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遥か彼方の異世界へ  作者: 岡崎順平
8/11

美波高校の朝はいつもと変わらぬ朝だった

 西暦2019年5月7日。


 平成最後であり令和最初でもある長い長い10連休の最終日の朝も、結局いつもと変わらぬ朝だった。日の出の時刻は4時42分と昨日に比べて1分だけ早くなった他は一昨日や昨日と同じように、4時42分に太平洋側から昇ってきた太陽が11時40分には南中を迎え、そうして18時半になれば東京湾へと沈んでいくだけだ。


 夕方に高坂美咲と会う予定がある事に少しばかりの高揚感がある他は、何の変哲もない日常の始まりだった。それに、彼女と会う約束をしている夕方になるまでは、部活動という一仕事を終えなければならなかった。


 5月7日の朝は6時半に起きた。僕はけたたましく鳴り響く目覚まし時計の音によって、目を覚ましたのだった。ただ、覚ましたと能動的に書くよりかは「目覚めさせられた」と受身の状態で書くべきだろうか…とも思った。


 起きたくない、眠っていたい、もっと寝かせてよ。ワタシは美しい森の眠り姫…だからもっと寝かせて、なんて戯言が頭の中をぐるぐると駆け回る。それは出口のない閉塞的な空間の中にあるループ状の道をひたすら走らせられるかのようでもあるし、朝から晩まで飼い主に籠の中にある滑車を廻すことを強要された哀れなハムスターのようでもあった。


 そして、そんな戯れ言が頭の中を駆け回っているという事は、まだ完全に目が覚めていない証拠なのだと、僕は思った。



 だけれども、その証拠と言うものは自分の内面に存在するものなのだから、言語化を行い、誰かにそれを示し「自分が眠い理由はこれです」なんて説明することができたとしても、それを他者から完全に理解して貰うことは難しい。

 自己の内面に存在するものは、いくら自分がそこに横たわっているという感覚を味わったとしても、その存在は自分本人しか認識できていないのだから誰か第三者と完全に共有することはできないのだ。



 目覚まし時計の音はまだ鳴り続けている。とりわけ何か特徴的な音色を奏でている訳でもなく、何か素敵なメロディとかが流れたり、自分の名前を呼んでくれたりするわけでもない。無機質な、ただひたすらに無機質で味気のない電鈴ベルのジリリリリッ、という音が成り続けるだけの、なんの面白みもない目覚まし時計。


 小学校に入学するときに父親が買ってきてくれたもので、もうかれこれ10年は使っていることになる。一度だけ電池が切れて交換した以外は特に動作不良等があるわけでもなく、時刻がずれることもほぼなく、電池持ちも良いようで毎日しっかりと時を刻みながら動き続けている。刻み続けていたらもう令和になっていた。


 僕はまだ寝ぼけており、ぼんやりとした状態のまま、おおきなノッポの古時計~と口ずさみながらベッドから出た。頭をぽりぽりと掻きながら勉強机の上においてある目覚まし時計のボタンを押して鳴動を止めた。


 時計の針は午前6時35分を指している。2階にある自分の寝室から一階のリビングに降り、顔を洗って口を濯ぎ、そうして眠気を覚まそうとした。


 兄貴はまだ寝ているようだ。昨晩あんなに遅い時間まで騒いでいたのだから無理はないが、巻き込まれた側としては本当にいい迷惑だった。


 キッチンのある台所まで行って、やかんで沸かしたお湯でインスタントのコンスープを作り、オーブントースターで食パンを二枚焼いた。それは飲むヨーグルトで流し込んだ。まだ頭はぼんやりとしていた。


 昨晩の0時頃から今朝の6時半過ぎまで6時間程度は布団の中に潜ってはいたのだが、しかし何度も目が覚めてしまい、充分な睡眠とは到底言えるものでは無かった。


 食事を終えて、洗面台にて歯を磨き、そしてトイレを済ませた。そしてまだ出かけるまで時間があるのでリビングでテレビを眺めていた。特に見たい番組がある訳ではないのだが、他にやりたい事もない。


 朝のニュースが、今日は10連休の最終日なので近場の行楽地は混雑することでしょうと予測をしていた。そして僕はとりわけ有名な行楽地にはどこにも行けずに10連休を終える事でしょう、と呟いた。


 テレビ画面を眺めながら、ふと何かを思い出したかのように着ている寝間着を脱いで、制服の濃いグレーのスラックスを履いて、上半身にはYシャツと学校指定のネクタイを着用した。まだ着替えていなかったということをすっかり忘れていたのだった。


 本日は5月の7日、10連休も最終日ですね、天気は夏日になる見込みです。最高気温は29度にまで昇る見込みで…とテレビから聞こえてきた。校則ではまだ冬服着用期間でブレザーの上着を着用することが正装ではあるのだが、5月に入れば誰一人としてそんな規則を守っている者はいない。僕も暑い日には上着を着ようとは思えない。だけれども、まだこの季節は夜になると少しばかり冷え込むので、ブレザーの上着は着用はせずとも持ち歩くようにはしている。


 ああ、こんな初夏のぽかぽか日和は半袖の過ごしやすい服装になってどこか自然豊かな行楽地へと出かけたいのだが、それは叶わぬ夢だと思いながら家を出た。時刻は7時半を少し過ぎていた。


 家のすぐ目の前にある児童公園では近所の老人たちがラジオ体操に励んでいて、もはや骨と皮と化したかのような老体とコンパスのように細い手足で元気に跳躍をしていた。老人たちが何人も集まってあまりに高く跳躍をしているその光景は圧倒させられるものがあった。地が轟く音が聞こえるようだった。たぶん、体育祭の最中の高校生なんかの何倍もの元気と活力が漲っていると思った。さすが、こりゃ長生きするものだ。



広場の真ん中に置かれたラジカセからは「ラジオ体操の歌」が響きわたっていた。


新しい朝がきた希望の朝だ


喜び胸に開け大空仰げ


 新しい朝は来たけれども、この曲を耳にする度にこれのどこがどう希望の朝なのだろうかと僕はいつも疑問に思っていた。いつもと何も変わらぬ退屈で息苦しい「日常」がただ始まるだけじゃないか、と心の中で悪態をついた。


 だけれども、心の中ではいつもそう悪態をついても口に出した事は一度もなかった。そんな事を誰かに言ったところで日は確実に東から昇って西へ沈むのだし、四季は移ろい行く。そしてどれだけ月日が過ぎようとこの退屈な日常は何一つ変わらない。


 駅前駐輪場に我が愛車を停めると、自宅の最寄り駅を7時47分に出る列車に乗った。列車は座席がほとんど埋まっている程度の混雑であり、僕はドアの直ぐ真横に立って窓の外を何気なく眺めた。蘇我で列車を降りて電車に乗り換えた。比較的空いている先頭の車両には幾つか空席があって、僕はそのうちの一つに腰掛けてから目を瞑った。降りる駅までは10分くらいあるので、少しばかりうたた寝したいと思ったのだ。


 そういえば、ずいぶんと不思議な夢を見たような気がする。その夢がいつの時代のものであるか明確には分からないが、遠い未来の出来事のように思える。しかし、何故か分からないが、その夢の中で僕は中学校の制服を着ていた。


 不思議な事に、僕は核戦争で崩壊した東京の街を彷徨い歩いていた。もはや都市機能は麻痺をしており、法も秩序も無ければ文明さえ滅びてしまっている。そんな中、とある街だけは核の汚染も受けておらず、都市機能も継続的に機能しており、その街に行けば食糧も生活用品も手に入ると言った噂を聞きつけた。そして何人かの仲間を募り、既に電車も走っていない地下鉄の遺構を辿りながら向かったのであった。


 ようやくたどり着いたその街では、確かに都市文明が崩壊せずに残っていた。遥か遠くへ霞むように見えるスカイツリーも傾きさえしているものの、その傾きは北側に向かっているため、たとえ倒れたとしてもこの場所には何一つ被害を及ばさないだろうと思った。ここは核戦争後の崩壊した世界の中で唯一存在するユートピアなのであった、と言う設定の世界観であった事は確かなのであるが、そこから先はどのような物語が展開されていたのかは思い出す事ができなかった。


 目を覚ました瞬間に記憶から消え去ってしまって、心がどこかに取り残されてしまっているような感覚を覚えたような気がした。ただ、思い出せるのなら思い出したいが、そう無理して思い出そうとしなくても良いとは思う。本当に大切な記憶は忘れずに残り続けるし、いつか気が付いたときに記憶の片隅からハッキリと現れてくるのだと思っている。


 稲見海岸いなみかいがん駅を出たところで目を覚まし、久美川浜くみがわはま駅で電車を降りた。


 京葉線の久美川浜駅を出て、オーシャンマリンロードと名付けられた大通りを海岸へと向かって歩くと、僕の通う千葉市美波区立“美波みなみ高等学校”が見えてくる。ここは全国でも類を見ない、政令指定都市の一行政区が運営を行う形態の公立高校である。


「希望ある未来の千葉市の姿を描いていただくとともに、その実現に向けて様々な活動に参画していただくための知識を身に付けリーダーシップ溢れる若者を育成するために、これまでに無かった形態の高等学校を設立することが求められる。そのため、県立でも市立でも私立でも無い、地域に根付いた政令指定都市の一行政区に運営の全権を委任する『区立高校』を設立することが求められている」


 若きホープとして名を馳せた籠原市長の鶴の一声で、2011年に設立された区立美波高校は、区域の100パーセントを埋め立て地で形成された千葉市美波区の磐辺町に位置し、JR京葉線の久美川浜駅から歩いて15分ほどの距離にある。便利とも不便とも言い難いが、駅から歩くことが可能なだけまだ良い方なのかもしれない。創立してからまだ10年も経っていない、歴史が浅い学校で、偏差値は可もなく不可もなくといった中堅から自称進学校レベルの学校だ。


 進学実績は名門進学校レベルとはとても言い難い。創立以来、旧帝国大学の流れを汲む国立大学への進学実績は数人程度だし、成績がトップの生徒であっても良くて駅弁と言われる地方国立に受かるのが関の山、早慶などに受かれば学校全体の注目を浴びるだろうし、成績上位者はだいたいG-MARCHと呼ばれるレベルに行くくらいだった。大抵は日東駒専や大東亜などの学校群に行く生徒が殆ど、専門学校へ進学する生徒や高卒で就職をする生徒もいる。生徒の学力レベルはピンからキリまで幅の広い学校だと言えた。


 学力がパッとしなければ部活動が盛んと言うわけでもない。夏の高校野球では毎年一回戦敗退ばかりだし、その他の部活動の成績もさして良くはない。それどころか他の高校に比べれば帰宅部の割合はかなり高いと言っても過言ではない状況だ。


 ただ、そんな悲惨な部活動の実績にパッとしない進学状況とは言えども、この少子化の世の中で区立美波高校の偏差値や難易度、受験倍率は年々増加をしている傾向にある。いや、それはここだけの話ではない。美波区内に位置する公立高校は不思議とどれも似たような状況にあった。


 市立高校と県立総合高校は県内でも飛び抜けた部活動の成績で名を知られているのだから別としても、久美川浜駅を最寄りとする区立美波高校、県立花見川高校、県立下総西高校、県立磐辺高校の4校は、進学実績も部活動もパッとしない割には入試の倍率が年々上昇中をしていた。どの学校も校則そのものは厳しいと言えるものだが、全て有名無実化している。そういった点で言えば、とても緩い学校だ。


 その緩さ…よく言えば“生徒の自主性を尊重する環境”も特色の一つなのかもしれないが、敢えて他に学校の特色を挙げるとするならば、海岸線沿いという立地が故に、学校前のヨットハーバーを利用した全国的にも珍しいカヌー部が存在するといったくらいだろうか。隣の磐辺高校にはヨット部があるため、対抗してカヌー部が設立された。あとは、海の見える教室という開放感溢れる環境も挙げられる。



 目の前に広がる光景は人工的に埋め立てられた土地のそれではあった。しかし、埋め立てられたとは言えども、果てしなく続く水平線を織りなす海の美しさは変わらない。僕は、校舎の5階から眺める海の景色がとても好きだった。


 中学生の頃、学校見学会でこの風景を眺めた瞬間、まるで心の隅々にまで激しく電流が流れたかのような刺激を覚えた。燦々と降り注ぐ太陽の光が水平線に反射していた。沖合にはどこか果てしなく遠く遠くへ向かうだろう貨客船が何隻も行き交っていた。大きく弧を描いた房総半島の付け根の方まで陸地が見渡せた。それから、対岸の東京や神奈川の土地もぼんやりとだが見えた。夏の太陽に全てが眩しく照らされていた。


 あまりにも美しくて、思わず見とれてしまった。それがきっかけで、僕は区立美波高校に入学を決めたのだった。僕がこの区立美波高校に入った理由はただそれだけだった。別に校舎から海が見えれば市立高校でも磐高でも西高でも何でも良かったのだ。


 校門を抜けると、後者の外壁に取り付けられた時計は8時20分を少し過ぎていた。


「おい、直っち。おっはよ~」と後ろから声をかけてくる男がいた。


 僕がふと振り返ると、そこには同じクラスでもあり同じ部活動の同期でもある北山貴浩きたやまたかひろが立っていた。北山貴浩は僕とはまるで真逆な人間だった。身長は170センチにギリギリで満たない僕よりは10センチ近く背が高くてスタイルは完璧であったし、顔立ちだってとても整っていた。髪の毛は少し長めにしていて若干染めているのがお洒落に見えたし、もし僕がそれをやってもイキリオタクみたいで滑稽になるファッションスタイルをごく自然に身に纏っていた。


 成績は上位で部活動にも真面目に参加をしている、端的に言えば「優等生」の典型例であって、こんな模範生が僕のような劣等生と密に関わろうとするのが分からなかった。一度それについて疑問をぶつけてみた事があるが、彼曰く「女子ばかりで男子の少ない部活動なんだから、そこにいる男同士仲良くしようぜ」との事だった。


 それに、最低限の練習しか参加せず部活動をサボりがち(それ以前に学校も休みがち)だった僕にとっては、北山貴浩のような優等生が近くにいるとなんだか安心できたし、彼のおかげで周りの人間も(裏では何を言っているのかは分からなかったが)表立っては僕へ悪罵を投げつけてくる事はなかった。


 校舎に足を踏み入れ、階段を昇って行くと、北山貴浩はいつものように世間話を始めた。


「なあ。直っち、聞いてくれよ。昨日は練習が無かったから佳子と遊んできたんだけどさ、それがめっちゃ大変だったんだよ」


「あぁ、昨日は加古川さんと遊んできたのか」と僕は言った。


 加古川佳子かこがわかこというのは僕らと同じ部活動に所属している2年生の女子で、北山貴浩の恋人でもあった。彼女もまた僕とは異なり、スクールカースト上位層に位置する生徒であった。顔立ちの良さを際立たせる薄化粧、短めのスカートから見せる白くすらっとした脚、煌びやかな容姿は典型的な青春を謳歌するJKそのものであった。そして時々、まるで冬眠開けの小動物かのような生命力溢れる瑞々しい表情を見せ、男子だけでなく女子からの人気も高かった。


 多くの男子生徒は一度は加古川佳子と交際することを夢見ていただろうし、その恋人である北山貴浩に嫉妬をした者もいたと思う。だけれども、僕は彼らの気持ちはよく分からなかった。僕にとって加古川佳子は少しばかり苦手な存在だったからだ。


 北山貴浩と加古川佳子の関係性はとてもオープンなものだった。常に二人きりでいたいという願望はそこまで強くなかったようで、僕を含めて三人で過ごすこともしばしばあった。僕は学校で話す相手と言えば北山貴浩くらいだったし、それ以外に話し相手がいなさそうな僕に気を遣ってか二人はよく相手をしてくれた。夏休みなどには一緒に出掛けたこともある。それはとても有り難かった。だけれども、彼女がその可愛らしい頭の中でいったい何を考えているのかは僕にはさっぱり理解できないところもあって、それが僕をとても困惑させたし苦手意識を持つ部分でもあった。


 彼女は僕の顔さえ見れば度々、「先輩、部活動にはしっかり出てくださいね。本当に最低限の練習にしか参加していないじゃないですか。もっと周りとの協調性を持って参加してください」と諭してきた。そして、その度に僕は辟易とさせられた。


 確かに彼女の言うことは正論だった。だけれども僕には僕の事情もあった。そしてそれについて説明しようとはした事もあるけど、やはり説明したところでどうしようもないだろう、との思いもあった。


 加古川佳子から「部活動にはしっかり参加してください」と言われる度に僕は何も言い返せなかった。いったい何が言えるだろう?一番手っ取り早いのは退部届を提出してこの部活動を風と共に去り行く事ではあったが、3年生の1学期までは全生徒は何かしらの部活動に所属することを義務づけられているし、他に移りたい部活なんて無かった。


 だから彼女の言うことは適当に受け流して怠惰な活動を続ける他なかった。部長をはじめとして、副部長である北山貴浩も顧問の教諭も僕のサボり癖には諦めてもう何も言ってこなかったのだが、加古川佳子だけは粘り強く言い続けていた。そして、そこまでの熱意が僕には理解不可能であった。


「ところで、昨日は加古川さんとどこへ行ったんだ。Instagramにはタピオカの写真が載っていたが」と僕は言った。


「千葉駅のペリエに新しくできたタピオカ屋があるじゃん?あの有名な。佳子がそこにどうしても行きたいって言うから二人で行ってきたんだよ。いやあ、疲れたよ。2時間も並んだんだぜ」


 タピオカを飲むためだけに2時間と考えるだけでそのとてつもない待ち時間に目眩がしてきた。確かにそのタピオカ屋は流行などには疎い僕も興味を持っていたし一度は飲んでみたいとも思ったが、さすがに2時間も、それも加古川佳子と一緒に並ぶと考えただけでげんなりする。


 きっと、3分おきに「先輩、部活動にはきちんと出てくださいね」と繰り返されながら2時間を過ごすことになるだろう。胃に穴が開いてそこからタピオカの粒々が流れ出てきそうだと思った。


「北山くんっ、おはよ」と後ろから透き通るような女子の声がした。噂をすれば何とやら、振り向くとそこにいたのは加古川佳子だった。彼女は一つ年下ではあるが、北山貴浩のことは「先輩」では無く「北山くん」と呼んでいた。彼もそれを認めているのだろう。


「おはよ~」と彼は返した。小声で「今日も可愛いね」と言っているのが聞こえた。なるほど、高校生カップルのコミュニケーションとはそういうものなのだろう。感心していると、加古川佳子はその隣を歩く僕の方に目を向けた。


「あっ、先輩。おはようございます。今日はきちんと来ているんですね。感心です」と彼女は言った。いちいち嫌みったらしさがある奴だ、と僕は思った。一言余計なのだという自覚はあるのだろうか、と彼女の顔を見る度に憤慨したくなる。ただ、北山貴浩の手前そんな事は口には出せない。


 階段を昇って校舎の5階まで辿り着くと、窓の外にはいつもと変わらぬ海の景色が広がっていた。どこまでも碧くて、瑞々しく煌びやかな陽光を鏡面のように反射させていた。入道雲が水平線の上を蟠っていて、それはもうすぐ訪れる夏を想わせた。何にも語りかけてはこない水平線と五月の空は、僕の好きな美波高校の景色だった。





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