第五話
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セーナは桃色の髪のロネコと、雪のように白い肌のアイナルがいるリビングに戻った。
桃色の髪のロネコは「はあ」と恋する乙女のような甘いため息をついた。セーナは眉を顰める。
「どうしたんです、ロネコ」
「セーナにはわからないよ」
「冷たい言い方ですね。美しく、残酷で、無邪気で、恐ろしい。そう評されるロネコが、緩んだ顔でため息をつくなんて」
「確かに残酷とか、恐ろしいとか言われるよ。皆が怖がる。でも魔王様は怖がらない。圧倒的に強いから。そのうえ指導までしてくれる!」
「今まで指導してもらったことなかったんですか?」
セーナが聞くと、ロネコは攻撃的な雰囲気の白い顔に、嘲笑を浮かべた。
「私も昔は、魔法を教わったよ。でもどいつもこいつも恩着せがましかった。そいつらをすぐ抜いたら今度は嫉妬された。だけど魔王様は違う。そういえば、魔王様は一度、部下に光魔法を教わっていた」
「魔王様、結構平気で、部下に教えを請いますよね」
セーナはあきれた顔で言った。
「そのとき魔王様は、丁寧に礼を言った。今でもその魔族を、先生を呼んでいる。そういう腰の低さ、真の強者だけが持つ謙遜を、愛している。世界を手に入れても、全くおごることのない器の大きさも」
「愛しているって」
セーナは苛立ちを感じる。
「いいでしょう。側室候補なんだから」
「いやいや、それはどうかな」
「セーナ、何もわかってないな。魔力に関するあれだけ重要な研究を、側室にしない女に話すと思う?」
「魔王様はちょっと抜けてるので、たまに国家機密をランチのときしゃべっちゃってますが」
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カツ丼を千人前作り成長した魔王が、ファミレスの厨房でカツ丼小を作っている。四十過ぎの源一が、顔に少し驚きを浮かべ歩いてきた。
「魔王、やるじゃないか。今日はカツ丼では一度もミスがないな」
「はい! カツ丼のことなら任せてください!」
「ハハ! 心強いじゃないか! おっ、注文が一気に来たぞ。カツ丼大と中、親子丼中、あんかけチャーハン二人前、モヤシ炒め一人前、とん平焼き三人前だ。頼むぞ!」
「えっ、あ、はい!」
魔王は元気よく返事したが、十分後、源一にめちゃめちゃ怒鳴られていた。
「魔王! 何やってんだ!」
「申し訳ありません。注文が、分からなくなっちゃって」
「だったら伝票見ろよ!」
「その、見てるんですが、何が何だか、分からなくなって。同時にたくさんの料理を作った経験がなかったので」
「もういい! 俺に代われ! 全く! もたもたしやがって」
百八十センチを超える魔王が、おずおずどくと、源一は猛スピードで中華鍋を使いモヤシ炒めを作り始めた。
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魔王が2DKで、富士通のノートパソコンでアニメを見ている。心配そうな顔でセーナが入ってくる。
「ハハ、僕のヒーローアカデミアってアニメは、おもしろいなあ」
「魔王様。目が死んでますよ。どうしたんですか」
「簡単なことだよ。俺は、その気になれば、この地球の人類をみな支配下における。だがファミレスの厨房で、俺は無力だ」
「まだアルバイトを始めて二週間じゃないですか。注文がわからなくなるなら、時空間魔法を使い、時間を止めればいいでしょう」
「俺は、魔法がないと何もできないバカなのか」
「そんなこと言ってないですって」
そのときスマートフォンのアラームが鳴った。
「もうバイトの時間だ。行ってくる」
「そうだ! 配下たちを呼んで、激励してもらいましょう。暗い顔のまま行ったら、嫌がられます」
「その通りだな。出でよ、我が配下!」
大悪魔のルシファー、桃色の髪のロネコ、純白の肌に髪のアイナルが2DKに現れた。
「魔王様! 何か御用でしょうか!」
180センチを超えるルシファーが、元気よく尋ねた。
「うるせえな、声小さくしろよ。アパートだから苦情来るんだよ」
「すみません」
魔王に代わって、セーナが明るい声で「魔王様は、これからファミレスのバイトに行きます」と言った。
「そうだ、俺は行く。正直、つらいよ。でも頑張ってくる」
「みなで、魔王様を激励しましょう!」
セーナが笑顔で言うと、ルシファーが呆然とした。
「そんな! 魔王様は、ほんのわずかな魔力で、いくつもの世界を滅ぼせるお力をお持ちじゃないですか。その魔王様が、苦痛を感じるお仕事!? そんなものがあるのですか!? いったい、どれほどの悪魔が、そのファミレスとやらにはいるのです」
「ルシファー。俺を過大評価するな。俺は、雑魚だよ」
ルシファーは顔色を変えた。
「そんなことはありません! 魔王様が雑魚なら、私は何なのですか? ハウスダスト以下になってしまいますよ」
セーナが「さあ、魔王様に激励の言葉を」と言う。ルシファーが大声で「魔王様! 万歳! 万歳!」と叫ぶように言いだした。
「うるさい。下の階の人に怒られる」
ルシファーは時空間魔法でもとの場所に帰された。
「危険な戦いに行くから、魔力の秘密を教えてくれたんですか?」
アイナルが潤んだ水色の瞳を向けた。
「え? 魔力の秘密? なんのこと?」
「何も言わないのであれば、私たちは止めません!」
アイナルは瞳に涙をためた。
「よく分からないが、これから、料理を作る仕事に行くんだよ」
「私たちに心配かけないよう、そんな面白い嘘をついて」
「アイナル、俺は本当のことを言ってる。まあいいや。ロネコ、行ってくる」
「はい。魔王様であれば、必ず成し遂げられるでしょう」
「ありがとう、ロネコ。励まされるよ」
「壮大な計画の第一歩で、そこまで苦労されるのです、そうとうなものを手中に収めたいのですね?」
「いやロネコ、平凡な幸福が欲しいだけだ」