメージ。