一族の団欒 and 序幕 × 參
此処は櫛名田邸内の洋館2階―――
建物の南西側にある『前中庭』を見下ろせる一室。
部屋の片側一面が全て窓として設えられており、外からの光が部屋中を眩く照らす、一族だけの憩いの空間である。
時刻は午後4時を少しまわったところで、執事の龍岡や家政婦長の鷺山が、テーブル上に置かれた幾つもの燭台に次々と小さな炎を灯していき、また 天井から吊られた3基のシャンデリアも、落ち着いた煌きの光を放ちはじめた。
集いの冒頭で 三女の柏子が提供してきた『宇宙話』を、事あるごとに両親や玉依たちに脱線させられているのだが…… 長男の弓弦は、その都度 懸命に話を引き戻してやっている。
◇
「でも考えてみれば確かに、この家に生まれてきたせいか『宇宙』なんて聞いても、今までは特に これといった興味を感じたこともなかったのだけれど――― 桐子ちゃんや柏子さんたちのおかげで、どうやらボクも ほんの少しだけ…… 何というか、好奇心のようなものが湧いてきた気がするよ」
弓弦の言葉は相当に曖昧で、実際にはさほどに興味を持った様子でもなかったのであるが、それでも桐子は嬉しかったようで―――
「わー、弓弦兄さま ありがとー! いつか一緒に行こうねーーー!」
「へえ しかたない じゃアタシも」
「え……? あ、あの――― ではワタクシも…… 」
弓弦に普段からなついている桐子と柏子はすぐに同調し、相槌をうつ。
長女の櫻子は、盲愛する妹たちと とにかく一緒にいたいようで、慌てて追随した。
弓弦の性格は非常に真っ直ぐで、かつ感受性も高く正直―――
そういう面だけで言うと、三姉妹の中では特に次女の桐子が 最もいろいろと共感できるところが多いのかもしれない。
先程からその桐子が、「そーだよねーー、えへへー 」などと言いながら、弓弦の方を見て満面の笑みだ。
「えっと…… 桐子ちゃん? 手に持ってるスコーンから、お膝の上に蜂蜜が ものすごくたくさん垂れてしまっているようなのだけれど…… 」
「うぁ゛ーーー!!?」
すかさず櫻子が、「あらあら…… 」などと言いながら世話を焼き始める。
「それにしても、宇宙…… か―――。 そうだ、ボクらもせっかく『宇宙人』なんていう特異な立ち位置に身を置いているのだから、例えば何か この家の日常をモチーフにして、桐子ちゃんや柏子さんたちが喜ぶような、ちょっとした『物語』を作ってみたりできないかな」
「わー、弓弦兄さま、なんかそれ面白そーーー!」
「斜め上をいく着想 やるな弓弦兄」
弓弦の思い付きに、双子たちは両名とも興味津々で賛同のようだが―――
結局、柏子は終始一度も手元から目線を上げず、指先以外は微動だにしなかった。
しかしこれでも本人は一応、家族たちとは存分に団欒しているつもりであるし、また弓弦にも最上級の賛辞を送ったつもりでいる。
「ほう、そういうことならこのワガハイが、その話の語り部となってやろう」
と、玉依が表舞台に戻ってくると必ず―――
「はぁぁぁ…… まったく。 いいえ、玉さまが進行役などをおやりになると、せっかくのお話が またものすごく長くなってしまいそうですから…… 却下ですわ」
案の定、櫻子が口を差し挟んでくる。
「だが オマエらがやろうとしたところで、例えば一族の成り立ちなどの話になると、所詮はワガハイからの聞き齧りの説明になってしまうのであろうが」
「それは――― まぁ確かに。 はぁ…… では仕方がありませんからこう致しましょう。 玉さまが語り始めてもお話が長くなり過ぎないようルールを定めます。 例えば そうですわね…… 一話分の説明的前置きは400字詰め原稿用紙1枚以内とし、時候のご挨拶などは極力省くこと。 また、内容自体も要点のみを箇条書きで…… 」
「箇条書きって…… どっかの稟議書か何かかよ。 オマエ、馬鹿なのか?」
「はぁ? やりますの この老害」
「ほらほら櫻子ちゃん、言葉遣いが乱れてますよー。 それに玉ちゃんをいじめる時は、ちゃーんと この瑞穂さんを通してねぇー 」
「瑞穂…… だからオマエはワガハイの何なのだ? てか、『話さえ通せば可』みたいに言うなよ」
「えー…… ではワタシから、ちょっと宜しいですかな? それで、その物語の『主役』は、一体誰がつとめるのです?」
ここで漸く これまで口数の少なかった、弓弦や櫻子たちの祖父である槍慈が軌道修正を入れ始める。
恐らく、一昨年から屋敷の1階に趣味で設けている喫茶室 < 副伯・Viscount > の夜の準備があるため、そろそろ話をまとめてしまいたいのだろう。
「主役と言えば、一族の最年長者であり かつマスコット的存在でもある、この見目麗しいワガハイしかおら…… 」
「却下ですわー 」
これには櫻子のみならず、同様の声があちこちから湧いた。
「それにしてもよぉ、玉さんが話の進行とかし始めると、序盤からどうにも重ったりぃことになりそうだなぁ。 ここんとこ オレもそこそこ忙しいからよ、まぁ 適当にサクッとしたやつで頼むわ」
「ほんまや、玉やんがストーリーテラーやなんて、読むん めっちゃしんどなりそ…… たっるいのとか 敵んわぁー 」
「ワタクシは、序盤の長そうなあたりは全てすっ飛ばす方向で読ませていただきますわ」
「オマエら…… よし、始めのワガハイの知性溢れる美しい『語り』を読み飛ばすと、後が全く解らなくなるような構成にしてやる」
「却下ぁ 」
そして皆が笑い、玉依もつられて笑う。
「ボクはちゃんと全部読むよ。 本って、どうも隅々まで目を通さないと気が済まなくてね」
「あぁ、お兄さまは そういう性格ですわよね」
「でも、玉先生の長話は勘弁だなぁ……。 あ、それなら――― ボクはいっそ、端から全く読まないという手はあるかも」
真面目で優しく、そして細やかな配慮ができる弓弦の 別の角度の一面がこういったところで―――
何でも如才なく 物事をきっちりと丁寧にこなす反面、そもそも面倒そうなことには 始めから一切関わろうとしないという、至極ドライな部分も併せ持った性格なのである。
「いやいやいや、発案者のオマエだけは死んでも読めよ」
「うーん…… でもそうなると、玉先生は残念ながら お独りだけ強制不参加ということに…… 」
「何でだよ。 自動的に『ボッチ決定』みたいに言うな」
玉依は、この一家の最年長者である割に、家族からは大概こんな扱いである。
しかし、4000年以上も生きているせいかどうかは解らないが、打たれ強さや立ち直りの早さには定評があった。
いやしかし…… 玉依が、およそ450年前に本国の命令で槍慈と この『東方の島国』において合流し、今の一族を築き上げる 更にずっと以前―――
実に2500年以上もの間、この地球上の各地を彼はたった独りで渡り歩いてきたのだ。
そんな彼にとって、『家族』と呼べる者たちの間に身を置いていられる喜びは、外から垣間見られるところからだけでは とても窺い知ることができないものなのであろう。
今のこの時間と この場所は、長年の間に渇き剥離片立った彼の心を癒し、浸々と潤し満たしているのかもしれない。
「えー、ところで先程も伺ったのですが…… 結局 主役はどなたが?」
槍慈が「やれやれ」といった表情で、改めて尋ねる。
それに対し―――
「主役は、今 此処にいる家族皆…… かな」
「まぁ…… いつもならお静かで、どちらかと言うと『我関せず』のお兄さまにしては、今日は大胆発言の連発ですわね」
「でも、それはなかなかに えぇんとちゃう? ウチら一人一人が、いろんな物語ごとにメインの入れ替わりで――― それぞれ、やりたいことや得意なことを前面に押し出して存分に暴れ倒せば、きっとおもろい話が よぅさん作れると思うわぁ」
「まぁ、暴れ倒すかどうかはともかく――― では取り敢えず、『持ちまわりで皆が主役』…… それで決まりですわね!」
「ぱち ぱち ぱち…… 」
「柏ちゃん、ハクシュするなら ちゃんとは手でやってよねー 」
双子たちが隅の方でボソボソといつものようにやっているのを横目に、刀眞が肝心なことを問う。
「で? その『物語』ってぇのは、一体誰が書くんだ?」
「 …………………………。」
刀眞の言葉に、一瞬 室内を静寂が覆いかけるが―――
「申し訳ないのだけれど、ボクは何かと忙しいので遠慮させてもらうね」
「あっはぁー、出たでこれ…… 弓弦くんてば 逃げんの早っ!」
「おい弓弦、そもそもオマエの発案だろうが」
「あはは、すみません。 でもボクにはたぶん向いてませんし。 で…… 玉先生、どなたかそういうことを巧くやってくれそうな方、ご存じないですか?」
「うーん、物書きが出来そうなヤツか……。 まぁ、あまり自信はないが…… 取り敢えず 適当にあたってはみよう」
「え゛…… 玉やんが探すん? ほんまに大丈夫かいな……。 その『作者』ゆうんが、例えばアンタと同類みたいな感じお人にでもなってもうたら…… たぶん話の冒頭だけで誰も よう読まん、えっぐい話んなってまうでぇ?」
「失礼なヤツめ、えぐい話になどならんわ。 まぁ…… とは言えだ、もしもワガハイが選んできたモノの仕事に何かしらの障りがあった場合には、替わりにこのワガハイが責任を取って直々に書いてやっても良いぞ? うん、それなら安心だな!」
「いやいやいやいや…… 急に何を宣っておられるのかしら? この おたんちんさんは。 『玉さまに似たような方だと困る』というお話をしておりますのに、悪の権化であるご本尊自体が登場してしまって どうなさるんですの?」
「だから櫻子、言い方な。 ふん… 悪魔だか仏だかよく解らん表現をしおって。 まぁ案ずるな、きっと良い書き手を ワガハイがきっちりと探し出してきてやろう程に。 そう、ワガハイのように知的で聡明で…… そして愉快痛快 珍妙奇天烈な持ち味を有する逸材をな」
「珍妙……? いえ、そういった向きは まったく以て不要なのですが。 はぁ…… まったく、偏屈爺ぃの世迷言は 相変わらず意味不明で困りますわ」
「えぇっと…… それよりも、何故だかどんどん『玉先生に似た人』が書くこと前提で話が進んでしまっているような気がするのだけれど――― それって何か…… 本当に大丈夫なのかな?」
「もう、嫌な予感しか致しませんわね…… 」
◇
『櫛名田家』の一族の皆を主役として展開されることとなったこの物語―――
正直、話自体の内容以前に、そもそもの仕組みとして大いに不安材料を抱えた、前途多難な門出となってしまった。
ただでさえ寿命の長い彼らにとって、今回のこの折角の幸せな目論見が、ほんの一瞬の出来事として終わってしまわないよう―――
そして少しでも、彼らの活躍に報いることができるよう……。
この度、玉依に見出された私としては 最大限の努力とともに、なるべく息の長い作品として仕上げられるよう、我が事ながら 切に祈らずにはいられない。
櫛名田邸の 今の時刻は午後5時。
皆、蝋燭の匂いが微かに残る、この『北東の間』を後にし―――
執事に伴われて、夕食の支度が整った『小食堂の間』へと向かって行った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
【 一掬 ❁ 後日譚 】
後日、櫛名田邸内 洋館1階 小食堂の間 前室―――
櫻子 「ねぇねぇ お兄さま、ご覧になって。 この方が『作者』をやってくださることになった、漣 黒猫堂さん…… だそうですわよ?」
弓弦 「へぇ 履歴書か、どれどれ? え…… いや、なんか本当に『ただの猫』なのだけれど…… 」
櫻子 「お写真を拝見する限り… そう… ですわよねぇ……。 なんだか、『なめ猫』の免許証みたいですわね」
弓弦 「えっと、櫻子? その… キミって本当に…… いや、何でもないよ」
櫻子 「 ……? まぁ、玉さまが探してこられた方なのですから、自然と言えば…… 自然?」
弓弦 「うーん…… というかさ、『玉先生に似る』って、こういう話だったのかな?」
櫻子 「これはこれで、やっぱり不安しかありませんわね…… 」