第10話 『今世の弟Ⅰ』
部屋の中央にあるソファーに座って、辺りをぐるりと見てみると天井に付きそうなほど大きな本棚があり、目の前の机には分厚い本が何冊も積み重ねられていた。
始めて見るお父様の書斎がなんだか落ち着かなくて、そわそわとドレスの裾を握る。しばらくするとようやくお父様が現れた。
「いきなり呼び出したりして、ごめんね」
そう言いながら入ってきたのは、灰色の髪に同色の瞳を持つ、ややたれ目気味な背の高い男性。私の父である。
「いえ、それであの……。お話と言うのは?」
お父様に呼び出されることは初めてだった。特に悪いことをした記憶もないし、なんで呼び出されているのか分からない。
なんとなく怖くて、恐る恐る尋ねるとお父様は人好きしそうな笑顔を浮かべた。
「大丈夫だよ。私はベルに怒ったりしないさ。ただ、少し言いにくい話でね」
言いにくい話? 悪いことをじゃないか。
思い切り顔をしかめると、お父様は優しく微笑んだ。
「ベル、君はたしか兄弟が欲しいと言っていたね」
「はい。言いました」
まだ王子と遊ぶ前は退屈で退屈で仕方なかったから、とにかく遊び相手が欲しかった。
随分昔の話だが、何回かお父様とお母様に兄弟が欲しいとお願いしたことがある気がする。
「それがどうかしましたか?」
「私も子供は欲しかったんだけどね。シリィは体が弱いから難しいんだ」
シリィとは、お母様のことである。確かにお母様は体が弱い。病気にかかってるとかそういうのは無いんだけどあまり体の負担になるようなことは出来ないらしい。
美しくて儚いお母様は、マジで怖い。王子の婚約者に選ばれるために私をしごいたのもお母様である。あれは鬼の権化だ。
ぶっちゃけ病気とかにも普通に打ち勝てそうだと思うけどなあ……。
夫婦仲は最高にいいので、お父様はお母様が心配なのかもしれない。私もお母様に元気でいて欲しい。
「ベルもお嫁に行くだろう? そしたらタイバス家は私の代で終わってしまう」
「そうですね……。でもどうするんです? お母様はもう子供は産めませんし、私に兄弟はおりません」
「そう、そうなんだよ」
そう言ってお父様は嘆くように手を額に当てた。チラチラと私を伺うように横目で見るけど、図体のデカイお父様がしてもさほど可愛くない。
「言いたいことがあるのなら遠慮なく言って下さい」
痺れを切らしたのは私の方で、今もなお横目で私を見てくるお父様を鬱陶しく感じてしまった。その言葉を待ってましたと言わんばかりにお父様はぱっと顔を上げる。
「実はね、養子をとることにしたんだ」
「……養子?」
お父様の言葉を理解するのに数秒かかった。
「そう。遠い分家の子なんだけど……。あ、もちろん男の子だよ」
仲良くできる? とお父様が私に尋ねた。
私が王家に嫁ぐ(予定である)以上、養子の件については私が口をはさむことはできない。私が将来当主になってもいいんだけど……。王子に婚約破棄された令嬢が当主なんて、タイバス家を潰しかねない。
だったらこの先も生き残るために次期当主が必要だろう。
「もちろんです、お父様。次期当主様ですもの。仲良くいたしますわ」
「そうか、良かった。これから一緒に住むことになるからね。仲良くしてもらわないと」
お父様は安心したようにほっと胸を撫で下ろした。
「その方は私の弟になるんですか?」
「そうだね。一つ下だと聞いているよ」
今世でも弟。それも一つ下。
前世の弟と全く同じじゃないか。
頭に浮かぶのは金髪で目付きの悪いヤンキーである。
取り敢えず、"お姉さま~!"って言いながら私の後ろをついてきてくれるような可愛い弟がいい。もう生意気なガキの面倒は前世でたくさんしたから十分でしょ。
「とっても楽しみです!」
「一か月後くらいにうちにくる予定だよ」
興奮で頬を紅潮させながら、お父様の部屋をあとにした。
◇◆◇
いつも通り、私の手に残るのはジョーカー。
「うふふ」
「負けたのに嬉しそうだね」
今日も今日とて負けたというのに、私は頬をゆるゆるにさせていた。
王子がむっと眉を寄せる。
「ベルが悔しがってくれないと全然面白くない」
「王子は私のことなんだと思っているんですか」
「あの、もうトランプ止めません? 飽きました」
なんかひどい言われようだけど今日は許してやろう。私の機嫌がいいからね!
ため息をつきつつも、鼻歌混じりにトランプを片付ける。箱に入れたところで、二人とばっちり目が合った。
「なんですか?」
「なんか、今日のベル変だよ。悪い意味で」
「え、悪い意味でですか?」
「ずーっとにやにやしてるし」
「うっ」
慌てて手で顔を隠す。
私、そんなに変な顔してた!? やばい。恥ずかしい。
さっきからシュヴァルツの冷ややかな目線が気になってたけど、それは"うわぁ、なんかこいつ、にやついてる、キモい"ということだったのか! シュヴァルツなら絶対思ってる。口にも顔にも出さないだけで。
みるみるうちに顔に熱がたまって赤くなる。ちらりと王子を見ると、満足そうに笑っていた。
この人絶対私のことからかってるよね……?
「ディラン様、あまりベルティーア様を苛めてはいけません」
「だって、ベルが笑ってばっかでつまらない」
「まぁ、確かにあのしまりのない顔は止めて欲しかったですけど」
グサッと何かが私に刺さった。シュヴァルツ君。君は思っていても口にも顔にも出さない紳士じゃなかったのかい?
撃沈した私を見て王子が笑いながら口を開いた。
「で? そんなに顔がゆるゆるになるほど嬉しかったことでもあったの?」
「そうなんです!」
重たいオーラを霧散させて椅子から立ち上がった。王子もシュヴァルツも引いたように身を退く、が、気にせず続けた。
「実はですね、私に弟ができるんです」
「弟?」
王子は驚いたようだったが、すぐに優しく微笑んだ。私を嘲るときとはえらい違いだな。
「そっか、タイバス夫人に子供ができたんだね。おめでとう」
「おめでとうございます」
「あ、違います。養子なんです」
なんか、すごい祝福してくれてるけど違うんだな、これが。お母様は体が弱くてもう子供を産めないから。というか、お父様が産ませないんだろうな。
「養子? ああ、後継ぎですか?」
「はい」
「へぇ。ちなみに血縁関係は?」
「えっと、お父様の従兄弟の子供の従兄弟らしいです」
ぶっちゃけあるかないか分からない血縁で継がせていいのかって思うけど、血縁の近い人達は自分の子供を預けようとしなかったらしい。
タイバス家は歴史が長い分、家族愛がすごい。先祖からずっと家族で支え合って生きてきた習慣が未だに残っている。そのため、滅多なことがない限り子供は他所にやらない。
ちなみになぜ私が王族のお見合いに送り出されたのかと言うと、タイバス家は自分達より長い歴史を持つ王族には忠誠を尽くしているからである。自分より長くその群れにいたらボスみたいな感じだろうか。
つまり、血縁が遠くなれば遠くなるほど血に刻まれている家族愛も薄くなる。新しく加わる家族に私がこれほど浮き足だっているのも、この血のせいもあると思う。
「その子が来たらここに連れておいでよ」
「え?」
王子から有り得ない言葉が飛び出した。王子直々に許可を下した? 彼はあまりここに人を連れてくるのを好まないようなので、拒否されるとは予想していたんだけど。
説得しようと思っていたのだが、その必要はなかったらしい。
「ディラン様、いいのですか?」
シュヴァルツも驚いたように王子を見る。王子はにっこり微笑した。
「いいよ。だって、義弟くんと仲良くならなきゃ」
王子が自分から仲良くなろうとするなんて! この半年で立派に成長したんだなあ。私と、王子と、シュヴァルツ。新しい弟もきっと仲良くできる。
四人になったらトランプももっと面白くなるだろうな。最下位からの脱出ができるかも。あ、でもここは姉として勝ちを譲るべき?
遠くない未来を思い浮かべて静かに笑った。




