玉依の遡行 foster 鞘 × 貳
「あら 玉さま、随分とお早いお帰りですこと。 何かお忘れものでも?」
櫻子がそう声をかけた先には、「あ゛?」という顔をした黒猫一行。
だが、ここに居並ぶ面々から より多くの注目を集めたのは、誰あろう櫻子自身であった。
「あらぁ… やっぱり櫻子ちゃんったら…… 」
「えーと… 櫻子さん? この玉依さんはですねぇ、もう既に何処かで10年の歳月を過ごし、ひと仕事終えてこられた後の玉依さんなのですよ?」
瑞穂と槍慈が それぞれにそう声をかけ、櫻子への説明を施してやる。
そうでもしてやらないと、可愛い孫娘に刺さる周囲からの視線とこの空気感が、痛々しくて見ていられないではないか。
或いはまた、せめて櫻子の方でもここで最低限の機転を利かせて ―――
「ほ… ほほ、じょじょ… 冗談ですわよ」
… などとでも言えていれば、そのような言は誰一人信じはしないものの、取り敢えず この場に集っているのはいい大人たちばかりということもあり、幾何かの乾いた笑いくらいは起こせたのであるが…。
しかし実際の櫻子はというと ―――
「え… えぇぇぇ~!!? そそ… そうなんですのぉ~~~!!!?」
… と、時 既に遅く… もう盛大に叫んでしまっていたのである。
「はぁぁぁあ…。 なぁ櫻子よ――― 相っ変わらずオマエは、本っ当に地に足が着かんと言うか… 解っとらんのだにゃあ…… 」
本来であれば、さほど表情が見えないはずの黒猫の顔が、この状況下ではあからさまに残念そうに見える。
すると横から、まるで助け船でも出すようなタイミングで、か細く幼い声がかけられた。
「えと、さ…櫻子お姉さま… 大変ご無沙汰を… いたしております……。 その節は、その… 大変おさわがせを…… 」
そう声を発したのは、件の『亜空間坊主(仮)』たる、弓弦似の謎少年であった。
彼は、この部屋の時間感覚でいうところの『つい先程』まで、伸び過ぎた髪に汚れた衣服、そして会話すらも儘ならない程の『未確認問題児』状態であったのだが ―――
玉依らと時間遡行を行なって何処かの地で10年… その年月分の様々な学習と経験を積み、ある程度は人がましい知識や所作、そして それに伴う言動の機微などをしっかりと身に付けてきたのであろう。
まだ緊張のせいか、多少の辿々しさは見られるものの、言葉や目線の動きなど、意思疎通を図るに充分足り得る空気感を纏っている。
また衣服の方も旧名家の親戚筋らしく、華美に過ぎず仕立ての良い 落ち着いたものを身に着けており、先刻とは見違えるようだ。
こういった如才のない差配を そつなくこなせてしまうあたり、こうした方面での玉依の実務遂行能力は、やはり流石と言うべきであろう。
「あの、えと… あ、他の皆さま方も… ぉ…お元気でしたでしょうか……。 その、ご…ごきげんよう…… 」
「ふん… おい鞘よ、コイツらは当然『元気』に決まっておる。 何故ならばにゃあ、歳月を過去に遡ったワガハイらにとっては10年も前のことになるが ――― しかしここでは、ワレらがあの日この部屋を出た、そのほんの直後でしかにゃいのであるからして」
玉依が言うように、この少年が今後『櫛名田家の縁者』として生きていくための『お膳立て』にかかった歳月は、ちょうど丸々10年。
だがそれは実際の時間軸からすると、『時間遡行』という裏技を使うことにより、ほんの一瞬で済んでしまったことになるのである。
まぁ、そのあたりの時空感覚的な理解は、取り敢えず 櫻子以外の者たちには、全て認識・共有されているのであるが。
「玉依様、大変お疲れ様でございました」
… と、執事の龍岡が恭しく頭を下げ、労いの礼を執る。
玉依はそれに軽く頷いて応え、また同行していた兎城准尉と猪去伍長は、直属の上官である龍岡に対し、軍人らしい所作で帰隊の礼を返していた。
そんな、ある一定の儀礼や秩序が室内の空気感を引き締めている中、弛緩しきった感情をだだ洩れにしている者が一人…。
それは誰あろう、このところ自らの株を盛大に大暴落させ続けている、当家令嬢の櫻子である。
「 ――――――!!? は…… ぁ…ぁあぅ… はぅ…… はわわわゎわ…… 」
… などと独り意味不明な声を漏らしつつ、少年の方を震える手で指差しながら、今にもその場にぺしゃりとへたり込みそうになっている。
「あの… 櫻子お嬢様、如何なされましたでしょうか?」
それを見かねて、取り敢えず龍岡が声を掛けるが ―――
「ぉおぉぉ… おぉか… おか…… お可愛いらしぃぃいーーー!!!? ぅう… 美し…… とと… 貴くて…… 尊過ぎる… こと… ここ、この上もなく… くくくくく…… 」
どうやら、櫻子の株は底値を更に下方へと大幅に更新し、この先どこまで落ち込んでいってしまうやら見当もつかない。
そんな彼女の奇態な様子に ―――
「ぅお!? びっくりしたぁ…。 え、にゃ…何だぁ? 一体どうしたというのだ、櫻子のヤツは…… 」
… と、そのあまりの異様さに気付いた玉依も、彼にしては珍しく驚き狼狽えた様子を見せ、瞬時に跳び下がり 毛を少しく逆立てた程である。
「たたた… 玉さま!? ココ… コチラの方は、ぃい…いったい…… 」
「はぁ? いや、状況的に解るであろうが。 えーっと、アレだ…… 例の『亜空間坊主(仮)』だよ。 あ、『元』の… にゃ?」
玉依はそう言って少年の顔を見上げると、彼もそれを受け、改めて皆に向かってちょこんと頭を下げる。
すると その姿を見留めた槍慈が、カウンター内で珈琲豆を焙煎する手を止めぬまま、玉依に向けて問う。
「ほう… やはり10年の歳月を経ても、年齢的な外見はそのままでしたか」
「ああ… 庭に居る、例のワニ公と同じだにゃ。 … で、あろう? 鹿沼よ」
玉依はそう言うと、後ろに控えていた鹿沼医師に向かって首を ひょいと捻り見上げる。
「ええ、まぁ そうですな。 因みに、髪や爪はちゃんと伸びますし、暑い時には汗をかき、また怪我をした際など、出血はしないものの… 驚いたことにしばらくは痕が残るなどの外見的再現も成されます。 ですがまぁ、やはり基本的には『亜空間の変異体』であり、通常の生き物とは異なりますのでねぇ…。 まぁ 謂うなれば、巧妙精緻な擬態… とでも言いましょうかな」
そんな大人たちによる、自分の『体質』についての会話を聞き… 少年は少しく居心地が悪そうに足をもぞもぞさせると、表情は変わらないものの その顔をやや俯け、黙って自分のつま先を見たりなどしている。
そんな様を見て、櫻子の祖母である瑞穂は ―――
「ま… まぁまぁまぁ! とぉってもご立派におなりねぇ、ボクちゃ~ん? もぉ、見違えたわぁ… ワタシ びっくりしちゃった~、素敵♪」
… などと努めて明るく、嬉々とし感動の面持ちという体で声を上げた。
それに対して、玉依も少し自慢げに応える。
「ふふん… だろう? まぁ 取り敢えず紹介するとだ、コイツは『亜空間坊主(仮)』改め、櫛名田 鞘という。 ワガハイがこの10年、みっちりと仕込んでやったからにゃ。 言葉は勿論のこと、大抵の常識や知識は しっかりと身に付いておるぞ。 まぁ、適当に仲良くしてやってくれにゃ」
今朝までは全く以て得体が知れず、その扱いに一族をあげて困惑し持て余していた『亜空間坊主(仮)』が、今は利発そうな『旧名家親戚筋の少年』に大変身して戻って来たのだ。
玉依も、その『出来栄え』に余程の自信があるのか、どこか誇らしげで得意満面な様子を見せている。
「鞘です。 あの… どうか、よ…よろしくお願い… いたします」
だがやはり、特に尋常でない昂ぶりを見せているのは ―――
「はは… はいぃぃい! もも… もっちろんですわぁ!! ねぇねぇ 鞘くぅん、どうかワタクシ… この櫻子と末永ぁ~く、仲良くしてくださいな♪」
「え… あ、はい。 ぃ…いろんなことを… その、たくさん教えていただけると… ぅ…嬉しい… です……。 さ…櫻子 お姉さま…… 」
… と、さすがに若干 狼狽え気味の鞘。
しかしまぁこれも、玉依や槍慈などにしてみれば、『一般的な常識行動に照らした場合の異常者の検知』や、またそれに伴う『危機察知能力』、そして『恐怖感の自覚とそれを抑え隠す処世能力』などがきちんと備わっている証左… とでも考えるのであろうか。
だがしかし ―――
「くぅっはぁぁぁあ!! ょよ… よき…… 佳き善き良き酔き…… もぉ大っっっ変に、好きですわよぉ~、鞘くぅ~ん!!! あは… あっはは、あはぁ…… うっふふふ…… ぶふぅっ! じゅ… じゅるり――― 」
………………………… 。
これは周りの大人たちとしても、健全な育成環境の保持に最大限努め、また同時に 幼気な少年の身を、しっかりと護ってやらなければならないであろう……。
そうした意味で、今日この場において鞘と櫻子を衆目の前で引き会わせられたことは、図らずも、その反応や影響… そして大いなる懸念を皆で認識・共有できたということであり… その点において、大変に有意義なことであった。
それはつまり、今後の鞘との健全かつ友好的な共存関係を満たし永続させていくための、重要不可欠な通過儀礼であったと言えるかもしれない。
いやまさに、僥倖僥倖…。
「うーん…… 櫻子のヤツには、『幼い子供ども』に対しての、異様な執着癖があるからにゃあ――― やれやれ… 双子どもに加えて、また余計な傀儡を増やしてしまうことににゃったか…… 」
今回のこの気付きは、鞘や櫻子の将来のため、非常に重要かつ有意義であったはずである。
そう、主には鞘の身や貞操等々の安全と、そして櫻子の… ひいては櫛名田家の社会的体面失墜を防ぐという上で。
「あの… 櫻子ちゃん…… アナタ今回は ほとんど醜態しか晒していないのですから、素行や言動には本当に注意してねぇ…… 」
「そうだにゃあ… 間違っても、警察沙汰ににゃるようなことだけは慎んでくれよ? 当家の沽券に拘(かか」わるであろうし、何より警察官僚である刀眞の頸が刎ぶわ」
櫛名田 櫻子 ―――
当家の長女であり、本来は非常にしっかり者で頭脳明晰… また眉目秀麗・才色兼備な逸材であることは間違いないのであるが…。
しかし如何せん、ある方面での『感受性』が豊か過ぎ、ついつい今回の様に『某 特殊な病』を ど派手に発症・露呈してしまう。
それ故… 黒猫のおじさんや実の祖母としては、憂慮し気遣わしいことこの上もない。
「はいはぁーい! 櫛名田 櫻子ぉ、合点承知の助で ごっざいますわぁ~~~!!!」
「にゃ… 何だコイツ… 酔っぱらってんのかぁ? て言うか『承知の助』って…… 一体 何時の時代の人間にゃんだよ、どうした」
「玉依先生、『がってんしょうちのすけ』とは、いったいどういう意味の言葉なのでしょう?」
鞘はしゃがんで目線を低くし、足元にいる玉依にそう尋ねる。
「うん、取り敢えずオマエのような新人類は、全く以て知らんで良い言葉だ。 まぁ、そうだにゃあ… 本来は、『昭和』という激動の時代を生きたモノらがよく使っておったフレーズのひとつにゃのだが ――― 」
まぁ、『新人類』という言葉もまた死語過ぎて大概ではあるのだが ―――
長寿命に過ぎる玉依は、実際に昭和の頃の記憶が、まるで昨日のことのように残っている『特異な存在』である訳で…… ある意味、まぁ致し方ない。
「えと… あの『昭和』ですか? 太平洋戦争や伊弉諾景気というものがあったという、あの?」
しゃがんだままの鞘は、師匠である玉依に無垢な眼差しを向け、首を小さく傾げながら真摯に尋ねる。
「おぅ、そうだそうだ。 オマエはやはり、歴史は得意なようだにゃあ」
「あれ? でも… 櫻子お姉さまは、まだ高校生…。 平成のお生まれであると認識していたのですけれど?」
目の前の事象の観察事項と、そして自らの知識や記憶をすぐに直結させられる広い脳内視野と洞察力を有した、なかなかに聡い鞘である。
「うんうん、そうだ。 オマエの疑念は尤もだぞ、鞘よ。 可愛そうに、混乱させてしまったにゃあ。 この櫻子という超ど変態娘はにゃ、いろいろと珍妙しいのだ。 だから、コイツに関して何か理に叶っておらんことがあっても、あまり気にせんで良いぞ」
「はぁ… 承知しました、玉依先生」
そんな、恐らく櫻子にとっては不名誉かつ不本意この上ない会話が成されていることも耳に入らず、一人浮かれ悦んでいる彼女の姿を、一同はただ生暖かく見守るしかなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
【 一掬 ❁ 過日譚 】
此処は北海道札幌市内、とある高層マンション最上階の一室―――
玉依たちが時間遡行を行った後の『10年前』の世界。
猪去 「いやぁ、それにしても脳とか魂とか… 玉依様も鹿沼先生も、難しいことを考えておられるのですねぇ」
玉依 「ん? いや、ワガハイなどは アホ程も永々と生きておるからにゃあ…。 まぁアレだ、オマエもある程度 爺ぃになってくれば、嫌でもこうなるよ。 そうだにゃあ… ま、二千年くらいか?」
鹿沼 「あ、いえ… ワタシはさすがにそこまでの年ではないのですがねぇ… 」
猪去 「 … と言うか、道のり長…… 」
兎城 「とにかく、お二人はすごいです、尊敬します! 特に、玉依様はワタクシ達の誇りです! 素敵すぎます! ね、猪去伍長もそう思うでしょう!? ふふん、どうです… ほら、『参った』とおっしゃい!」
猪去 「え、小官ですか!? あー… はい、ま… 参りました……。 え… と言うか、何故に兎城 特務曹… じゃない、准尉がそんな得意げ?」
玉依 「おい兎城、一体 何をそんなに浮かれテンパっておるのだ… あんま跳ばすにゃよ?」
兎城 「はい! 有難うございます!」
玉依 「え? いや… ぁ、あぁ… まぁいいか… 」
兎城 「はい!! 有り難うございます!!」
玉依 「えーっと… ところでだ ――― ワレらは今後この地で10年間、ごくごくありふれた『一般的な家族』を装わねばならん。 そこでだ、今日 此処に生まれた『支流 櫛名田家』の家族構成的役割を決めたいと思う」
鹿沼 「ほうほう、なるほどですな」
猪去 「玉依様、ご存分に」
玉依 「うん、ではまず… 猪去伍長と兎城准尉、貴官らがコイツの両親だ。 で… 鹿沼軍医少佐、オマエがその 更に親…… つまりは爺さんという設定で――― 」
兎城 「そ・れ・は・ダメです! そんなことは認められません、断固拒否します!」
猪去 「ぅわ、びっくりしたぁ……。 え、う…兎城准尉?」
兎城 「ワタシは何があっても、絶対に玉依様と添い遂げることを心に決めており――― 」
玉依 「いやいやいやいやいや! はぁ!? 急に何を口走っておるのだオマエ… てか、一体どうした!? あーーー、いやその… うん。 気持ちはまぁ、嬉しいのだが…。 でもにゃ兎城よ… 取り敢えずこれは任務を遂行する上での、ただの『役割り』に過ぎんのであるからして――― 」
兎城 「それでも嫌です。 では小官より代案具申――― 父親役は玉依様が適任であると愚考します!」
玉依 「いや、おかしいだろ! どんだけ『愚考』なんだにゃ。 『父親が猫』って、何処の童話かアニメの設定だよ…… 」